2007年12月31日

感謝を捧げつつ
 夜、食卓を囲んで、おそばをいただく前に、食前の感謝と共に、一年の感謝を祈り、子どもたちを寝かしつける前に、妻が感謝の祈りを捧げる。こうして恵みと感謝のうちに年越しのできる幸いを思う。また深夜には、越年感謝祈祷会が行われる。集まる人数はそれほど多くはないが、教会で年を越せることもまた感謝だ。新しい年はどんなことが待っているのか、期待と共に先行きの不透明なところがある社会の動向ではあるが、どんなことがあっても神の愛と真実は変わらない。その神に委ねつつ、来る年を迎えさせていただきたいと思う。
2007年12月30日

正月の買い物をしながら
 礼拝を終え、午後は久しぶりに何もなかったので、妻や子どもたち、また母や帰省中の姉と一緒にお正月の買い物に行く。買い物をしながら、値段が高いことに驚きつつも、「正月くらいは…」という思いでかごの中にものを入れていたが、ふと頭の中を数日前のニュースで報じられていた海外の貧しい子どもの様子のことが頭に浮かんだ。思わずいくつかの商品を元に戻してしまった。あまり豊かすぎるのは、子どもたちにも「正月はこうするのが当たり前」という思いがインプットされてしまうのではないかと思ったりする。それでもいつもに比べてはずっと豪華だ。「正月だからこうしなければいけない」という思いが、何か生活習慣病のようにまとわりつくことからから解放されねばならないと考えさせられた。
2007年12月29日

ソフトを作る
 娘が、サンタさんにもらったソフトクリームを作るおもちゃで、ソフトクリームを作った。私も呼ばれ、どんな大きなソフトができるのかと期待したが、できあがったのは本当に小さなソフトだった。私と妻は期待もはずれて大笑いだったが、娘に「笑っちゃだめ!」と叱られてしまった。材料費のことを考えるとお店でソフトを買った方がずっと安いように思うが、ワイワイ言いながら作るのが楽しいのだと思う。味はおいしく、娘にとっては満足だったようで、よかったと胸をなで下ろす。何でも打算的に考えるのは、大人の悪い習慣かもしれない。
2007年12月28日

福音の時代に生きる幸い
 今年最後の朝祷会が開かれ、ルカ10章が開かれた。「言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」(24節)が心に留まり、この福音の時代に生かされている恵みがどんなに大きなものであるかを思い起こす。とかく、主の恵みに思いを馳せるより、生活が大変になってきていることを思ったり、神の子とされている栄誉を思うより、自分の足りなさを思うことが多いが、年末を前に、主のなしてくださったひとつひとつのことに、素直に感謝したいと思った。
2007年12月27日

神山教会訪問
 連日クリスマス行事が続いていたが、最後として、御殿場のハンセン病施設内にある神山教会を訪問し、礼拝をささげる。何と、今回は出席者は入所者はひとり、他に代務者の牧師先生が沼津から駆けつけてくださり、こちらの5人と、合計7人での礼拝だった。23日のクリスマス礼拝も出席者は2名だったとか…。皆さん、病気で入院したり高齢のため礼拝出席が難しくなっているようだ。礼拝後、施設内の病院やケアハウスをお訪ねし、出席できなかった方とお会いし祈ってくる。今施設内には120名余りの収容者が居住し、教会員は9名だそうだ(今年2名召天したとか…)。数少なくても、懸命に信仰の火を灯し続けている姿に励まされる。
2007年12月26日

病院で気づかされること
 ある産後間もない赤ちゃんの心臓に不具合があるということを聞いた。主の癒しを祈りつつも、ご両親はどんなに心配だろうと思う。そういえば、先日夜中に病院に行った時も、ちょうど小児科の救急担当だったため、次から次へと小さな子どもを親が連れてきていた。診察室で、つらそうな鳴き声で泣いている子どもがいて、どうやらダウン症のお子さんのようだった。ご両親はどんな思いだろうと思うと、胸が痛んだ。健康であれば何より…、そんな親の願いは、いつしかどんどんエスカレートし、あれもこれもと子に要求するようになる世の中だ。今あるを感謝し、大変な状況の中にある人々の思いを察し、無関心で終わらず、せめて祈る。そんなお互いでありたいと思った。
2007年12月25日

ホッとひと安心…
 昨晩、キャンドルサービスが終わった後、教会員の息子さんから電話、父が意識が混濁し、救急車で運ばれたとの事。搬送先の連絡をいただき、夜中に急遽駆けつける。立ち上がれなくなってしまったということで脳出血を心配されたが、意識はしっかりしており、発熱が原因だったのかもしれない。専門医による詳しい検査のため、そのまま入院されることになり、ご本人の病床で主の癒しを祈る。今日無事に退院したという連絡をいただき、ご本人の元気そうな声を聞き、安心して主に感謝の祈りをささげる。クリスマスにそんなことがおこり、ご家族もどんなにか心配されたと思うが、主が恵みに変えてくださったように思う。
2007年12月24日

イブのキャンドル礼拝
 イブのキャンドルサービスが行われ、教会員や地域の方々が90余名集まってくださった。ゴスペルクワイヤの賛美、聖歌隊の賛美は、集まれた人は全員ではなかったが、心を込めて歌ってくださった。私も、今年はどんなメッセージをさせていただこうかと祈りつつ備えてきたが、主イエスの降誕を告げる箇所から、ストレートに聖書の中心的なメッセージ、罪の赦しの福音をお話しさせていただくよう導かれた。帰り際に、また教会に来ますと言ってくださった方がいらっしゃり、大いに励まされた。十字架の福音は、聞く人にとって、特に初めての方々には、耳ざわりはよくないところがあると思う。でも、福音が語られるところにご聖霊が働き、人々の心に神のみわざがなされる。これからもそのみわざがなされ続けるように祈りたい。救い主の降誕を心から感謝し喜びつつ…。
2007年12月23日

クリスマス礼拝
 クリスマス礼拝で、聖歌隊の皆さんが「神はひとり子を」(新聖歌89)を賛美してくださった。「ああ神は愛なり、汚れ果てしわれさえ愛したもう、神は愛なり」と…。クリスマスにこの愛が具現化され現された恵みを思い、胸がジーンとなった。洗礼式も、いつもそうだが、感謝と喜びの涙をこらえつつさせていただいた。また、新しく当教会に入会してくださった方も4人与えられ、楽しい雰囲気での昼食会も行われ、感謝でいっぱいのクリスマスだった。一方、先週皆で訪問はしたが、このクリスマスにおいでになれない病床や高齢の方にも、神様の恵みがあるように一層祈りたい気持ちになった。
2007年12月22日

自作紙芝居のお話
 子どもクリスマスに、酒井先生(清水キリスト教会牧師)が来てくださり、自作の紙芝居でお話しをしてくださった。こびとが、クリスマスにイエス様を捜して歩く物語だったが、子どもの心をしっかりつかんで、イエス様を心に迎えることの大切さを伝えてくださった。自作であのように絵が描け、またお話しできるのはすごいと思った。先生は、「礼拝で紙芝居」というブログを開いていらっしゃるようで、そこではいろいろな聖書の話を絵を用いて紹介しているようだ。いろんな賜物が福音のために用いられるのはすばらしいと思う。
2007年12月21日

♪あめには栄え
 クリスマスの讃美歌はよく知られた有名な曲がたくさんあるが、私が中でも好きなのは「あめには栄え」という曲だ(讃美歌98,新聖歌79)。3番の歌詞にキリストの降誕がこう歌われている。「朝日のごとく輝き昇り、み光をもて暗きを照らし、土よりいでし人を活かしめ、つきぬ命を与うるために、今ぞ生まれし君をたたえよ」。本来はチャールズ・ウェスレーという有名な作詞家が作った詞を、よくもみごとにその意味をとらえて翻訳し、実に曲にマッチしていると思う。やがて土に帰っていく存在である我らを活かし、永遠のいのちを与えるためにおいでになられた主をたたえよと、主の恵みがどんなにすばらしいものかが凝縮されている。クリスマスの度にこれをひとり口ずさんでいると、胸がいっぱいになる。感謝!
2007年12月20日

英和のクリスマス
 夜、英和の学校クリスマスに出かける。今年は創立120周年ということで、120回目のクリスマスということだった。生徒たちの合唱やハンドベルの演奏に、最初のクリスマスの夜を思う。また、深町牧師のメッセージから、「主イエスは今も心の扉をたたいている。それを心に迎えることが本当の意味でクリスマスを迎えることになる」と聞き、若いときに主を受け入れたことを思い起こし、再度そんな思いで祈る。クリスマスの時期になると、話す機会が多く、いわば放電ばかりになるが、今宵は神の前に静まり、神の恵みをたくさん充電させていただいたように思う。
2007年12月19日

今年のインフルエンザは?
 子どもたちが、二回目のインフルエンザ予防接種に行く。大人は一回で済んだが、幼児は二回に分けてするようだ。娘はすでにインフルエンザにかかっており、今頃…という感じがしないでもないが、インフルエンザにもいろいろな種類があり、受けた方がいいという医師の勧めもあって接種する。保育園でも、先週は1クラス10名以上もの感染者がいたが、今週はすっかり治まっているようで、今年のタイプは感染力は強くてもそれほど強力でないのか、あるいは薬の進歩か、娘も比較的早く治った。今後一層流行が心配される季節になるが、教会の皆さんも守られるようにと願うばかりだ。
2007年12月18日

クリスマスに思いを馳せて
 夕方、刑務所に出かける。前回のような大きな集会ではないが、キリスト教を希望された方が20名あまり集まってくださり、クリスマスも近いので、いつものように聖書のみことばからのお話ではなく、クリスマスの讃美歌をたくさん歌い、童心に帰って子ども向けのアニメーションのクリスマスの様子を描いたDVD作品を見ていただく。そして、その聖書を開き、その状況と、なぜ主イエスがこの世においでくださったのか、その意味をお伝えする。教誨活動を振り返って、本当に集まってくださる方の心に届くためにどうすればいいかを考えさせられるが、クリスマスの出来事をしっかり見つめることにより、その心に神様が語りかけてくださればと願う。
2007年12月17日

プレゼントを買いに行って
 子どもたちが保育園に出かけている間に、クリスマスプレゼントを買いに行く。おもちゃ屋さんはいつになく混雑していて、やっぱりクリスマスだと実感させられる。子どもたちにできるだけ与えてあげたいと思う反面、おもちゃも既にたくさんあって、当初はとても喜んでも、いつの間にか(比較的すぐに)遊ばなくなってしまうことを思うと、無駄になってはいないか、与えすぎてはいないかと思わされる。妻と相談しつつ、本当に長く使えそうな(遊んでくれそうな)最小限のものを買い求める。何かものを与えるよりも、日頃の言葉や親子共有の時間の大切さを思いつつも、なかなかそうはできない自分の姿を反省させられるひとときだった。
2007年12月16日

滑り込みセーフ
 今日は妻が礼拝で説教をする番で、自分はいつも妻がしてくれているような様々な準備をした。準備も無事に出来、礼拝を待つばかりとなった時、妻が説教の原稿がプリントアウトできないことに気づく。妻は30分前まで何度も見直し、いざプリントアウトと思った時、プリンタが全く動かない。2台のパソコンと2台のプリンタをあちらこちらつなぎ替えてやっても、まったくダメ。礼拝の時間は刻々と迫り、とうとう礼拝も始まってしまった。先に礼拝に出席していた妻にノートパソコンごと渡して、この画面を見ながらするようにと渡す。説教が始まる時間の直前に、他のソフトに移し替えてプリントアウトに成功。何とか滑り込みセーフで間にあった。こんなことは今までになく、冷や汗ものだったが、どうもそのファイルだけ異常をきたしていたようだ。でも、礼拝前落ち着かず、教会員の皆さんには迷惑をかけてしまったかもしれない。ただ何とか間にあったのは主の憐れみか…。
2007年12月15日

間にあって感謝!
 保育園でのクリスマスがあり、妻と見に行く。しばらくインフルエンザで休んでいた娘も、熱も下がってお医者さんから許可をいただき、降誕劇を演ずることができた。子どもたちに「二人ともクリスマスに出られて本当に良かったね」と、妻と共に感謝する。市内の別のキリスト教幼稚園の牧師先生が、「降誕劇の役に優劣はないということを繰り返し話しています。でも、何をやったかは一生覚えていますよね。」と話していたが、先生方のご苦労を思うと共に、子どもたちの心に、みことばと共に救い主誕生の知らせがしっかりとインプットされることを願う。夕方、ある教会の方から電話があり、「○ちゃんは劇に出られましたか?」と尋ねてくださった。祈って下さった方のいることを思い、それもまた本当に感謝だった。
2007年12月14日

双子座流星群
 新聞やテレビで双子座流星群が極大日を迎えると報じられていた。月明かりがなく、条件が良いとのこと。流星群と言えば、2001年のしし座流星群のことを思い出す。あの晩は、わざわざ富士山の麓にまで出かけ、大流星雨を見た。次から次へ、音を立てて流れるのではないかと思うような流星の雨だった。あのような流星雨は、ほとんど見られないという世紀の瞬間を目撃し、本当に大感激した。今度の双子座流星群はそこまではいかないだろうとは思うが、明日朝早起きしたら教会の庭からしばし見てみたいと思う。星空を眺めていると、永遠とも思える時の流れと、宇宙の広大さを思い、神を思うひとときともなる。
2007年12月13日

やれるだけのことをして
 クリスマスの準備の超多忙モードに入ってきた。行事が連日続くのは、22日から27日までだが、そのための準備として、各種案内やちらしを作成したり、印刷物の原稿を作ったり、必要なものの買い物に行ったり、そして説教の準備と、ひとりでも多くの人に来ていただいて、クリスマスの恵みを知っていただきたいと、やれるだけのことはやろうと思う。妻や教会の皆さんの助けも感謝だ。今日も朝4時ころから夜まで働き、ちらしの原稿作成を作成する。時間をかけていいものを…と思う半面、ソフトの操作に慣れていないので、なかなか手が廻らないのが残念だ。それでも、ちらしの原稿が一発入稿完了したのでホッとする。主よ、霊性と健康を守りたまえっ!
2007年12月12日

やっぱり「偽」か…
 今年の漢字の発表があった。やはり「偽」だった。もう一カ月以上も前に、車の中でNHKラジオを聞いていたら、パーソナリティーが、「今年の漢字は『偽』になりそうですね」と話していて、自分もそうかもしれないなと思ったのを思い出した。一連の食品表示の偽装問題に、庶民はあきれているように思うが、明らかになっているのは氷山の一角のような気がしてならない。ただ、こういうことで、もう一度しっかり反省していい加減さを無くしてくれれば良いようにも思う。人間はルーズなもので、人に気づかれなければいいと言った思いになりがちだ。それが、聖書が言う人間の罪の特徴でもある。誰が見ていなくても、「神の前に歩む」という思いを持っていきたいものだ。
2007年12月11日

早くも我が家にも
 昨日書いたことが、現実になって我が家にも来てしまった。娘が熱を出し、妻が医者に連れて行ったところ、やはりインフルエンザだと…。一番気がかりなのは、今週土曜日の保育園のクリスマスに間にあうかどうかだ。彼女は、2年前から年長組になって演じるページェント(降誕劇)をとても楽しみにしていただけに、気がかりだ。医者の許可がないと保育園には行けないので、微妙なところだが、何とか癒されるように祈りつつ、子どものからだと心を見守りたい。
2007年12月10日

早くもインフルエンザ
 娘の保育園のクラスで、34名中14名の子どもが欠席したそうだ。そのうち、7名がインフルエンザ、他は嘔吐・下痢を伴う感染症などのようだ。娘もお腹の調子が悪いが、幸い発熱はそれほどでもなく、今日も保育園に出かけた。インフルエンザが、各地で流行し始めているようだが、静岡でも流行し始めているようだ。娘は(私も含め家族全員は)、先週予防接種を受けたばかりで、感染してしまう可能性があるかもしれない。これからクリスマスという時、何とか支障のないように主の支えを祈りたい。
2007年12月9日

初オファー
 夕方、いつも私たちの教会で練習しているゴスペルクワイヤが招きを受けて、市内のホテルでのとあるクリスマスパーティーでゴスペルを歌わせていただく。まだ発足したてのクワイヤにとってはこの上もない感謝だった。人様の前で歌わせていただくというのは、それなりに緊張もするが、新たな感動もある。もっと上手になって、町中など、いろいろなところで歌える位になるとすばらしいし、ゴスペルの賛美を通して、主の恵みを伝えることができたらと思う。
2007年12月8日

ゴスペルクワイヤ発足1年
 午後からゴスペルのオープンリハが行われ、練習後夕食を共にする。当教会でゴスペルクワイヤがスタートしてから、1年と2週間余りが経過したことになる。集められたメンバーのひとりひとりが、これまでの感想等を順番に自由に語るひとときを持ったが、こうして集められたお互いではあるものの、皆それぞれの神の導きがあるんだなということを感じさせられた。ここにクワイヤが誕生したのも、何か神のみこころがあり、これから将来どうなっていくかを考えると不安なことはあるけれども、神様の計画があるなら、神様がきっと何とかしてくださるだろうとも思う。そんな思いを新たにされるひとときだった。
2007年12月7日

主にある貴いご労に感謝
 教会学校の教案誌「成長」の執筆者勉強会に出席する。その中で、長年編集に携わって来られた編集長が来年の4月で交代されるということを聞く。発刊当初からだから、おそらく30年になるだろう。CS成長センターは、数多くの良書を発行し、その教案誌は、各教派を超えて日本で今一番広く用いられているようだ。その下支えをして来られた方だったので、心からの感謝とその貴いご労を心からねぎらいたいと思う。編集には様々なご苦労があったとこれまでも伺ってきたが、主にある忠実な働きが今後も実を結んでいくように祈りたい。
2007年12月6日

大事をなす前に
 夜、明日の大きな仕事を前に、ひとりの方が祈りに来られた。数日前に電話があり、お話しがあるということだったので、きっと祈るために来られるんだと直感したが、やっぱりその通りだった。大きなことを前に、主の前に静まって祈ることがどんなに大切で貴いことか。大事を前にすると、いろいろ忙しくてそこまで気が廻らないのがお互いだが、このような思いと信仰を、神は祝福してくださるに違いないと思う。「もし地上でふたりが心を合わせるなら、神はその祈りを聞いてくださる。」と主は教えられた。その約束を信じて祈った。
2007年12月5日

子どもの性格
 朝、息子が「保育園へ行きたくない…」と言い出した。水曜日にある体操教室のボールを使った爆弾ゲームというのが苦手らしい。というか、負けず嫌いのようで、それでボールに当たってしまうのが嫌なのではないかと推察する。でも、彼は誰に言われなくても、コツコツ努力するタイプではないかと思う。娘と息子と、当然のことながら一長一短があり、性格もかなり違うように思う。人間の性格は、育った環境によるところも大きいとは思うが、神様から与えられた生まれながらのものというのもかなりあるのではないかと思ったりもする。それぞれの子どもに対する神様のご計画があるように思う。それに気づき、それを求めていけるように育てたいと思うのだが…。
2007年12月4日

教誨師の研修
 教誨師の研修会があり、埼玉に出かける。矯正施設の職員の今の刑務所の現状の講演、4人の教誨師の実践報告、また2時間位の小グループの学びの時を持つ。このところ、教誨師も研修委員が各県から立てられ、どういう研修をするかを事前によく討議し、今回のような研修会を始めたようなので、これまでにないいい学びができたようにも思う。被収容者の方の心にまで届くというのはなかなか簡単なことではない。それでも、被収容者の方の思いを受け止めつつ、どのように教誨をしていくかということは大切な問題だと思う。犯罪被害者の方の声が大きくなりつつある時代だ。その中で、施設に入って心が変えられていく一助となるよう務めていかなければと思う。
2007年12月3日

小さな信仰のひと触れをも
 朝、入院中のご高齢の教会員のお父様を、教会員と妻と共に訪問する。肺のご病気で呼吸はつらそうだったが、娘さんの呼びかけはすぐに分かったようで、耳元でお声をかけると聞こえているように思う。苦しいときには、イエス様を呼んでくださいねとお話しし、苦しみが和らげられるように、また平安が与えられるように祈る。妻が、お父様への感謝のことばと共に、イエス様を信じてください。分かったら手を握ってくださいと言うと、手を握り返してくださった。主はどんな小さな信仰のひと触れをも見逃さない恵み深い方だ。十字架上の強盗もそうだった。主にお委ねしつつ病院を後にする。
2007年12月2日

施設でのクリスマス
 礼拝後、市内の福祉施設でのクリスマスの集会が行われた。50名余りの方々が集まって、多くの方が障害者やそのヘルパーの方々だったが、地域の小学生も7〜8人出席していた。聖書からお話しをさせていただく時、その子どもたちに「クリスマスって何の日か知ってる?」と聞くと、「子どもたちがプレゼントをもらう日」と答えてくれた。しばらく考えて、別の子が「神様の誕生日?」と答えたので、実は「神の子イエス様のお生まれをお祝いする日です」と話した。子どもたちは、クリスマスのことを案外知らないんだなと思ったし、大人の方もその意味は知らない人が多いのではと改めて実感する。お話しは、頷きながら聞いてくださる方もあり感謝だったが、もっともっと教会からこの世にメッセージを伝えていかなければならないと思った。
2007年12月1日

刑務所でのクリスマス
 12月に入り、今年の最初のクリスマスの集会として、刑務所でのクリスマスがあった。約150名の受刑者の方々が集まってくださり、市内の教会からも12名が参加し、共にクリスマスの賛美歌を歌い、聖書のメッセージに耳を傾ける。講師の先生が、「私の父は酒乱で、私は心に深い傷を負って育ったけれども、主イエスと出会ったことによって変えられた。主イエスは、私たちの心を深いところから癒すことのできる救い主である。」と、ストレートに主の救いの意味を語っていただいた。願わくは、今日お話しを聞いてくださった方に聖書のみ言葉がとどまり、神様を真剣に求めてくださる方が起こされるようにと祈る。
2007年11月30日

ゴスペルのメンバー
 ゴスペルに、今日も新しいメンバーがひとり出席してくださった。そういえば、夢を見た。ゴスペルのメンバーがどんどん増え、なぜかイチロー選手までもその中に入ってきた。(特に大リーグ好きという訳ではないし、イチロー選手が出てきた夢は初めてのように思うが…。)この前の日曜日の礼拝説教の箇所には「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。」(イザヤ書43章19節)だったが、神様が新しいことをなそうとしていてくださるのかもしれないと、そんな期待を持つ。今日は自主練習だったが、9日の初オファーに備えるべく3曲ほど楽しく練習する。
2007年11月29日

引越が大変!?
 新しいパソコンが届いた。が、すぐにはセットアップするまで至らなかった。今までの古いパソコンは5年4ヶ月がんばったが、このところブラウザを開くのに1分近く、またメールソフトには1分30秒位もかかってしまう。これまでもメモリの増設などはしてきたが、新しいものでも10万円そこそこで買えるので、コツコツ貯めてきたお金で思い切って購入!と思いきや、喜びも束の間、この環境を引っ越しするのに時間がかかりそうだと思い、気持ちをそがれてしまう。。ケーブルなどでサッと移せるようなものもあるようだが、この重い環境をそのまま移して新しいパソコンも重くなってしまったらと思うと、勇気がない。少しずつソフトを入れていくしかないかと思う。昔、「パソコンは便利だが時間食い虫」と言った牧師先生がいたが、何かそんな感じもしてきた。
2007年11月28日

高齢者の生活
 祈祷会後、高齢者の方のお宅を訪問したが、留守のようで電器も消えているようだった。昨日も2度お訪ねしたが留守で、デイサービスにしては帰りが遅いなと思っていたが、障害も持っておられ、ひとりで外出できる方ではないので、もしや倒れてはいないかと心配になり、思わず何度も呼び鈴を押してしまった。どこかの施設に入られたのかもしれないが、なかなか連絡できる状況ではないので心配になる。また、もう一軒のお宅は高齢者のご夫妻での生活だが、ご主人に会えてホッとしたものの、お話しを伺うと大変そうだった。ともかく祈ってくる。高齢者の問題は、それぞれ事情があり、簡単ではない。安心して生活できるような援助が、何とか教会でももっとできるようになるとよいのだが…。
2007年11月27日

景気回復の効果?
 このところ、様々なものの値上げのニュースを新聞等でよく見かけるようになった。今回も、インスタントコーヒーとラップの値上げが報じられていた。このところの原油や穀物の値上がりの影響もあるだろうが、庶民の生活はじわりじわりと厳しくなっているようにも思う。景気が回復していると言われる影響ももしかしたらあるのかもしれないが…。景気回復の実感はないと言われる中、ホームレスの方々はかなり減少していると、私たちの教会でその自立のためのボランティアをしている方が話しておられた。そういう良い面で回復の効果が出てくればよいのだが…。
2007年11月26日

近所のイルミネーション
 夕方、子どもたちと一緒にはがきを出すついでに、近所のイルミネーションを見にいく。あるお宅の前で、「ワーきれい!」「サンタさんもいるよ」「あれは何だろう」と、しばし足を留めて見入る。「うちでもやりたいなー」と娘がひとこと。教会での飾り付けは、忙しさもあって、いつもクリスマス間際になってしまう。近所を10分余り歩いただけだったが、それでも4件ほどイルミネーションをしているお宅があった。もうクリスマスの季節だ。救い主誕生の喜びを、その意味を、心から知っていただきたいと、そう願うこの頃だ。
2007年11月25日

現代の子どもの心にとどくことばの必要性
 役員会の終わりに、今の子どものことが話題になった。ある方が、学校から帰るなりパソコンに向い、あるいは携帯に向かって、メールやゲームに取り組んでいるようで、、人間関係を結んでいるようでも、それが希薄になっているのではないか。人間関係の結び方が苦手で、感情の豊かさに乏しいように思うと話しておられた。それが今の子どもたちのひとつの特徴になっているかもしれないと感じた。問題なのは、そういう子ども(子どもばかりでなく、大人に対しても)に、届くことばを教会が持っているかということだ。社会の状況とそのニーズを的確に見て、その心に届くようなことばで聖書の福音を伝えなければならないことを思う。神の助けを祈ると共に、どういうことばをもって話せばいいのか、学んでいく必用を感じた。
2007年11月24日

説教の準備
 昨晩は、バザーの片づけを終えて、疲れが出たためか、子どもたちよりも早く寝てしまったが、夜中にムックと目が覚め、明日の説教の準備をする。説教の準備は、なかなかプレッシャーがかかるもので、特に聖書の難しいカ所だとどうしようかと心配もある。今回のカ所もそういうカ所で、おまけに超多忙だったのでどうなることかと心配しつつ祈っていたが、こういう時に神の助けがあるのだなと感じた。語るべきことが与えられ、いつも以上に順調に準備ができた。これも主の憐れみと思う。集まる人に、心から神のことばを伝えたい。
2007年11月23日

バザーを終えて
 ここ数日、冬型の風の強い日が多かったが、今日は風もおさまって穏やかな晴天となり、恒例のバザーを行うことができた。教会員はもちろん、教会員の家族の方も多数お手伝いに来てくださり、教会に関連のある皆さんが野菜とかコロッケとか、いろいろなものを持ち寄ってくださって、盛大に開くことができた。食券も次々と完売になり、オープンして2時間後には店じまいをしなければならないほどの盛況だった。ご近所の方に大勢来ていただいて、教会の様子を少しでも知っていただけたのではないかと思う。CSルイスというクリスチャンの有名な著作家が、「教会というのは、世界の中で唯一、会員ではない人たちのために存在する組織だ」と記しているが、これからも地域に開かれた教会でありたいと思う。
2007年11月22日

深い霊性を求めて
 このところ、「スピリチュアリティ成長への道」という本を参考に、瞑想の訓練をしている。牧師として何が求められることのひとつに、深い霊性とそれに基づくメッセージということがあるように思う。日頃は、様々な仕事に追われ忙しくしているが、そういうことではこの大切な部分がいつしか失われてしまうように思う。真に生ける神と交わり、神の語りかけを聴き、それを伝える。それがこの時代で、牧師たちに与えられている使命のひとつでもあるように思う。今日もバザーの準備等で忙しいが、そういう時にこそ大切にしたい。
2007年11月21日

主の臨在は何のため
 「主はいつも私たちと共にいてくださる」というのが聖書のメッセージのひとつだが、それは赦しのためだと、今朝読んだ金田先生の本に書かれていた。主が共にいてくだされば、私たちは完全になったり、清くなったりするのでなく、愚かなことを言ったりするからこそ共にいてくださり、慰めたり励ましたりしてくださる。主は今日も共にいて、深い赦しの中に私を歩ませてくださるまた、そんな臨在の実感が深められればられるほど、主を悲しませることからも守られるようになっていくようにも思う。
2007年11月20日

牧師の退職後
 教区会があり、県内の牧師先生と交わりの時を持った。その中の話題のひとつに、牧師の退職後のことがあった。牧師はたいてい薄給で、将来のために蓄える余裕など無く、教会のために多くをささげて来られた方が大部分だ。神様がきっと養ってくださるという信仰に立って…。ただ、実際退職を目の前にして、これから先の行き場がないという不安を持っていらっしゃる先生方がいらっしゃるということを聞く。自分がそれまで働いていた教会にも後任者が来るので、そこに居続けることもできず、お子さんのもとに行き、そこで一緒に生活できる方はよいが、そればかりではない。神様はきっとひとりひとりに最善の道を備えてくださるに違いないと思うが、願わくはそういう先生方が将来のことを心配せずに労することのできる環境を作っていくことが教会の使命のように思う。そのために、もっと祈らなければならないと思った。私たちの教会は、単立教会ではあるが、そのような心配も今のところなく働きができることは感謝だ。
2007年11月19日

ナ、ナイスキャッチ!
 夕方のニュースで、朝の火事のことが報じられていた(どこか忘れてしまったが)…。三階に御両親と共に取り残された赤ちゃんを、近所の人が下でキャッチ。怪我無く助かったということだ。本当によかったと、妻と二人で顔を見合わせると、うっすらと目に涙が浮かんでいた。自分もそうだった。一歩間違えれば大変なことになっただろうけれど、とっさの判断で、状況的にそうするしかなかったのだろう。御両親はふとんの上に飛び降りて、お父さんは骨折したけれど、命に別状はなかったとか…。明るいニュースが少ない中で、何かホッとするひとこまだった。
2007年11月18日

兄弟が和合していること
 礼拝が終わってから、教会員の有志の方が残ってくださり、バザーの会場準備を始める。ひとつのことに心を合わせて労するのは、肉体的には大変な部分があっても、すばらしいことと思う。今日の礼拝の中での交読のカ所に、「兄弟が和合しているのは、何と麗しいことか。」とあったが、まさにその通りと思う。奉仕する側も楽しく奉仕し、来てくださる方々にも喜んでいただく…。そんなバザーになればと思う。
2007年11月17日

灯油価格は3年で2倍!
 今朝は最低気温が8度位だったとか。昨日の朝と夜の集会では、今年初めてファンヒーターをつけた。暑かった夏の印象が強く、駆け足で冬が来つつあることを感じる。ところで、日記を見ていたら、3年前は灯油18リットルは800円台だった。今年は近くの販売店で1530円、実に倍近い値上がりだ。原油の値段が決まるのはかなり複雑な仕組みのようだが、供給量はそれほど変わっていないというのだから、困る人がいる一方で、どこかにその富が蓄積されているのだと思う。それが、正しいことに使われるように(兵器の購入や一部の人の極度のぜいたくなどに使われないように)願うばかりだ。
2007年11月16日

バザーまであと一週間
 今年もバザーまであと一週間となった。本格的な準備はまだこれからだが、このところ嬉しいことは、いつもこの時期にバザーがあることを知って、教会員以外の近所の方が、品物を持ってきてくださる方が何人もいらっしゃるということだ。そこまで地域の方とつながりができていることは嬉しい限りだ。このところ、百円ショップなど、安価でものが手に入るようになり、バザーの出品数もやや減少傾向にあるが、その変わりおでんなどの食品は毎年好評だ。今年も、地域の方々に教会に一層親しんでいただけるバザーとしたい。
2007年11月15日

発達段階か、わがままか?
 保育園の遠足で動物園に行った子どもたち。楽しく過ごして帰って来たと思いきや、夜ママとすごろくのようなゲームをしている時、突然弟がわがままを言い出した。彼は何でも一番でないと嫌らしい。そうなるとルールを無視して、「もう5回やる!」とか「ひとりでやる」と、わがままを言い、大声で泣き出して、収拾がつかなくなってしまう。叱ってはみたものの、妻と二人後味は悪かった。そう言えば、動物園の話で、娘はうさぎやひよこや、へびにまでさわったと言っていた。数年前は怖がってさわろうともしなかったのに…。発達段階だったのかなと思った。息子の一番でないと嫌だというわがままも、発達段階なのか、それともわがままか…。どう対処していいのか、考えさせられる。
2007年11月14日

小学校の健康診断
 保育園の娘が、来春の小学校入学に備えて、小学校に健康診断に出かけた。母親は別室で説明会、娘は5年生に迎えてもらったようで、知らない環境で寂しくなかったかと思いきや、のびのびと過ごして来られたようだ。これまであっという間の6年間で、我が子の成長の早さを思う。これからどんな子に成長していくのか心配もあるが、ここまで育ててくださった神に心から感謝すると共に、これから一層神の愛をしっかり受けて、信仰の上でも成長していくように、どうしていったらいいのか、一層接し方に心していかねばならないように思う。
2007年11月13日

いてくれる喜び
 礼拝に出席できなかった方々にテープをお届けすると共に、求道者のご家族で病気療養中の方や、明日米寿の誕生日を迎える方をお訪ねする。短い時間だが、お話しして祈り、あるいは一緒に賛美したりする。高齢者の方は、お訪ねした時は、元気ないい表情を見せてくださる場合が多い。ずっと付き添っているご家族の方はそうはいかないだろうが、そのご苦労を思うと共に、どんな苦労があっても、そこにいてくれる喜びがおありだろうと思う。お訪ねしてそのお気持ちの一端でも共有させていただくことができればと思う。
2007年11月12日

市内の牧師会
 市内の牧師会があり、議事以外の話をいろいろした。静岡市内には、現在連合会と連絡会という二つの牧師会があり、なぜそう分かれたのか、活動はどうなっているかなど、外部から転任して来られた先生方には分かりにくい状況になっているが、その経緯とともに、そういう中でどう交わりをしていったらよいのかという話をする。幸い、市内の諸教会は、NCC系の教会もJEA系の教会も、それほど壁があるわけでもないが、かといって、統一して何かをしているかというと、新年連合礼拝やイースターの復活祭、その他婦人部の活動以外はそれほどでもない。仲は悪くはないのかもしれないが、緩やかな結びつきという感じだろうか。リーダーが必用だという声もあがったが、その通りかもしれないとも思った。ただこういう場でお互いの情報交換をすることはとても重要と思う。
2007年11月11日

礼拝に集う人々
 礼拝には、様々な方がおいでになられる。長い長い祈りの末、礼拝に本当に久しぶりに出席できた方、また明日、新しい職場の面接を受けようとしている方、病気との闘病の中大変な思いで出席される方、外国に招かれた喜びを胸に出席される方、喜びと感謝の証しを携えて来られた方…。人には言えない試練の中にいる方もあるいはいたかもしれないし、多くの平凡な日々を過ごしていらっしゃる方もいるだろう。私はその中の一部の方の話を伺い、祈る事しかできないが、でもそういう方ひとりひとりに、ご臨在の主が語りかけてくださるからすばらしい。信仰を与えられて、またそれぞれの人が歩み出されることを、心から祈りたい。
2007年11月10日

世界の飢餓の現状
 国際飢餓対策機構の年次報告をいただいた。これは、世界の飢餓問題のために労しているクリスチャンの団体で、私たちの教会では17年位これを応援している。今、世界には飢餓で苦しむ人が8億5400万人もいて、飢餓が原因で1分間に17人もの人が亡くなっているという。そのうち12人は子どもだそうだ。方や日本のような国では、大量生産、大量消費、大量廃棄の日常が繰り返され、肥満となる人が多く、美食やダイエットのために多額の消費をしているというアンバランスがある。世界の食物の生産状況は、世界中の人が食べて足りるだけのものが製産されているというのに、この不均衡だ。環境問題に目を向ける人が多くなったが、飢餓問題にも目を向け、自分さえ良ければという考え方を修正していく必用をまた感じさせられた。日常の小さな一歩からだ。
2007年11月9日

英和の修養会
 英和の修養会があった。これは中学高校で、授業を一日取り止め、外部から講師を招いて有意義な講演を伺い、その後は各クラスにひとりずつ牧師が配属され、生徒たちにいろいろ話をさせていただくまたとない機会だ。今回は、牧ノ原やまばと学園の理事長長沢道子先生の障害者と向き合っておられる大変有意義なお話しを伺い、その後私は一年生のクラスに配属された。一年生は修養会も初めてでういういしく、質問も新鮮だった。このような機会に少しでも教会を身近に感じ、神を信じて生きることの尊さを実感してくれればと思った。
2007年11月8日

灯油を買いにいったけれど…
 今朝は静岡でこの秋一番の寒さだったとか…。いつも日の出前に起きるので、今朝は特に空気がひんやりと感じた。そこで、一応灯油を買ってきて、ファンヒーターをいくつか準備しておこうと、買いに行った。ところが、日中はとても温かくなり、汗をかくほどの陽気…。ファンヒーターは準備したものの、まだ早すぎたなと思ってしまう。昨年はちょっと準備が遅くなり、いざという時、すぐに使えなかった。まあ、備えあれば憂いなしということでいいにしようと思う。
2007年11月7日

ちまたでは早くも…
 教会の近くの一般の家庭で、早くもクリスマスイルミネーションが飾られていた。広告を見ても、イルミネーションが出始めているようだ。包装雑貨店に文具を買いに行ったついでに、スパイラルキャンドルが入荷しているかどうか聞くと、入荷しているとのこと、早速2箱ほど買い求めた。昨年は11月末に買いにいったところ、もう欲しい色はなかった。今年は何とか求めることができホッとする。世の中のクリスマス準備は、本当に早いことを思う。こちらも、まず心の備えだけはしっかりしていかないとと思う。
2007年11月6日

連合収穫感謝礼拝
 市内の7つの教会合同の連合婦人部収穫感謝礼拝が当教会で行われる。いつもより早い開催ということもあり、出席者はやや少なかったが、それでも諸教会が集まって共に礼拝をささげ、また共に交わる幸いを思う。姉妹達がこのためにいろいろ相談して準備し、いい集会だったように思う。市内のある教会では、牧師先生がとても危険な状態にあるということが話された。皆で心会わせて祈った。そういう支え合いがとても尊いものと思う。
2007年11月5日

子どもの成長の早さ
 年長の娘が、クリスマス会のページェント(降誕劇)で、ガブリエルの役をもらってきた。最初に独唱のあるとてもやりがいのある役だと思う。娘ももう年長で、ページェントをする年になったんだと思うと、月日の経つのの早いことを思う。ほぼ2年前、クリスマス会のビデオを買った時、自分の登場していた劇もさることながら、お兄さんお姉さんが演じるページェントを何度も何度も繰り返して見ていた。子どもながらにその姿にあこがれていたのだと思う。いよいよ今度は自分達がする番となり、陰ながら応援したいと思う。成長の早さに、今しかできないことをしなければと思うと同時に、一日一日を大切にしたいと改めて思った。
2007年11月4日

冷や汗の児童祝福式
 児童祝福式があり、教会学校の生徒など、7人の子どもたちのために祝福を祈った。一人ずつ手を置いて祈ったが、最年少の2歳の女の子の時、しくしくと小さな声で、何とも悲しそうな泣き声が聞こえてきた。祈り終わってその子の顔を見ると、泣いていた。その子は、東京からおじいちゃんおばあちゃんの住む静岡に来て、私とも数回しか会ったことが無く、その子にとってわたしは「知らないおじさん」も同然。しかもみんなの前に出て、その子にはまだよくわからないお祈りまでされるのが怖かったのかなと思い、本当に申し訳なく思った。そんなハプニングもあり、冷や汗ものの祝福式だったが、子どもたちに神様の祝福が豊かにあるように、本当に心から祈らされた。
2007年11月3日

恵みの中で高慢にならず
 聖書学院時代の先輩が牧会している教会についての証しを読んだ。思いがけぬ様々な困難が重なる中、教会員が一致して祈り、会堂が与えられていったということだった。その中で先輩ご自身が神の前に砕かれ、教会は主のものだと実感したとの事だった。そこに至る先輩方のご心痛を思うと共に、主の御名を心から崇める。一方、今自分の置かれている環境を思うと、とても恵まれていると思うし、それでいつしか高慢になってしまってはいけないことを思う。主に感謝しつつ、信仰の原点を忘れてはならないことを教えられた。
2007年11月2日

やすでの大量発生
 数日前から、やすでという体長2〜3センチのムカデに似た足がたくさんある虫が大量発生し、教会の庭から建物の中にも僅かな隙間を利用して入り込んでくる。教会が山のすぐ麓にあるために、このような影響があるのかもしれない。ムカデのように人を刺したりはせず、体も小さい上、すぐに丸まってしまうが、あまり見た目が良くない。とってもとっても入ってくるので、ほとほと閉口気味だ。各地ではもっと大型の虫だとかとかげだとかの大発生のニュースを聞く。まだやすで位ならいい方なのかもしれない。そう言えば、聖書にも出エジプトの直前に、ぶよやカエルが大量発生し、人々を悩ませたということが出てくる。地球環境のアンバランスが、いろいろなところに少しずつ影響を与えているようにも思う。これも何かのサインだろうか…。
2007年11月1日

HP開設7年を迎える!
 今日になって気が付いたが、当ホームページを開設したのが2000年10月31日なので、丸7年が経過したことになる。ヒット数の少ない貧しいページではあるが、見て下さる方がそれでもいて、ここまで保ってこられたものと思う。当初、地図と集会案内だけでもと思って開設したが、それ以後、なかなかパソコンに集中して向かう時間がなく、願いはあってもHPを充実させることができないで来てしまった。願わくは他教会のHPもよく見させていただき、内容をもっと充実させることができるように、がんばらねばと思う。