2007年10月31日

主のみ約束に変わりはなし
 難病の方を訪問する。だんだん運動機能が損なわれていき、声も出にくくなってこられた。想像を絶するつらさだと思う。それでも前向きの思いは失わず、「歌いつつ歩まん」という賛美歌の愛唱歌を1番から4番まで一緒に歌われた(声はほとんど出ないが、口はしっかり動かして…)。「主のみ約束に変わりはなし、みもとに行くまで支えたまわん。歌いつつ歩まんハレルヤハレルヤ、歌いつつ歩まんこの世の旅路を。」この方の願いであり、祈りであると思うし、私も主はきっとそうしてくださると信じつつ一緒に賛美する。
2007年10月30日

刑務所での賛美歌
 夕方、刑務所に出かけた。集まって来られる十数人の方に聖書の話をしている。時間が1時間と限られていて、個人的にお話しする時間もないので、時々アンケートを実施し、感想や質問などを書いていただいている。その中に、賛美歌を歌うのがとてもいいと書いてくださった方が3人いらっしゃった。そこで、今日は賛美歌を多めに歌った。男性ばかりで、賛美歌など歌ったことがない方が大部分なので、正直どうなのかなと思っていたが、喜んでいただいているということがわかり、嬉しかった。いつも、施設内では歌を自由に歌ったりしてはいけないようだ。そういう中で賛美歌を歌えばなおのこと、その歌詞から心に響くものがあるのではないだろうか。
2007年10月29日

恵朗クラブ18年
 恵朗クラブという集いを始めて18年になる。これは、地域の高齢者の方のために、教会を開放し、聖書からの短いお話しの他、賛美歌や季節の歌、おりがみ、簡単な体操などをし、お昼は当教会の婦人会の方々が手作り料理でもてなしてくれるという集会だ。月に一度の集いだが、地域の高齢者の方々がこれを楽しみに集ってくださる。教会に親しみをもっていただけることひとつとっても、とても感謝なことだ。奉仕を続けてくださる教会員の方は、なかなか大変だったと思うが、今日も皆さんと和やかに過ごすことができて何よりだった。
2007年10月28日

他の教会のバザー
 礼拝後、病者の訪問に出かける前に、市内の他教会のバザーの様子を見に行く。なかなか他教会のバザーを見ることのできるチャンスがないが、今日は行くことができた。皆さんが和気あいあいと楽しそうに奉仕されている姿、男性の方もどんどんと皿洗いをやっていらっしゃる姿が印象に残った。またおそろいのエプロンも決まっていた。私たちもあと一カ月足らずでバザーがある。地域に教会を開放する機会でもあるので、心して準備していきたいと思う。
2007年10月27日

映画「マリア」この冬公開!
 このクリスマスに、映画「マリア」(本当の名称はThe Nativity Story)が全国劇場公開されるようだ。かつてパッションという、主イエスの十字架の場面だけを取り上げた映画があったが、これは主イエスの誕生の場面だけを取り上げた映画のようだ。これまで、主イエスの生涯を取り上げた映画は数多くあったが、たいてい誕生の場面は数分で終わりというものが多かったが、この映画は誕生だけで100分というのだから、今までにないもののようだ。内容も聖書的なようで、ビリー・グラハム師らの推薦のことばもあるようだ。ただ、残念なのはまだ静岡での上映が決まっていないこと。浜松、小田原ではあるそうだが…。何とか静岡でも上映してくれれば、教会の皆さんと見にいくのだけれど…。
2007年10月26日

提出してホッとしつつも…
 「成長」という教会学校の教案誌の原稿を何とか締め切りぎりぎりに投函することができた。多くの先生方と分担しているので、私はほんの一部だが、子どもたちに分かりやすく、諸教会のお役に立つようにとの思いをこめて欠いているものの、ストーリー的な内容の聖書物語を書くのはそれほど難しくはないが、主題説教や書簡がテキストの場合などは、どのように話したらいいだろうかということをいろいろ考えさせられる。大人には当然のように分かっても、子どもには案外難しいということも多々ある。そういう子どもの目線をどの程度理解できるかが大切なように思う。少子化の影響もあって、教会学校に集う子どもたちも減少傾向にある中、聖書がしっかりと語られる、魅力ある教会学校であってほしいと願いつつ、これからも心を込めて書いていきたいと思う。
2007年10月25日

病者のこころ
 妻と共に、3件の教会員宅を訪問する。いつも、教会ではゆっくり話せないので、この機会にいろいろとお話しし、あるいはご病気でお休みになっている方には、その様子を伺い、共に祈ることが目的だ。ある方は、お体が弱くなって、皆さんにお世話になりつつも、申し訳なく、何も恩返しができないというお気持ちを話してくださった。お元気な頃は、皆さんの世話をされる方だったので、余計にそのようにお感じになるのだろうと思う。「皆さん、喜んで仕えてくださっているのだから、心を込めお礼を申し上げれば、それで十分だと思います。神様のお恵みだと思って受けてください。」ということをお話しし、妻が「そういう皆さんのために祈って下さい」と話すと、「ええ、祈っています。」という答えが返ってきた。ただ訪ねるばかりでなく、病者の心を少しでも理解し、慰めとなるような訪問となるよう、主の助けをいただく必要を思う。
2007年10月24日

ギデオン役員の訪問
 ギデオン協会静岡支部の方が訪ねて来られた。ギデオン協会というのは、聖書を無料で配布している超教派の信徒の団体だ。メンバーに加わってくださる方を求めているとの事だった。かつては、当教会からも有力なメンバーを送り出すことができていたが、今はなかなか難しい。また、学校でも聖書贈呈を昔のようには歓迎しなくなっている現状もあるようで、そういう意味でも困難があるようだ。しかし、これまでギデオンの聖書で教会に導かれ、救いに導かれた方も多数いらっしゃることを思うと、何とか続けていただきたいと思うし、祈らねばならないと思う。早速、祈祷会で出席した皆さんにも祈ってもらった。
2007年10月23日

ちょっとしたうそが原因?
 老舗が営業停止になってしまったことは、とても残念だ。もともとは、ちょっとしたうそだったような気がする。(そんなに簡単ではないのかもしれないが…。)それで、長年の積み重ねを棒に振ってしまい、また多くの従業員が路頭に迷うようになってしまうとは、何とも悲しい話しだ。人間は、自分の良心に従っていけば大丈夫という感じを持つが、人間の良心は、残念なことにそれほどあてにならないものだと思う。やはり、私たち人間にはしっかりとした導き手が必要ではないか。ニュースを見ていて、そんなことを改めて感じるこの頃だ。
2007年10月21日

ホルンによる賛美
 ホルンのチャペルコンサートのために、宮田四郎兄がご奉仕くださった。コンサートももちろんすばらしかったが、私が一番感動したのは礼拝の中でささげてくださった「アメイジンググレイス」、心に響くその音に圧倒され、心に主の恵みが迫ってきた。宮田さんの演奏をささげる信仰が共鳴したのかもしれない。「驚くばかりの恵み」…。本当にそうだ。驚くばかりの恵みの数々を注がれてきた。ただただ感謝をささげるばかりだった。「キリストの愛、我に迫れり」だった。
2007年10月20日

はかなさの向こうに

 葬儀となると、どうしてもその緊張感からか夜はよく眠れず、早く目が覚めてしまう。葬儀の司式は、この16年余りで40回近くしてきたが、何度していても、残されたご家族のことを思うと、その寂しさ、切ない思いは拭い切れない。出棺前に柩にお花を入れるご家族のお別れ、あっという間に遺骨になってしまうのを見ると、人の世のはかなさをつくづくと感じさせられる。でも同時に、だからこそ福音の持つ意味の大きさ、死の向こう側にも希望を与え、主イエスの復活によってそれが確かなものだと示してくださった神のご計画の深さ、神のめぐみを思う。どこまでも深い神の愛を思い、故人を神の御手におゆだねし、ご家族のために心から祈らされた。
2007年10月19日

ご遺族のことばに感動
 葬儀があった。賛美歌と祈りを持ってお別れの時を持った。最後に、ご長男が、「父は高校の教諭をしていたが、私には一度も勉強しなさいと言ったことはありませんでした。母も多忙な生活をしていましたが、良き理解者、協力者でした。夫として、父としても、いい人生を送った父でした。」というような挨拶をなさった。長年一緒に住まわれた家族にそう言ってもらえることは、お父さんにとってもどんなに喜びだろうか。また、ご長女の演奏される賛美歌に送られ、心にとてもあたたかいものを感じた。
2007年10月18日

35年前の結婚式
 今日はいろいろな方が教会においでになったが、その中で35年前に教会で結婚式を挙げられた方が、ご夫妻で遠方より感謝に来られた。このご夫妻は、クリスチャンではないが、35年間毎年ご家族で感謝に来てくださっている(今年は仕事のスケジュールが合わずで、息子さんご夫妻はおいでになれなかったが…)。当時司式をさせていただいた私の両親共々、当時の結婚式のことや、いろいろなことをしばしお話しし、この教会で結婚式をさせていただいたことが、私たちの原点だとおっしゃっていただき、本当に嬉しく感謝に思った。祝福を心からお祈りし、お別れする。こうして、教会で結婚式を挙げたことを喜んでいてくださる方がいてくださることを思うと、私たちも大いに励まされた。このところ、結婚式場での結婚式が多い中にあるが、教会で結婚式をされる方には、一層心込めて備え、司式させていただく必要を感じた。
2007年10月17日

舞台作り
 祈祷会の合間を縫って、ホームセンターに行き、板を買ってきて、あと数日後に迫ったチャペルコンサートの舞台を作る。ホルンという楽器は、後ろに向かって音が出るので、壁に近いと音が反響しすぎてしまうようだ。そこで、既存の舞台の前にさらに出して設置する。ホルンの宮田さんは、このために9月にもリハーサルに来ていただき、今回も前日からおいでくださり、準備してくださるそうだ。これまで、これほど準備をして備えてくださった演奏家はなかったように思う。当教会の音楽好きの信徒の方が、それだけ備えてくださればきっといい音楽会になるでしょうねと話しておられた。本当にそうであろうと思う。私たちも、大きな期待を持って、祈りつつ備えていきたい。
2007年10月16日

麻酔がようやく効いた!
 昨日に続いて、今日も夕方歯医者に行く。1回目、2回目の麻酔は効かなかった。3回目もやって、もしこれで効かないようなら、抗生物質を飲んでいただいて数日様子を見ましょうと、最後通告?をつきつけられた。3回目の麻酔は痛かったが、何と麻酔が効いたではないか!ゴリゴリ、ガリガリ、ギコギコといろいろやったが、ほとんど痛くはなかった。目を閉じていたので(器具を見ると恐怖感があるのではないかと思ったので)、その間いろいろ祈ることができる心のゆとりもあった(不快感は多少あったが…)。という訳で、神経が抜けたそうだ。これから一層はみがきを、時間をかけて丁寧にしっかりやらないとと思った。
2007年10月15日

麻酔が効かない!
 歯医者に行った。奥歯のかぶせてある下だったし、痛みも全くなかったので、気づかないでいたが、舌にひっかかるのでおかしいと気づいた。やっぱり虫歯で、葉の根本近くまで虫歯なので、神経を抜かねばならないと言われてしまった。麻酔を二度、三度繰り返したが、麻酔が効かない…。炎症を起こしているようなので、今日は薬を詰めて、明日にしましょうということになった。だんだんからだに力が入っていたのだろう。歯科助手さんが、「力を抜いて楽にしてください」と言われ、ハッとした。昨日の礼拝の招詞「力を捨てよ、知れ。わたしは神。」という主の宣言の言葉。何でも力が入りすぎると、さほど痛くない痛みも痛く感じるし、自分でがんばらないと…という思いは、神の領分を飛び越えて勇み足になってしまいかねない。明日は力を抜いて臨みたい。でも、やっぱりちょっと怖いなあ…。
2007年10月14日

召天者の家族
 礼拝後、昨年召された方のお宅をお花を持って父と共に訪問する。同居の娘さんご家族が残され、娘さんが看病疲れもあってご病気でいらっしゃったので、どうしていらっしゃるか気になっていた。残念なことに、娘さんは外出中(お仕事中)でいらっしゃらなかったが、お孫さんに会うことができた。お孫さんの元気なしっかりした様子を見て、またお母さんも普通に生活していると伺い、ホッとする。残されたご家族が、親の信仰を見て、信仰を継承してくださることが一番の願いではあるが、そうはならなくても、ずっとよい関係を持っていくことが教会の使命でもあるように思う。祝福がこのご家庭にもあるようにと祈る。
2007年10月13日

聖書と音楽の出会い
 「聖書と音楽の出会い」という集いがあり、英和女学院に出かけた。渡辺忍先生のメッセージに感動し、またバイオリニストのジョン・チャヌさん、そしてピアニストの矢島さんの演奏も本当にすばらしかった。この集会は、聖書協会が主催してくださったものだが、聖書協会がどのような働きをしていたのかということを知らせていただき、何気なく手にしている聖書にも、多くの人の祈りと献身があったものと、改めて感じることができたいい集会だった。市内の他教会の先生や信徒の方など、多くの方々(270名集まったそうだが)とも出会うことができ、主にあってひとつなんだと、また心合わせて賛美歌を歌い祈ることができた幸いを思う。
2007年10月12日

退院の感謝
 午後退院された方が、奥様、息子さんと一緒に、そのまま教会に立ち寄られ、感謝の祈りに来られた。今回は1ヶ月半余りの入院で、筋力は多少衰えているかもしれないが、以前と変わらない明るさで癒された喜びを共に分かち合うことができた。何よりも主の癒しに感謝すると共に、この方の信仰の姿勢に励まされた。聖書にも、重い皮膚病が癒された人の中で感謝をしに主の下に帰ってきたのは十人中わずか一人だったという記述があるカ所があるが、感謝の心はあっても、それを実行に移すことは難しい場合もあるだろう。しかし、こうして感謝をしに、わざわざ教会に祈りに来られた姿に教えられる。更なる癒しと主の守りがあるように祈る。
2007年10月11日

夜の病院
 帰ってきたわが子が、足が痛いと言って、足をひきずって歩いているので(朝はそれほどでもなかったが)、夜医者に連れて行く。レントゲンを撮ってもらい、幸い骨には異常がないけれど、少し腫れがあるから打撲ではないかということだった。そのうち普通に歩けるようになるでしょうと言うことだったのでホッとする。私たちより先の二人の子どもは、腕の骨が折れていたらしく、「痛いよう‥」という悲痛な叫び声を上げ、診察室から腕をつって出てきたので、何とも気の毒に思った。子どもの怪我や病気というのは、何ともかわいそうに思う。親御さんもどんなにか心痛むことだろう。父なる神も、我らの姿をそのような愛を持って見ていて下さるのでは…と、親の視点を通して改めて感じさせられる。
2007年10月10日

バビロン捕囚の中にも
 祈祷会ではこのところ列王記の最後の部分を読んでいる。今回は、その一番最後、バビロン捕囚後の記事について学んだ。そこには、ヨヤキンという元ユダの王が、37年の牢獄生活の後、バビロンの王に解放され、以来バビロンの王と共に食事をするようになったと記されている。列王記は、失敗の歴史とも言うべきバビロン捕囚へ至った経緯が記されているが、最後にこのような記事が記され閉じられていることは不思議なことだ。ただ、このヨヤキンというダビデの血筋を継ぐ元ユダ王が、エコンヤという名前でマタイの福音書のイエス様の系図の中に名を連ねている。失敗の歴史と思われる中にも、神の憐れみの御手が延べられ、救いの歴史が着実に営まれていたのだ。神の憐れみは尽きることがないこと、絶望と思われる中にも救いのご計画が進められていたことを思い、
今日でもそうあることを思う。
2007年10月9日

牧会訪問
 9月末から牧会訪問(面談)を行い、教会員の方と個人的にお会いしていろいろな話を伺っている。今日もあるご夫妻とお会いしたが、「朝、起きる度に感謝だね」と話し、その感謝を奉仕で表そうとしていてくださる旨を伺い、私たちも本当に嬉しく感謝だった。そのご夫妻は、本当に陰での奉仕を進んでしてくださっている。教会での奉仕は、救われた感謝、恵みへの感謝が動機であるべきだということはよく言うものの、そうはいかない部分もあるようだが、本当に感謝からされる奉仕はすばらしい。そういう方々が、本当の意味で教会を下支えしてくださっているように思う。牧会訪問ではそういう様子を伺い、私たち自身も励まされている。
2007年10月8日

ゴスペルライブ
 ゴスペルライブが行われた。午前の大雨も午後には上がり、晴れ渡った空に感謝する。我が「ブランチーズゴスペルクワイヤ」単独での初めてのコンサートだったが、60名近い方々が集まってくださり(他にクワイヤのメンバーが17人)、まだ発足して一年足らずのクワイヤの歌だが、楽しんで聞いていただけたのではないかと思う。いつもは静かに賛美歌を歌うことが多い教会で(それも心に響くすばらしいものだが)、元気な賛美をお腹の底から歌うこともほんとうにすばらしいことだと思う。また、こういう機会でないと教会にも来ない人がいることを思うし、若い世代の方々に少しだが福音を伝えることができて感謝だった。
2007年10月7日

バッハの貢献
 教会では週報という印刷物を毎週配布している。礼拝のプログラムや連絡事項等も掲載されているが、下段に様々なトピックを取り上げ、このところは教会音楽について取り上げている。今回は、バッハのことを、もう一度調べて取り上げた。彼は音楽の父と呼ばれ、一般の曲も数多く作曲しているだろうが、教会音楽に対する貢献もとても深い。教会の音楽監督となり、200曲ものカンタータ(オーケストラ伴奏付きの声楽曲)を作っている。それらは、聖書の内容とリンクして、「この日曜日にこの聖書のカ所が読まれるので、そのための曲」という具合だ。彼は、譜面の最後に「ソリ・デオ・グローリア」(ただ神の栄光のために)と記していたことはよく知られている。本当に信仰の中から生み出された曲を、今日教会で聴く機会は少ないが、ぜひ聞いてみたいと思うし、教会の皆さんにもそういう機会を持てたらと思う。
2007年10月6日

子どもの運動会
 保育園で子どもたちの運動会があった。長女は年長で組体操をやったが、体が大きい方なので土台(下)の役が多かった。私は、小学生・中学生の時、それぞれ組体操をやった記憶があるが、小柄な方だったので上の方に乗る役目が多かったように思う。我が子が下になっている様子を見て、下の子も大変なんだとあらためて思った。わざが完成した時の、子どもたちの「ヤー」というかけ声がなんともかわいらしかった。こういう時に子どもたちの成長ぶりを実感させられると思った。今日まで育ててくださった先生方、そして何よりも神様に心から感謝する。
2007年10月5日

病の中でも感謝に変わる
 朝祷会という超教派の朝の祈り会があり、今朝は清水から3人の方が来られた。集会後、皆でいろいろな話をしているとき、病気の話になった。その中のひとりの年輩の方が、「信仰が与えられているとすごいですね。病気になっても、感謝するように変えられる。普通だと、何で自分がこうなったのかと考えるんだろうと思うが…。」と、御自身の経験の中から話してくださる。多くの方々の姿を見て、本当にそうだと思った。自分が病気になったらそうなれるかなと思ったりもするが、神様はそういう時にこそ近くにおいでくださり、一層豊かな恵みを注いでくださる方に違いない。
2007年10月4日

明け方の美しい空
 朝4時過ぎに目が覚めてしまい、いつもより少し早めに教会に行こうと外にでると、久しぶりによく晴れていて満天の星空だった。下弦を少しすぎた月が明るく輝き、そんな中でもオリオン座を初めとする冬の星座が南中し、星々も月の明るさにかき消されず、よく見えていた。天頂付近に赤く明るく輝くのは、火星だろうか?東の空には一番明るく輝く明けの明星の金星。東から北斗七星も上り初め、北極星を指し示していた。昔は時々望遠鏡を持って、山奥に星を見に行ったものだが、このところは全く行っていない。でも、久しぶりに星を見上げると、静岡でもまだこれだけ星が見えると思い、何かすがすがしい思いになった。「神は北斗やオリオンを、すばるや、南の星座を造られた。」というヨブ記の一節を思い起こし、遙か宇宙のかなたまでも支配される神の御手を思った。
2007年10月3日

ささやかな誕生会
 おじいちゃんたちを家に招き、誕生日を祝う。妻が手作りのチョコレートケーキを作り、子どもたちが部屋の飾り付けをする。小さなことだけれど、子どもたちはなぜかとっても嬉しそうで、朝から張り切っていた。ケーキを食べられるからだろうか?それとも、みんなでハッピーバースデーを歌ってお祝いする雰囲気が好きなのだろうか?おじいちゃんもいろいろ体の弱さを覚えているものの、今日まで守られたことは本当に感謝だ。先日、年を取ると体を動かすのがおっくうになると話していたのを思い起こすが、おじいちゃんはそれでも毎日からだをいっぱい動かして、植木の手入れなどしている。それが健康の秘訣かもしれない。主の守りを感謝し、ささやかだが誕生日を祝えたことを感謝する。
2007年10月2日

教会を狙った振込詐欺
 クリスチャン新聞に、教会を狙った振込詐欺に対する注意が警告されていた。それは、海外からを装い(?)、親族が遺産を献金したいと言っているので、そのため必要な口座を開設するために、まずお金を振り込んでほしいという内容だ。その病床にある方の写真を送ってきたり、教会で使われる言葉を用いたりしてきたそうだが、その教会の牧師先生は、振り込んでほしいと言われた時におかしいと気づかれ、事なきを得たようだ。
教会まで狙った詐欺が現れるとはと驚くと共に、気をつけないと…と思った。
2007年10月1日

ライフライン委員会
 福音テレビ放送「ライフライン」のための委員会(正式には静岡福音放送協力会)があり、出席する。県内の8人の牧師が集まって、福音放送のためのさまざまな課題を話し合い祈る時だ。来年の視聴者の集いの日程などを話す。また、昼食時にはキリスト教界の様々なことが話題となり、いい情報交換の場となっている。様々な教派の先生が集まるので、今回もキャンプ場のことやある神学校で直面している経済的な問題など、いろいろ教えていただいた。とかく、自分が牧会している教会の問題に終始しがちだが、広い視野を持っていくことの大切さを思う。伝道も、自分の教会だけが祝福されればいいといった自己目的的な伝道にならないように、ひとりでも多くの人が本当の福音に触れていただけるように考えていく必要があることを改めて思わされた。
2007年9月30日

文書伝道
 クリスチャン新聞の編集長の方が東京からおいでくださり、礼拝で証しをしてくださった。一冊の本をプレゼントしたものの、長い間読んでもらえなかったが、試練の時にふとその本を開いたことにより、「この本には大切なことが記されている」と気づかれ、教会に導かれた方がいらっしゃるということを聞いた。文書というのは、そういう働きもするということを改めて覚えさせられ、それらをもっと用いていくことの大切さを感じた。自分のために読む本ばかりでなく、文書伝道に積極的に用いていけるように、教会の皆さんにも働きかけていく必要を感じた。
2007年9月29日

気温が15度近くも下がる
 昨日は静岡の最高気温は34.6度と全国一だったそうだが、今日は日中20度以下と、一度に15度近くも下がったことになる。ちなみに今日の最高気温は25度台だったが、これは夜中に記録したもので、日中はむしろ下降傾向だったようだ。これまで、異常なほど暑い日もあったので、涼しくなってホッとする一方、こう気温の変化が激しいと、高齢者の方や病気の方など体調管理がうまくいかないのではないかと心配になる。これまでいろいろな方を訪問して思うことは、体が弱くなってくると、気温の変化、気圧の変化に身体がついていきにくくなるということだ。明日の礼拝は、皆さん元気でおいでになれるといいが…。
2007年9月28日

何とかしたいが…
 退院したばかりの男性の方を訪問した。長い間入院をされていて、退院できたことは本当に良かったが、生まれながらの障害をお持ちで一人暮らしでいらっしゃるためとても心配だ。とても疲れた表情をしていらっしゃった。当面の間、ヘルパーさんが毎日来てくださるということだが…。教会でも何とかできればいいと思いつつも、それが長期に渡る援助となると、なかなか難しいのが現実。ともかく、私にできることは、時々お尋ねして祈ることだが、教会の皆さんにも声をかけていただくようにお願いしようと思う。もっと教会が成長し、こういう方を少しでもお助けできる体制ができればと、いつも願わされる。
2007年9月27日

ちょっとした不注意で…
 ちょっとした不注意で、車のバッテリーが上がってしまった。自分が朝、車に乗った時、キーを差したままにしてしまったのが原因らしい。妻が夕方、子どもたちを迎えに行こうとした時、そうなっていたとか…。ブースターケーブルを引っ張り出してきて、教会の車とつなぎ、何とかエンジンはかかった。これが出かけた先で、JAFを呼ばなければならない事態になったらと思うと、自宅で良かったと思った。エンジンルームを空けてみると、クーラントが少なくなっているのにも気づいた。12ヶ月点検の時が迫ってはいたが、日頃のちょっとした点検を怠っていたことにも気づかされた。信仰も似ているところがあるのではないか。日頃のちょっとしたゆるみがあると、神様はそれに気づかせてくださろうとしてくださるように思う。そのサインを見逃さないようにしたい。
2007年9月26日

アンパンマンの原作本
 保育園の運動会でアンパンマン体操をするということで、妻がアンパンマンのお面の絵を描いていた。アンパンマンと言えば、作者やなせたかしさんは、クリスチャンだ。1年半位前、妻の実家に帰省した時、高知のアンパンマンミュージアムに出かけた時、アンパンマンの最初の絵本を見た。そこには、バイキンマンをやっつける姿ではなく、お腹がすいた人に出会うと、自らの顔を分け与えるアンパンマンの素朴なストーリー。何とも感動した。キャラクター化されて子どもたちの人気を得たのもいいかもしれないが、今も時々自分の顔を分け与えるアンパンマンの姿がマンガにも出てくるが、その精神が根底に流れているかと思うと嬉しく思う。思わずその原作本を購入してきた。
2007年9月25日

ホームページの改良
 このホームページも、作成当時から基本的にはそのままなので、改良をしなければならないと思ってはいるが、そのためには他のホームページを見たりいろいろ研究しなければならない。なかなか全面改良までする時間がないので、せめてできることからやろうと、まずは教会の各種ちらしをPDFファイルで見ていただけるようにする。これは、PDF化するソフトを導入すれば、手持ちのプリンタ複合機のスキャナ等で簡単にすることができた。そうしようと、ソフトは数ヶ月前に購入していたが、雑用に追われて今頃になってやっと実行できた。あと、礼拝メッセージを聞いていただけるようにしたいとか、教会の様子を写真でお知らせするギャラリーを設けたいとか、いろいろプランはあるのだが…。時間のある時に、少しずつ充実させていきたいと思っている。
2007年9月24日

洗礼式
 お二人の若い女性の方々の洗礼式があった。通常、日曜日に行う場合が多いが、ご本人らの希望もあって祝日に行った。ご本人たちがご家族や友人を多数招かれ(なかなかそこまではできないのだが)、その中には他の教会のクリスチャンの方々も多数いらっしゃり、日曜日だったらそういう方においでいただくのは不可能だろうが(それぞれの教会があるため)、祝日であったからこそ出席して共に喜びを分かち合っていただけたのだと思う。何よりも感謝だったのは、お二人がこの日を本当に恵まれて迎えられたことだ。自分の洗礼の時は、「これでもう後には引けない…」と言った悲壮感のような思いもあったことを思い出すが、神様との関係が近く救いが御自分のものとしてしっかり受け止められているとき、このような喜びの中で迎えられるのだと思う。洗礼式の時はいつもそうだが、私も司式をさせていただきながら、胸がいっぱいになった。
2007年9月23日

妻と働きを分担して
 今日の礼拝は、妻が3回とも説教を担当した。結婚当初、何でもできることは助け合って家事も分担していこうと約束し、自分も朝食の準備と皿洗いなどの食後の片づけを続けているが、妻も牧師として召されている以上、説教をした方がいいからと、祈祷会では月に1度、礼拝説教は2ヶ月に1度、妻に担当してもらっている。ただ、子どもが幼い間はお休みさせていただき、このところまた復帰した。妻は早くから準備し、何度も原稿を見直し、祈りつつこれに臨んでいたようだ。説教している途中、4歳の子どもが母のところに行ってしまい、あわてて私が連れ戻して抱っこする場面もあったが、何とか終えて妻はホッとしているようだった。本当は、説教の内容までお互いに批評し高めあえるといいが、部分的にしかそれはできないが、それぞれの賜物を生かすことができればと思う。二人で主に仕えることができることを感謝する。
2007年9月22日

先の説教の準備
 明日の主日は妻が説教するので、自分もこれから先の説教を少しでも準備しておこうと、この先の祈祷会の説教をひとつ準備することができた。普段はなかなか忙しく、その時その時の仕事に追われ、先の説教まで準備することができないでいたが、今回は準備できて良かったと思う。福島の佐藤彰先生という、大変用いられている先生のお話を伺ったことがあるが、2〜3週先の説教まで準備していらっしゃるとか…。それで温めておいて、間近に見直し、説教なさるそうだ。自分も、何度も読み直しているが、温めると言ってもせいぜい一晩だ。先の説教まで、準備できるようになりたいものだと思った。
2007年9月21日

ゴスペルコンサートに
        向かって
 ゴスペルの練習も、10月8日のコンサートを間近に控え、熱がこもってきた。と、言っても、ピリピリした雰囲気ではなく、楽しくリラックスしてやることができた。ディレクターの北川さんのリードも楽しい。クワイヤのメンバーは、まだ14〜5人と少人数だが、それぞれががんばろうという気持ちでやっていてくださるように思う。ただ歌うだけではなく、みんなでひとつ心になって、歌詞に込められている心を伝えることができたらと思っている。帰り際に、ピアニストのJOY子さんの誕生パーティーをささやかながら行う。サプライズ企画でご本人もビックリ…。良い仲間が集められていることに感謝!
2007年9月20日

清水区の教会
 清水区中心部まで、米寿を迎えた方を訪問に行った帰りに、地図を見たところ近くにいくつか教会があったので、ついでに前を通ってみようと3つ位の教会を見て廻った。ひとつは幼稚園の併設された比較的新しい大きな教会、後の二つは小さな教会だった。小さな教会は、地図から場所はすぐに分かったものの、民家を改造して作られた教会だったりして、伝道がなかなか困難でいらっしゃるのではないかと感じさせられた。隣りの清水区でも、静岡の諸教会とは様子が違うことを感じさせられた。同じ静岡市ではあっても、かつては別の市であったこともあり、一部の教会を除いて、なかなか清水区の諸教会とは交流の機会が少ない。なんとか、少しでも交流の場が与えられ、祈り合って励まし合えればと思った。
2007年9月19日

立ち返ることを待つ神
 このところ、祈祷会でバビロン捕囚への歩みの中から話しているが、今日はユダ王国末期のヨヤキムの治世を中心に学んだ。列王記(下の24章)には、主がこの国を滅ぼすために諸外国を遣わされたという記述がなされているが、他の書と読み合わせてみるとそれだけでないことに気づく。エレミヤ書には、神に逆らい続けた王のためにも、繰り返し預言者を遣わし、主に立ち返るように訴えている姿を見る(26章、36章など)。「彼らが聞いて、それぞれの悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの悪のゆえにくだそうと考えている災いを思い直す。」とある。何とか民が悪を離れ、神に立ち返ることを望んでおられる姿に、神の愛の深さを思う。今日、イエス様の十字架故にすぐに裁きが臨むということではないだろうが、聖書は終末の時代の困難を預言している。現代の社会にも、神は同じ思いを持っていらっしゃる気がしてならない。
2007年9月18日

各教会の課題と使命
 牧師会があり、それぞれの教会の様々な活動や祈祷課題などを分かち合った。ある県東部の教会は、先の台風9号で強風のためか屋根の一部が破損してしまったようだ。それほど大きな教会ではないので、経済的にはなかなか大変なようだ。またある教会は、これまで多くの若者に洗礼を授けてきたが、神学や転勤のため大部分が都会に出ていってしまい、なかなか定着しないということだった。私たちの教会も、歴史が長いこともあって高齢者が比較的多く、召天者がこれまでもとても多かった。私も、これまでの牧師在任期間に、40回以上の葬儀を経験している。それでも、礼拝出席者数が減らず、微増で推移して来たのは、何と言っても主の恵みだと思う。最後まで、天国にお送りすることも、大切な務めだと思う。それぞれの課題のために祈りながら、またそれぞれの教会に与えられている主よりの使命があるように思うので、そのことを思いながら進んでいきたい。
2007年9月17日

葉っぱの間から見る青空
 子どもたちを連れて、久しぶりに山梨県の公園にでかけた。クラフトパークという道の駅にもなっているところだが、特に何があるという訳ではないが、広い敷地に遊具や噴水や花壇などがある(カヌーもできるらしい)公園で、以前ドライブの帰りにちょこっと立ち寄ったことがあり、今度ここにのんびり遊びに来ようと言っていたところだった。アスレチックで遊んだり、水遊びをしたり、林の中に作られたログハウスで家族ごっこをしたり、のんびりと過ごした。林の中のベンチに横になり、空を仰ぐと、木々の葉の間からの青空がとっても輝いて見えた。芝生で寝そべって仰ぐ青空もすばらしいが、林の中で寝そべってみる青空もまた格別で、神の創造のみわざをたたえつつ、ここちよい風とおいしい空気をいっぱい吸って、リフレッシュできたような気がした。
2007年9月16日

祝婚歌
 結婚式の式辞で、祝婚歌というクリスチャンの方(吉野弘さん)が作られた詩を紹介させていただいた。その中にこんな一節がある。「…互いに非難することがあっても非難できる資格が自分にあったかどうか、あとで疑わしくなるほうがいい。正しいことを言うときには、少し控え目にする方がいい。正しいことを言うときには、相手を傷つけやすいものだと、気づいている方がいい。…」結婚生活の経験の中から生み出されてきたことばのように思う。夫婦だから、言わねばならないことがあるだろうけれども、錦の御旗を握ったかのように、大上段から振り下ろしてしまうと、どんなに正しいことを言ったとしても傷になってしまう。夫婦であるからこそ、相手をことを心から思い、控えめに言うことができる。そんな夫婦になっていただきたいし、私たちもそうありたいと願わされた。
2007年9月15日

結婚式の準備
 明日は礼拝後に教会で結婚式があるため、いつもの礼拝の準備に加え、結婚式の準備をする。100名以上の方がおいでになるということで、教会員の方も数名来て下さり、部屋の掃除はもちろんのこと、鏡やガラス、掲示物の点検など、細かなところまでチェックしてくださり、感謝だった。ふと、もう何年も前の自分達の結婚式のことを思い出した。あの時は、披露宴(レセプションという形で簡素に)も、教会で行ったため、準備はもっと大変で140名位の方においでいただいた記憶がある。あの時も、教会員の皆さんがフル回転で準備してくださり、本当に感謝だった。自分は、新郎新婦入場の直前に、靴を履いていないことに気づき(当時はまだ会堂は土足ではなかったので)、あわてて取りに行ったことを思い出す。結婚式はいろいろハプニングも起こったりする。明日は平穏無事に、祝福された時となるよう祈りたい。
2007年9月14日

高速バスの旅
 教会のすぐ近くに、駿府ライナーという新宿行きのバスが停車するようになったので、一度利用してみたいと思っていたが、今日東京に出張の帰りに利用してみた。バスだけに、時間はほぼ3時間となかなか長いが、何と言っても料金が安い上、一週間前に予約すると20%も料金が割引になる。時間も、遅れるのでは…と思っていたが、時刻表の3分遅れで到着した(渋滞等していた場合は、こうはいかないだろうが…)。これまでは、新幹線を利用することが多かったが、ちょうど一番前の席が指定されていたので、車窓から夜景を眺めたり、車内のテレビ画面に映し出されているカーナビを見て、「こんな施設が東名の沿線にあったのか」と思ったりで、時間もそれほど長いとは感じず、楽しくバスの旅を満喫することができた。ちなみに、金曜夜なので、出張帰りの人もいるのだろうか、やや混雑していた。
2007年9月13日

遠藤嘉信先生の本
 キリスト教書店に行くと、遠藤嘉信先生の本のコーナーがある。遠藤先生は、この6月、40代半ばの若さで召された牧師であり神学者だ。先生は、以前教会学校教案誌の成長の教科研究を担当してくださっていて、東京での執筆者勉強会の時、いろいろご指導くださっていた先生だ。3冊ほど求めたが、どの本もしっかりとみことばの釈義がなされていて、今まで聞いたことのない深い解釈に基づいたメッセージで、とても教えられる。先日、帰省した姉も私が買ったのを知り、とてもいいから貸してと言って読んでいた。先生は、難病の闘病中も、癒しを信じて祈ると言ったご兄弟に、「きみの願いではなく、主のみこころがなるように祈ってほしい」と言う意味のことを言われたとクリスチャン新聞で読んだことがある。自分も、願わくはこのように成長させていただきたい。
2007年9月12日

え!安倍首相の退陣?
 午後の祈祷会直前に、妻から「安倍首相が辞任するらしい」と聞き、本当に驚いた。なぜ、こんなタイミングに…、組閣と所信表明演説をしたばかりなのにという思いは拭えなかったが、人間的に見れば心身共に疲れてしまったのではないかという感じもした。ともかく、祈祷会では、日本の今後のために祈りましょうということで、最近右よりではないかとも言われていたが、平和が保たれ、国が間違った方向に進むことがないように、国民の目線に立った良きリーダーが立てられるようにと、皆で一斉に祈った。聖書にも、「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。」(Tテモテ2:1〜3)とある通りだ。大きな視点に立って、祈る必要を感じさせられる。
2007年9月11日

聞いて行う者こそ
 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24)有名な山上の説教の締めくくりのイエス様の言葉だ。必要があり、このカ所について学びながら、「あなたはどうか?」と問われるような気がした。聖書を学び、聖書を人々に伝えているけれど、「これらの言葉を聞いて行う者」であったかどうか、「聞くだけで行わない者」(7:26)ではないかと、自分の日常生活を考えさせられた。聖書は、こういう行いができれば救われるという自力救済を教えているわけではないが、イエス様を信じれば救われるというところだけに留まって、自らの行いをあまり省みないことが起こりうると思う。み言葉を聞いて行うお互いと、神様の助けによってさせていただけるように、愛する主のみ言葉に一層真剣に聞き、そういう歩みをいつも心がけていく者へと成長させていただきたいと改めて祈らされた。
2007年9月10日

祈りによる開拓伝道
 市内の牧師会が当教会であり、8人の牧師が集まった。議題の他に、それぞれの祈りの課題や情報交換などをしたが、ある先生が30年前の開拓伝道のことを話された。四畳半位のところから伝道を始めたが、そこでは隣に声が聞こえてしまうので、祈ることもできず、安倍川の河原に行き毎日祈っていたと。そこに、時折市内の教会の牧師たち数名が加わり、共に祈った。その中で教会も祝福されていったということだった。やはり、祈って聖霊の力をいただくことの大切さを思った。その原点に帰らなければ…。
2007年9月9日

遠くから来られる方の道をたどってみて…
 今日は、礼拝後の特別な予定が珍しく無かったので、教会員数名と病者の方を訪問し、その後とある市の郊外にある施設からいらっしゃった方をお送りする。片道でバス代が500円以上かかるそうだ。バス停までの歩く時間や待ち合わせ時間を含めれば1時間位かかるそうだが、施設に入って後も、月に一度そうしておいでくださることに、その道を実際走ってみて、改めて感謝なことだと思った。今月末から牧会訪問をするが、かつてある教会の牧師が、そうして訪問をする時、教会に歩いて来る方のお宅はこちらも歩いて訪問し、自転車で来られる方は自転車で、バスで来られる方はバスで訪問すると言っていたが、自分たちはそこまでできるかわからないが、そうして信徒の方の立場に少しでも立っていくことは、牧会の中で生かされるに違いないと思った。
2007年9月8日

1分間に12人が餓死
 クリスチャン新聞を見ていた時、世界では5歳以下の子どもが5秒に1人の割合で、食料がなく死んでいるという現実があると記されていた。この数字から計算してみると、1年間に600万人以上が餓死しているという計算になる。日本では想像もつかない数字だ。世界では、全人類が食べて十分なだけの穀物は生産されているという。ただ、それを、先進国では高級な肉を作るために家畜に与え、大量の食物が捨てられている現実もある。私たちの国も、そういう不均衡に知らないうちに荷担している現実を思うと胸が痛む。神様はどんな思いでこのような世界をご覧になっているだろうか。地球温暖化防止のために、小さな努力を始めている人々が大勢現れているように思うが、こういう問題のためにも、無関心でなく、まず現実をもっとよく知り、その中で自分達ができることをしていくことが大切ではないかと思う。
2007年9月7日

で、でました!最高視聴率
 毎週土曜日朝5時から静岡第一テレビで放送している「ライフライン」というキリスト教の番組がある。毎週クリスチャンのゲストの生き方を紹介し、牧師が聖書からお話しをするのが中心の番組だ。20年以上の長寿番組だ。静岡県の60余りの教会が協力して、この番組を放送している。8月25日放送の竹細工をしている小菅さんがゲストの番組が、な、なんと視聴率5%を記録したという報告が本部からあった。静岡県内で6万数千世帯が見ていて下さる計算になる。何年か前は6時からの放送だったが、テレビ局の方針で朝5時にせざるを得なかった時、見てくれる人がいるだろうかと心配したが、かえって視聴率が良くなり、本当に感謝だ。教会に来るところまでいかなくても、聖書に関心を持ち、好意を持っている方がたくさんいる。そういう方が、イエス様と出会うことができるように、心から祈り続けたい。
2007年9月6日

台風による強風
 台風9号の接近で、朝は激しい雨、その後雨はそれほどでもなくなったが、強い風が吹き、教会の駐車場が葉っぱだらけになった。枯れ葉ではなく、緑の葉っぱや木の枝、中にはかなり太い葉のついた枝もあった。幸い、台風が接近する前に、植木や庭の椅子など、風で飛ばされそうなものは片付けておいたので、被害はほとんどなかったが、それほど大きな台風ではなくても、強力なパワーのあることを感じた。旧約の詩篇などには、暴風雨に神の絶大な力を見たというようなものが出てくるが、自然の前では何でもできるかのように思っている人間の力の小ささを改めて思う。地球温暖化で台風の大型強大化が心配されているが、それらの直撃を受けないことを願うばかりだ。
2007年9月5日

ロトの生き方
 今日の午後の祈祷会は、妻が説教する順番で、ロトの生涯からみ言葉が取り次がれた。ロトの生涯を改めて見つめ直し、彼の子孫がモアブとアンモンという、今後イスラエルを長く苦しめることになる民となったということ、それは彼の歩みにも起因するということを聖書は告げているのではないかと思わされた。彼は、神を信じていなかった訳ではなく、新約聖書にはそれないりのいい評価もなされている部分もあるようだが、神に従うというよりも、神に自分を従わせるというような歩みだった。それが、ソドム滅亡から逃げる時の彼の言葉に表れているように思う。それでも神は、そんな彼をも憐れまれ、モアブの女性ルツもイエス様の系図に名を連ねていることを思うと、主の愛の深さと、信仰によって歩む大切さを思わされた。
2007年9月4日

家庭菜園の味
 8月上旬に植えたきゅうりが3本ほど収穫できた。スーパーで買ってきたものと食べ比べてみたが、やはりみずみずしさが違い、新鮮な野菜はいいもんだと思った。今年は、ゴーヤを5月に1本だけ植えたが、それがものすごくたくさん取れ、我が家で食べられるのはせいぜい週に3本位だが、このところ毎週7〜8本のペースで収穫できるので、土日の朝に収穫しては、教会の皆さんにも持って帰っていただいている。スーパーで買っても1本98円位なので、たいしたものではないが、あの苦みが動脈硬化予防の作用があるとか。我が家でも豚肉とで炒めて食べている(時々とうふと卵も入れてチャンプルにする)が、これがなかなかはまる味だ。もうじき、とうもろこしも収穫できそうで楽しみだ。
2007年9月3日

試練の中にも感謝
 朝、今日午後手術を受けられる方を、妻と共に訪問する。いつものような穏やかな表情で迎えて下さり、これまでの歩みを振り返って感謝され、また主に委ねて手術に臨まれる旨を話して下さった。手を取って主の癒しを祈った。このような試練の中でも、不安もあるとは思うが、それ以上に感謝が口から出てくるということは本当にすばらしい。神様が、こういう時にこそ近くおいでになられて、そういう恵みを与え、平安の内に手術に臨ませてくださるということはどんなに力になるだろうかと思う。私も、今日一日、思い起こす度に祈らされたが、今後も主の癒しを信じて祈っていきたい。
2007年9月2日

良書の分かち合い
 愛餐会(昼食会)では、「この本がよかった」というテーマで、今までそれぞれが読んだ本の中で印象に残ったものなどの分かち合いを行った。榎本保郎先生の「新約聖書一日一章」「旧約聖書一日一生」、金田福一先生の「霊想の糧365日」など、聖書日課を上げる方が数名あり、その中では前述の榎本先生、金田先生の本の人気が高かったように思う。それぞれ、心に迫るもの、霊的な力を感じる本だ。読書が苦手という方もいらっしゃるが、こういう分かち合いを機会に読んでみようと言う気持ちになってくれれば幸いだと思う。
2007年9月1日

主がともにおられる
 土曜日は牧師にとっては備えの日で、いつもはそれほど多くの方とはお会いできないが、今日は多くの方とお会いし、個人的にお交わりをすることができた。喜びの時を迎えようとしている方々、心の渇きを感じていらっしゃると話される方、そして病床の方。それぞれ、通っているところは違うものの、牧師として感謝なことは、それぞれの状況の中でも主が共においでくださり、そのひとりひとりを支えていてくださることを共に感じ、感謝し祈ることができることだ。試練の中にあればあるほど、必要な恵みをもって支えてくださることを周囲の人間も知ることができることは何と幸いだろう。明日は主日だ。私も恵みを分けていただき、ご用させていただけることを感謝する。