2007年8月31日

ゴスペルの女王
 ゴスペルの練習日には、毎回聖書の中から短くお話しをさせてもらっている。このところ、ゴスペルの歴史について話しているが、今日話したのは、ゴスペルの女王と言われるマヘリヤ・ジャクソンのことだ。彼女のことを調べていくと、彼女も波瀾万丈の人生だったことがわかる。7歳で母親を亡くし、妹のところで育てられ、大恐慌の中での極貧の生活、二度の離婚…。でも、そういう中で、ゴスペルを歌うことで、彼女は支えられていたという。ゴスペルの歌詞は、神の愛や神による罪の赦しと救いの喜びを歌ったものが多いが、彼女にとってゴスペルとは、ひたすら喜びと希望を歌うことだったという。私たちも、いつもゴスペルを賛美しながら、一層そういう体験をもって賛美できるものとなれたらと思った。秋のコンサートが10月8日に行われるが、今回も楽しく練習することができた。
2007年8月30日

点訳奉仕
 教会では、毎週「週報」というプログラムや連絡事項、コラムなどを記した印刷物を作っているが、視覚障害者の方はそれを読むことができない。かつて、当教会員で点字ができる方がその奉仕をしてくださっていたが、その方が転居されて以来、点訳ができないでいた。ところが、点訳奉仕団というグループの方が、このような文書でも点訳奉仕をしてくださるということで、この一年余り、ずっとお願いしてきた。用紙代以外は無料で、正確かつ忠実にご奉仕いただき、感謝の限りだ。クリスチャンの方もその奉仕団のメンバーに入っているようだ。私としても、2週間分ずつお願いするので、このところ3週先の礼拝式次第準備することになり、聖書箇所を決めたり、讃美歌を決めたりするのにはかなり時間もかかるが(きょうそれをやり、どこから説教をするかでいろいろ考えさせられたが、9月16日の礼拝の式次第まで何とか決めることができた)、とてもいいことだと思っている。まだ、直接お会いしたことのない方々だが、感謝でいっぱいだ。
2007年8月29日

宣教師のために祈る
 祈祷会では、日本人宣教師のために祈っている。日本から海外に派遣されている宣教師は、43カ国に350人もいるとのこと。今日は、朝青龍の帰国問題があったモンゴル派遣の宣教師のために祈る。7組11名の方(内夫妻が4組)が派遣されているようだ。モンゴルでは宣教の門戸が開かれ、自由に伝道できるということを以前聞いたことがある。それでも、様々な困難があるだろうが、日本人宣教師は、相撲ブームということもあり、モンゴル人の方も心を開いてもらいやすいのではないかと想像する。多くの困難の中、励んでいらっしゃる宣教師の先生方、また派遣している教会やご家族の内に、主の祝福があらんことを心から祈る。
2007年8月28日

皆既月食観察!
 朝の天気予報では曇りだったので、半ばあきらめていたが、夜になって久しぶりの皆既月食を見ることができた。日中は34度と暑かったが、夜外に出るとかなり涼しく、子どもたちと赤銅色の不思議な月と、まただんだんと輝きが増し満月に近づいていく様子を観察できた。
月から地球の方向を見ると、日食になることになるが、そんな宇宙中継も子どもたちが大人になる頃には見られるのかなと思ったりもする。きちんと法則性を持って運動する天体の動きの中にも、神の偉大なみわざを思う。
2007年8月27日

秋の気配が…
 今日も静岡では日中31度位の暑さだった。今年の夏は本当に暑かっただけに、いつになったら涼しくなるのかなと待ち遠しい感じがする。ただ、夜になると、いつの間にか虫の声が盛大になり、子どもたちと寝る時、「ほら、コオロギさんの声がするよ」「あれはマツムシさんかな」と、涼しげな声を楽しませてもらっている。考えてみれば、秋の虫も暑い夏から成虫になって活動しているんだと思った。日没もだんだんと早くなり、明日からは北の方では秋の高気圧が張り出して、秋雨前線が南下してくるとか…。母が、昼間の集会の時に、庭にはえた酔芙蓉(すいふよう)という花を切ってきて、その紹介を皆にしていた。花の色が、朝は白だが、だんだんピンクがかってきて、夕方にはピンクになるという面白い花だ。季節の移り変わりもいいもんだと改めて感じた。
2007年8月26日

神なく望みなく♪
 礼拝で、「神なく望みなく」の賛美(新聖歌358番)を歌っていて、歌い慣れていた賛美ではあるが、改めて心にジンと来た。こんな歌詞だ。「神なく望みなくさまよいしわれも、救われて主を誉むる身とはせられたり。われ知るかつては目みえざりしが、目を開かれ神を誉む、今はかくも。」 この作詞者が、どんなに感謝に溢れてこの詞を作ったか、よく見たら中田重治作詞(ホーリネス教会の初代の監督だった人)となっていて、この方もそうだったかと驚いた。今日の説教の箇所(イザヤ書29章)を通してもそうだったが、聖書のみことばの意味、そのすばらしさが分かるようにされたこと、また神を礼拝する喜びを知るものとされたことは、他にはかえがたい恵みだと、改めて実感した。
2007年8月25日

祝福は千代に至る
 遠方から、若い男性の方が訪ねてこられた。既に神のみ下に召された女性のお孫さんに当たる方だ。その女性は、当教会では信仰の模範を残してくださった方で、若くしてハンセン病の施設の職員となられた方だ。当時、ハンセン病は、感染力の強い病気だと誤解されていて、人々から大変恐れられていたようだ。そういう施設で働くということは、どんなにか勇気が必要だっただろうか。その女性は、主の愛に押し出されたのだろうと思う。お孫さんは、わざわざ遠方から訪ねてくださり、その方の歩みについて尋ねられ、ご自分も聖書を学んでみたいと話してくださった。おばあちゃんは、天国でそれを聞いて、どんなにか喜ばれたことだろうと思った。「祝福は千代に至る」と聖書にあるが、きっとそうであると思う。
2007年8月24日

過去の恵みをふり返って
 夕方、病院を訪問する。「先生ね、今まで主の御手に運ばれてきたようで、感謝です」とその方は話してくれた。まだ入院したばかりで、これから先、どうなっていくのか少なからず不安もあるのではないかと思ったが、小学生の頃から、あの時もこうでした、この時もと、過去の主の恵みをふり返って話してくれた。過去の恵みをふり返りつつ、先のことも主にお任せすることができることは、どんなにか幸いなことだろうかと思った。このような時にこそ、主の平安が与えられ、支えられるのではないかと思った。
2007年8月23日

刑務官の働き
 刑務所の教誨があり、夕方出かける。この頃、全国どこの刑務所も定員オーバーで、例えば5人部屋に6人収容などという現実なのだそうだ。当然部屋には冷房や扇風機などなく、暑い夏の間は特に大変だ。職員の方に、「こう暑いと入所されている方も大変ですね。けんかなど起こりませんか?」と聞くと、「刑務作業を拒否する人がたまにいて、それが問題。」と話しておられた。「それでも、一生懸命働いている人も多く、そういう人は評価したいと思っています。」と話され、刑務官の方も、そういう心で接しておられるのだと思うと、何だか嬉しくなった。刑務官も、受刑者の収容数に比較すると少なく、激務と思われ、批判されることはあっても、認められることは少ないのではないかとも思うが、日頃の働きが実を結んでいくように祈りたい。
2007年8月22日

エアコンが効かない!
 昨日エンジンが止まってしまったバイクだったが、今朝再びエンジンをかけてみたところ、数回のキックの後、ブオンブオンとかかったではないか!ホッと胸をなで下ろす。ところで、今日も37度近くの暑さになったが、午後の祈祷会の時、新しく付け替えたばかりなのにエアコンが効かず、10人位集まっていたためもあってか、部屋がだんだんと蒸し暑くなってきて、説教をしながら気になってしまった。今までは良く効くエアコンだと思っていたのに…。外の暑さのためだったのだろうか…。そんな自分のことを思いつつ、ヨナ書のとうごまの話を思い出す。ヨナは、神様が生やしてくださったとうごまで暑さをしのぎ涼んでいたが、とうごまが枯れてしまうと暑さのあまり不平を言った。そんなヨナの姿を思い、涼しい中で集会をすることができる環境を与えて下さっている神様に感謝すると共に、こんなに暑い中、熱心にみ言葉を聞くために集まり、また祈り合う信徒の皆さんに感謝!
2007年8月21日

バ・バイクが…
 午前中、訪問を終えて、バイクで教会に帰る途中、エンジンが「プスンプスン」と急に力のない音になり、いきなり止まってしまった。おかしい、ガソリンもオイルもちゃんと入っているのに…。いくらキックしても、セルを廻してもエンジンがかからない。暑さのためのオーバーヒートか?でも、ミニバイクのオーバーヒートなんて、あまり聞いたことがない。ともかく、帰り道、猛暑の中をバイクを押して帰る。今日は、静岡では今年になって初めての猛暑日で35度を超えたそうだが、暑さが身にしみ、ヘルメットを脱いで押す。押しながら、「中古で兄からもらったバイクを、バイク屋さんにそろそろ寿命と言われつつも、17年間乗った。恐らく20年以上乗っているだろうな。」と思いつつ、何とかまだ乗れないかと一縷の期待をしつつ教会に戻る。
2007年8月20日

耐震ラッチ
 教会と牧師館の食器棚に耐震ラッチを取り付けた。耐震ラッチとは、地震の揺れがくると、扉が開いてしまうのを防ぐ器具のことだ。ホームセンターなどではかなり高価だが、過去にインターネットを通して、まとめて安く買うことができたので、時間がある時に取り付けようと思っていたものだ。こういうことは、ついつい後回しになってしまい、今まで先延ばしになっていたが、地震が来てからでは遅すぎるので、中越沖地震のことやこのところ千葉で地震が頻発しているニュースなども聞き、今のうちにやっておこうと思い立った。しっかり取り付けねばならず、ラッチをつけるため、食器棚内部の段差に板を当てたり、それを加工したりと、かなり時間もかかってしまった。まだ、ガラス飛散防止のフィルムを貼る作業が残っているが、これもかなり時間がかかりそうだ。もう少し涼しくなったらやろうと思うが、それまでに大地震が来ないことを願うばかりだ。
2007年8月19日

別の視点から見ると
 午後、7名の教会員と一緒に、病者の方々を訪問した。その後、明日眼の手術を受けられる高校生を訪問する。県の代表として中国に訪問が決まり、今週出発という時に、緊急入院、即手術ということになってしまったそうだ。御家族は「なぜこういう時に…」と思ったそうだが、クリスチャンのおばあちゃんは、「もし中国に行ってからこういうことになっていたら、もっと大変なことになったでしょう。」と言ったそうだ。本当にそうだと思い、とっさにそのような返答が出る辺り、信仰によって別の視点が与えられていることのすばらしさを思った。本人は、眼帯の下から笑みさえも浮かべる様子で、祈りにいった私がむしろ励まされた。
2007年8月18日

感謝をもって
 朝、聖書を読んでいた時、「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」(Tテモテ2:1)が心にとまる。特に、「…感謝とを…」とあったことだ。上に立つ人々のために祈ることはあっても、「国を正しく導くことができるように」と祈ったりすることが多く、感謝をすることなどあっただろうかと考えさせられた。本当にその人のことを考えないと感謝など出てこないだろうと思う。また、真の執り成しは、自分のこととして祈ること、またその人にとっての主のご計画がなるように祈ることだと、以前教えられたことを思い出した。そういう祈りのできる者に成長したい。
2007年8月17日

病床にあっても
 今日、ある市内の牧師先生が、ガンの手術を受けられる。朝祷会という朝の祈りのひとときで、集まった10名程の人と一緒に、心を合わせて癒しを祈った。一週間前は、この祈り会に出ておられ、ある方が「いかがですか」と尋ねると、「主に委ねていますから、全く大丈夫です」と笑顔の中に答えられたということだった。病床にあっても、信徒に手紙を書いたり、メールをしたり、教会員のために祈っておられたということを、その教会の教会員から聞く。私もかつて骨折で1ヶ月余り入院したことがあったが、しばらくゆっくり休もうと、何の手紙も書かなかったように思うが(肩の骨折で、手が自由に動かなかったこともあるが)、この牧師先生の姿勢に大変心打たれ、自分もかくありたいと願わされた。
2007年8月16日

ちらし作りに励む
 暑さを避け、午後は牧師室でパソコンに向い、秋のチャペルコンサートのちらし作りをした。
ある方から、インターネットを通してちらしを注文するとかなり安くできると聞き、早速飛びついた。ただ、自分でちらしの完全原稿を作らねばならず、慣れないソフトの操作で四苦八苦しながら、今回も3時間余りで何とか形は作った。5月以来4作目のちらし作りだったが、簡単に…とはいかない。日頃から音楽会のちらしなどよく見ていないと、デザインもなかなか浮かばない。ただ、どういうちらしを作るかということは、教会にとって伝道の大切な一手段でもあると思うので、大切な伝道費を有効に使うためにも、今後もがんばってみたいと思う。
2007年8月15日

主よ守りたまえ平和を
 62回目の終戦記念日を迎え、これまで私たちの国は戦争から守られてきたことを感謝すると共に、世界の平和のために改めて祈らされる。平和を祈る讃美歌の中で、讃美歌21にこんな讃美歌がある。「この子どもたちが未来を信じ、つらい世の中も希望に満ちて、生きるべきいのち生きていくため、主よ守りたまえ、平和を平和を。」子どもたちを戦場に送りたくないというのは、親ならばだれしも持つ思いではないだろうか。そういう平和が続くように、難しい事情もたくさんあるのだろうが、そういう世界になるように心から願う。
2007年8月14日

わずか45分で真っ黒
 今日は、涼しい内に訪問に行こうと、朝6時前にバイクで教会を出、礼拝をお休みされた方にテープをお届けした。朝は曇っていて、涼しく快適だったが、残り3件ほどはお会いしたい方もあったので、11時20分頃教会を出てお昼過ぎに戻るまでわずか45分位ではなかったかと思う。日中は、炎天下をバイクで走るだけでも、さすがにくらっと来るほど暑く、水分を補給しながらの走行だった。夜、風呂に入る時に両腕を見ると、みごとに腕時計の跡と半袖のシャツの跡がつくほど腕の表側だけが赤黒く焼け、ひりひりしたので氷で冷やす。日中は外で作業することも多かった一日だったが、ほとんど日陰で仕事をしていたので、わずか45分でこんなに焼けるものかと驚いた。
2007年8月13日

連休のまっただ中に
 夏休みに今日もまた一人親族が来たため6人となった。富士山を見たことのない人もいたので、夕方近くになって、今から行ってみようということになり、午後3時半から教会を出、白糸の滝と朝霧高原に出かける。連休でも、この日は道路はそれほど混んでいないのではないかとの予想で、東名を利用してだったが、その通り普段よりもずっと早く、1時間余りで白糸の滝に着いた。白糸の滝は、夕方にもかかわらずまだまだ人出は多かったが、滝の涼しいこと…。3度、もしかして5度位は気温が下がったのではないかと思った。主役の富士山は、遠くからはよく見えたものの、近くは雲にはばまれて時折頂上が見えただけだったが、それでもその雄大な姿を見てもらうことができ、7時半の帰宅までわずか4時間余りのミニドライブだったが、快適に過ごすことができて感謝だった。
2007年8月12日

地方から、多数の出席者を迎える
 会社等では、多くの方が夏休みとなり、教会でもこの時期、帰省されたり旅行にでかけられたりする方も多いが、今日の礼拝では、地方から出席される方が8人あって、いつもと礼拝出席者は変わらなかった。昨晩は、教会と牧師館と、親族や子どももいたために、8人が泊まり、何かとってもにぎやかだった。教会にしっかり宿泊準備をしておくことの大切さを覚え、そういうスペースがあること、また風呂なども教会にあることを改めて感謝する。こういう機会に、普段は出席していない教会の礼拝に出席することは、その教会の良さを知る機会にもなるだろうし、母教会の良さを再認識する機会ともなるので、いい機会のように思う。
 それにしても、こういう時、都会の教会では礼拝出席者が減るのではないかと思うが、私たちの教会は減らなかった。やっぱり静岡は地方都市ということなのだろう。
2007年8月11日

子どものように
 2泊3日の教会学校のキャンプが行われ、6人の子どもたちと、5人の大人で参加した。他にも5つの教会から子どもたちが集まってきたが、天候にも恵まれ、子どもたちも楽しく過ごすことができたようだ。キャンプでは、集会の後、子どもたち一人一人とと祈る時を持つが、子どもたちの素直なストレートな反応に、改めて教えられるような気がした。イエス様も、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」とおっしゃったが、大人になるといろいろごちゃごちゃ考えすぎて、神の前になかなか素直になれないように思う。大人になると、「神様…」と、神の前に頭を垂れて祈ることすら抵抗を感じ、なかなか神の前に素直になれないのではないか。盲信では困るが、最後は神の前に素直になることが、祝福の鍵ではないかと思う。
2007年8月8日

復讐するのでなく…
 二日前の広島原爆の日に、子どもたちが「平和の誓い」を話していた。こんな一節があった。『嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持は誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。』
 聖書と似ているところがあると思った。自分で復讐をするのではなく、神に委ねなさいと聖書は教えている。中東を初めとする諸外国の現状ばかりでなく、私たちも日常生活の中で、言われたら言い返す…、そんなことをついしがちだが、そういうところから始めなければならないように思う。もちろん、何でも泣き寝入りしろということではないが、言い方ややり方を考えて行動しなければならないと思う。
2007年8月7日

福音放送の台所事情
 しばらく前から、「ライフライン」というテレビの福音放送(毎週土曜日朝5時〜、静岡第一テレビ)にかかわっている。県内の60近くの教会が中心となり、毎月少しずつ資金を出し合って放送を続けている。かれこれ20年も続いている長寿番組で、朝早いものの視聴率は5%近くを記録したこともあり、このところ高視聴率が続いている。一方で、台所事情は苦しく、7月も赤字になってしまった。教会の協力(超教派)で行う働きは、各教会の事情の影響をもろに受けてしまうのだ。7月は、各教会で牧師にボーナスを少しでも出そうという教会が多いのではないかと想像するが、そういう影響を受けたのか、教会からの献金額が少なくなってしまった。それでも何とか放送を続けなければならない。今まで、危機的なところを何度も通ったが、主が支えてくださった。そのことを信じて祈っていきたい。
2007年8月6日

質問にハッとさせられ
 洗礼のための準備をしている方から、「みことばとは、イエス様のことばのことですか?」と質問を受けた。ハッと思った。「イエス様のことばももちろんみことばですが、弟子が書いたりしたものであっても、聖書のことば全体を、根元的には神様が語られたという意味でみことばと言っています。」とお答えした。自分は当たり前のように使ってきたが、そういうところも、聞く人にとっては、疑問と思うことがあるのだなと気づかされた。相手は分かっていると思って話すのではなく、いつでも相手の側に立った発想ができるように、そのためには多くの人の話をよく聞かなければならないとつくづく感じた。
2007年8月5日

イザヤはすごい!
 このところ、日曜日の礼拝で、イザヤ書の中から少しずつ説教している。イザヤ書をもう一度学び直してみて、イザヤという預言者は本当にすごいと思う。その預言の的確さはもちろんのこと、彼が宮廷に出入りすることが出来ただろうと言われていたとしても、世界の情報がすぐに入るわけではない当時の社会にあって、世界的な視野の広さと的確な情報を持っていたこと、文学的な才能があったのではないかと思われるような、詩的な美しい表現。後に、ヨハネは、「イザヤはイエスの栄光を見た」と書いているが、本当にまぼろしのうちにイエス様の姿を見、世界の歴史を支配している神のご計画をかいま見たのだろうと思う。イザヤはすごい!彼のように霊的に深みのある人になりたいと、おこがましくも思う。
2007年8月4日

野菜の苗を植えた
 夕方、日曜日の準備を終えて、少し時間があったので、小さな小さな畑にきゅうりととうもろこしの苗を植える。二週間くらい前に、夏に植えられる品種の種があったので、種を買ってきて植えたものが、植え替えしなければならない程に育っていたからだ。子どもたちと毎日水やりをし、育てる喜び、収穫の喜びを共に味わうことができることは、とても感謝だ。成長させてくださる神を実感できる。もうしばらくしたら、3本植えたトマトは収穫が終わりになるので、にんじんかカブを植えてみたいと思っている。
2007年8月3日

環境よりも…
 ゴスペルクワイヤの練習の時、ゴスペルのルーツについて、短く話している。ゴスペルの父と呼ばれる人は、トーマス.A.ドーシーという人で、この人もいろいろな苦難を経験した人だったが、今回は彼に最も影響を与えた人の一人、チャールズ.A.ティンドレイという人について話をした。彼の両親は奴隷で、ティンドレイは奴隷の子。彼は、5歳までに両親に捨てられてしまったという。普通なら、これでぐれてしまっても仕方がないところだが、やがてリンカーンによる奴隷解放令が出、彼は少年時代、教会の掃除夫となり、そこで聖書のみことばに深く養われたのではないだろうか。彼は苦労して神学校を卒業し、牧師となり、彼の牧する教会は当時有数の大教会へと成長していったようだ。そんな彼のメッセージに養われ、決定的な影響を受けたのが、ゴスペルの父ドーシーだというのだ。
 人間の成長は環境が大きく影響していることは誰しも認めるところだろう。でも、環境が全てではない。神の愛を自分へのものとして知ることが、その人の人生を変えるのだと思う。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」(イザヤ49:15)
2007年8月2日

妻が変わりました!
 間もなく洗礼を受けられる方の夫の方が、「妻が本当に変わりました」と言われた。それを聞いて、この方はどんなにか感謝していらっしゃるだろうかと思い、私も本当に嬉しかった。一番身近な家族にそう言ってもらえるということほど、すばらしいことはないように思う。聖書には、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(Uコリント5:17口語訳)とある。聖書の福音は本物だという証しのように思う。私たちを、そのように変えてくださる主の恵みに感謝!
2007年8月1日

す・すごいソプラノ
    part.2
 ドイツから、アイリカさんと小林先生が再び来日され、今日再びチャペルコンサートをしていただいた。今回は一カ月前にドイツから連絡をいただいたので、急いでちらしを作成し、チャペルコンサートを企画する。約100名の方が集まってくださり、一同すばらしい歌声に酔いしれたようで、お帰りになるどの人も、とても満足げだった。小林先生曰く「彼女は、今は若手だが、年齢を経るに従って、声に幅とボリュームが出てくる。世界的に有名になったら、ここには来れないだろう。チケットも10倍位の値段になるだろう。」(ちなみに今回は\1500でしたが…。今は一人でも多くの人に聴いていただきたいという中で来て下さるのでそうできたのですが…。)最後に、「でも、ここには来るかもしれません。」と、嬉しいことを言ってくださった。先生方も、ドイツからかなりの費用を使って(数カ所のコンサートで赤字になることもあるそうだが)、ボランティア精神でおいでくださり、教会も持ち出しだが、こういう機会を通して教会に親しんでくださればと思うし、営利ではなく、社会に少しでも貢献できればと思う。
2007年2月22日

す・すごいソプラノ!
 ドイツから、日独音楽祭のソリスト募集に来られたお二人(一人は日本人)が、当教会に宿泊することになった。全国20カ所余りを廻る予定で、東京近辺では東京芸大出の方などの審査もされるそうだが、静岡では残念なことに応募者が少なく、先生方は暇を持てあまして(?)おられた。
 ところが、お二人の練習を聴いてビックリ!こ、これはすごい!今まで聴いたことのない声量で、表現力豊かなソプラノ歌手アイリカさん、そのボイストレーニングをしてこられたプラハ・カレル大学の音楽客員教授の小林さん。その実力を知っていれば、盛大にチャペルコンサートを企画し、実施したのに…と思った。日曜日まで滞在されるということで、25日に急遽チャペルコンサートをお願いすることになった。宣伝期間もないので、どうやって案内しようか迷いつつも、とにかくHPをアップする。このページを見られたお近くの方、ぜひぜひぜひぜひ聴きに来て!絶対に「得した」と思われるでしょう!(案内はお知らせのページを見て下さい。)