2003年8月28日

主のよくしてくださったこと
 「主のよくしてくださったことを何ひとつ忘れるな」と、朝聖書を読んでいた時、心に響いてきた。「群れの模範となりなさい」と、聖書学院の時代に、よく先生に教えられたのを思い起こすが、自分を見ると足りないことばかり…。それでも、こんな私を承知で主がご用に立ててくださり、またこんな私を受け入れてくださる信徒の皆さんがいて、何一つとっても本当に感謝だ。以前、ある牧師先生が、「フルタイムで主のご用ができることを本当に感謝します。」と、涙ながらに祈っておられた姿を思い起こした。私もそうだったと。主のよくしてくださったことを、感動を持って伝えることのできるものでありたい。我らの信じる神は、確かに生きておられる方だ!
2003年8月17日

な、なんと雨漏り…
 ここ数日、本当によく雨が降った。静岡で三日間で450ミリ以上降ったとか。すさまじい雨の連続だった。何と、教会の中にも雨が…。築17年になるので、弱いところが出てきてしまったのか。屋上に上ってみると、コーティングが劣化しているようだった。建物は建てる時にはいろいろ気も使いお金をかけても、なかなかメンテナンスまで気がまわらないのが実状だ。信仰も、「始めの愛に帰れ」とあるけれど、いつも信仰を持たせていただいた時のような新鮮な感謝を思い起こしていないと、それを風化させてしまうと危険だと、こんなことを通しても思わされた。
2003年8月8日

姉妹とのお別れ
 出産の喜びもつかの間、教会に忠実においでになっておられた姉妹が倒れられ、意識不明のまま10日間。そして、8月6日、ちょうど教会で祈祷会をしている間だったが、姉妹は天に召されていった。思えば10日前、いつものように礼拝に来られ、それが最後になってしまった。「人は自分で生きているようでも、そうではなく、生かされているのだ」と、クリスチャンのお医者さんが話しておられたが、そのことを実感させられた。本当に寂しい限りだが、姉妹はイエス様をしっかりと信じておられたので、み言葉の約束の通り、間違いなく天国に導かれたというのが大きな慰めだ。姉妹も、死と向き合い、ここ数年は歩んでこられ、その中で福音を受け入れられた。主の御手に委ね、心はきっと平安ではなかったかと思う。
2003年7月24日

長男誕生!
 私たちの二人目の子どもの出産予定日は21日だったが、家内は「まだだと思う…」とのこと。いつになるか期待と不安を胸に祈っていたところ、朝教会に着くと間もなく家内から電話。いよいよ出産かと思いきや、入院したもののなかなか陣痛の間隔が短くなってこない…。赤ちゃんが少し横を向いているということだった。家内と一緒に、これまで通り出産の無事を祈り、主の御手に委ねる。まだ陣痛は8分に一度位なのに、「子宮口はほとんど開いたので、いきんでみましょう」との看護婦さんの指示。私が外に出て、熊のようにおろおろしていると、あっという間にとっても元気な産声!元気な男の子の出産で、思わず涙がこぼれてしまった。分娩を始めてたったの15分。赤ちゃんも産まれる時にはちゃんと自分で回転して出てきてくれたそうだ。神のなさることの不思議を思い、また家内も産みの苦しみが軽くて済み(そうはいっても相当大変だったと思うが)、心から神に感謝した。聖書から「慎一郎」と名付けた。
2003年7月11日

娘が初めてお祈りした
 昨晩、お風呂を出てそろそろ休もうかという頃、1歳11ヶ月になる娘はまだ起きておままごとをしていた。小さな台の上に、くだものを並べて…。すると、「日々のかてを…」(教会では定番の食事前の歌)を歌い始め、それから何と手を組んで「天の神様。ご飯を…。アーメン。」とお祈りをしたではないか!家内と私は顔を見合わせてにっこり…。いつの間にか、私たちが祈っていたのを見て覚えていたんだと。このように成長したことを神様に心から感謝し、そういう良い模範を見せることが何よりも大切だと改めて感じた。
2003年6月22日

97歳で天に帰られた姉妹
 97歳で天に帰られた姉妹の葬儀を行った。この姉妹は、決して恵まれた環境での生活を送ったという訳ではなく、忍耐の方が多かっただろうと思うが、信仰と祈りの姉妹だった。びっしりと赤線の引かれた聖書の間に、自作のカードが挟まっていて、「わたしたちの国籍は天にある」「神に会う備えをせよ」という二つの聖書のみ言葉が記してあった。まさにそのように天国を見据え、神を見上げたご生涯だったように思う。寂しさの中にも、深ーい主の平安を感じた。かくありたいと思わされた。
2003年6月1日

新しい礼拝の時間で
 今日から、朝の礼拝の時間を変更し、午前に二回と夜に一回に変更した。長い間教会員の皆さんと話し合い、祈りつつこの日を迎えた。第一礼拝は、私が司式もするということで、いつになく緊張した。教会員の皆さんも、ちょうどいい具合に二つに分かれてくださり、偏ることなく礼拝をささげることができた。やってよかったと思えるように、一層一回ごとの礼拝を大切にしていきたいと思った。
2003年5月14日

人生の指標を求めて
 特別集会を前に準備をすすめている一方、教会の内外では深刻な問題をかかえていらっしゃることがたくさんいらっしゃることを身にしみて感じる。刑務所では、いつも聖書研究に参加している出所が近づいた青年から、これからどうしたらいいかと相談を受けた。また、留守をしている時、見知らぬ母子が教会を訪ねてこられ深刻な相談があるということだった。その他にも、いろいろな悩みや問題をかかえていらっしゃる方にこのごろとても多く出会う。自分では何もお助けする力はないが、神様なら、また神のみ言葉なら、その人の人生の指標ときっとなるものと思う。ますます、現代の教会の使命の重大さを感じるが、自分のしていることはまだまだ空回りしているのではないかと思う。もっと、祈らなければと思う。
2003年5月4日

80歳の方々の熱意に感謝
 教会の特別集会が近づいてきて、教会の皆さんが、さまざまなご用を分担して引き受けてくださり、準備が進められている。中でも、今回80歳になるご婦人お二人が、地域のちらし配布を申し出て教会の近所に、特別集会のちらしを配ってくださった。申し訳ないと思うと同時に、その謙遜な姿勢と、神様の恵み深さを伝えるために、何かできることをしようと思ってくださりそうしてくださったお二人の姿に、胸が熱くなる思いがした。こういう人々の純粋な信仰に、教会も支えられているのだとつくづく感じた。
2003年4月17日

引越をした
 先日、教会のすぐ近くのアパートに引越をした。いまだにたくさんの荷物に囲まれながら、どうしようかと途方にくれてしまっている。今まで住んでいたアパートは2DKの小さなアパートだが(引っ越しした先も2DKだが)、よくも荷物がこれだけたまるものだとあきれてしまった。荷物の中には、何といらないものの多いことか。一年に一度も袖を通さない洋服などもたくさんある。つつましく生活しているようでも、知らないうちにムダをいっぱいしているのだと改めて思う。何とかもっとスリムに生活し、ものやお金を有益に用いることができるよう、やはり日頃の積み重ねなのだろうか。
2003年3月26日

子どもを祈祷会に出すべきか…
 今日は家内が祈祷会の説教の担当だった(今は子育て期間中なので、1ヶ月に一度だけ祈祷会の説教を担当させていただいている)ので、私が1歳8ヶ月になる娘の面倒を見た。
ところが、祈祷会が始まると、祈祷会をしている部屋に入るのをとても嫌がるようになり(しばらくじっとしていなければならないのが、彼女にとってはとても苦痛なのだろう)、今日も入ったところが泣き出してしまった。やむなく部屋を退出したものの、こういう場合どうしたらいいのかとつくづくと考えさせられた。娘の欲求としては、外でのびのびと遊びたいのだろうが、そういうわがままをいつも許していれば、泣けば出してもらえるという、あまりよくない習慣が身についてしまうようにも思った。幼い子を持つお母さんは、こういうことでいろいろ迷われるのだろうなと、母親の立場をいろいろ考えさせられる。そんな時、父が、後ろのスペースを広げて、子どもが遊べるようにすればよいと提案してくれた。それで、出席する気持ちになってくれるか分からないが、そうしてみるのはいいアイディアだと思った。
2003年3月21日

平和を祈る
 イラク戦争が始まり、だんだんと戦火が拡大していくことを思う。特に、アメリカのブッシュ大統領はクリスチャンだということで、正直複雑な思いだ。昨年ノーベル平和賞を受賞したカーター元大統領は、熱心なクリスチャンとして知られているが、今回の件についても戦争は絶対にすべきではないと話していた。聖書は、戦争について肯定的なことを教えているかというと決してそうではない。主イエスも、「敵のために祈れ」とすら教えられている。同じクリスチャンであっても、考え方が全く違っているのだ。ただ、自分の正当性を主張したいがために、神の御名を持ち出すことだけはやめてほしいと思う。ただ、どの宗教でもそういうことが行われるのは、人間の罪深さゆえと思う。一日も早く戦争が終結し、平和が訪れるように、私は心から祈ろうと思う。
2003年3月12日

オークションで中古パソコンをゲット!
 インターネットのオークションで、中古のノートパソコンをゲットした。4年くらい前にノートパソコンを買ったのだが、液晶が割れてしまい、それからノートはやめようと、しばらくデスクトップを使っていたが、学校でどうしても必要なことと、教会でも皆が自由に使えるものが一台あるといいと思い、購入する。やはり4年くらい前のものだが、2万円位で買うことができ、古いとはいえなかなかの美品で、何か得した気分になる。そうしたところが、84歳になる父が、貸してくれと言い、パソコンの練習を始めた。せっかく苦労してゲットしたのに、複雑な気分…。でも、これも小さな親孝行になるかなあ…。
2003年2月22日

花粉症になって…
 父親と姉が以前から花粉症で、自分はアレルギー性鼻炎はあるものの、花粉症だけは大丈夫と思っていたが、去年からすっかり花粉症になってしまったらしい。今年は早くから耳鼻科に行き、薬を飲んでいるので、鼻水等はかなり少なく済んでいるが、今年は目に来てしまった。目がやたらとかゆくなり、涙が出てくるのだ。口にはマスクをしても、目はめがねをしているものの、完全に防御はできない。まさか、水中めがね(ゴーグル)をかけるわけにはいかないし…。と思いきや、ゴーグルのようなものをしている人もいるではないか…。以前、父は説教の時、鼻水がたれてきて困ると言っていたが、私は説教の時、感動して泣いていると思われるのかもしれない…。だったらむしろ、感謝すべきか??
2003年2月11日

定礎式
 教会員の兄弟姉妹が自宅を新築されるということで、その定礎式に出かける。今から数年前に導かれてきたご家族だが、新築のために土地を探される時から、「教会の近くに」を条件の一つとして土地を探してくださり、教会に歩いて5分もかからないところに土地が与えられてこの日を迎えることができた。牧師にとっても、これ以上の喜びはない。鍬入れなどはしなかったが、家族で(二人のお子さんを含め)手をつないで祈ってもらった。工事の安全と、これから将来の生活のために、心から祈った。
2003年2月8日

アンテナの修理
 教会のテレビが以前から映らなくなっていたが、特に必要はないからと放置しておいたが、緊急事態(地震等の)が起こったとき、テレビも見ることができないでは困るので、来客があるのを機会にアンテナの修理をする。おっかなびっくり屋上に上り、アンテナ、ブースター、いろいろ調べ部品を取り替えるが、原因がわからない。最後にケーブルを調べたところ、これが断線しているということがわかった。ケーブルは建物を建てた時、壁の中に埋め込んであるので、修理がきかない。しかも3本あるうちの3本とも断線。こんなことがあるものだと思った。仕方なく窓から新しいケーブルを引くことにする。見栄えばかりを気にしていると、修理がききにくい。何か、私たちの人間性を表しているようにも思えるのだが…。
2003年1月22日

子どもを叱るのは難しい・・・
 1歳6カ月になる娘が、食事の時にいろいろわがままを言うようになってきた。いやいやから始まり、あれをだせ、これをと、放っておけばその要求は限りなく続くだろうと思う。今日も、家内が夕食にうどんを出したが、ふりかけをかけたご飯がいいというので出したところ、それもほとんど食べようとしなかった。そこで、きちんと叱らなければと、それはわがままだからいけないと叱る。彼女は当然泣き出したが、家内と相談し、しばらく放置しておく。我が子の涙を見ると、慰めたい気持ちがわいてきて、何でもできることなら与えたいという思いにかられるが、そこは心を鬼にして、しばらく様子を見ていた。どうしても泣きやまないので、家内に抱きしめてあげるように言う(本当はこの役は私がしたいのだが…)。父はある時は厳しく、母が愛情深いのがやはり神様の意図ではないかと思う。足りない親なので、神様から託された娘を立派に育てることができるように、本当に祈らなければならないと思う。
2003年1月13日

教会も大変・・・
 教区新年聖会が静岡ホーリネス教会で行われ、福沢満雄先生を通して希望と慰めのメッセージをいただく。先生は、ご自身の失敗談を通しながら、主の恵み深さを語って下さり、主のご愛の深さをまた知ることができた。ただ、その中で教会の置かれている現実についても話してくださり、ある教団では牧師が一斉に退職の時期を迎え、かつ新任の牧師が少ないために、1/3位の教会が無牧になるか、合併または閉鎖になるという深刻な話もあった。教会学校に出席する子供も、少子化の影響で少なくなっている。教会の将来のためにも、せっかく福音を伝える拠点が失われてしまわないように、切実に祈らねばならないことを思う。
2003年1月1日

元日礼拝と新年連合礼拝
 今年の元日は、市内の連合礼拝が当教会で行われるということで、いつも元日の午前に行っている当教会の元旦礼拝を午後から行い、引き続いて市内の連合礼拝を行うという形にした。連合礼拝は元より、午後の元日礼拝というのは始めてだったが、例年になく多数の方が家族と共に出席してくださり、感謝だった。クリスチャン新聞によると、日曜日の午後に礼拝を行ったところ、出席者が増加したという教会もあると聞く。聖書を見ると、かつては主の日(日曜日)の夜に、パン裂き(聖餐式)が行われていたようでもある。神を第一とする姿勢を大切にしなければいけないものの、礼拝のあり方を考えさせられるスタートとなった。
 今年一年、主の恵みの中を進んでいくことができるようにと祈らされた。
2002年12月26日

御殿場神山教会でのクリスマス
 クリスマスには、クリスマス礼拝、イブの夜のキャンドルサービスなど、教会ならではの行事がたくさんあり、今年も多くの方が出席してくださったが、いつも最後に行うのが御殿場神山教会でのクリスマスだ。神山教会は、御殿場の駿河療養所というハンセン氏病の施設の中にある教会だ。大きな苦しみの中で主に出会い、信仰を持って歩んでこられた方々の教会らしく、ご高齢の方が多いにもかかわらず明るい雰囲気がすばらしい。また、静岡のクレール菓子店がこの日のためにクリスマスケーキをたくさん献品してくださる。今年も、クリスマスの諸行事がここまで支えられたことを感謝しつつ、主の訪れの大きな喜びを共にかみしめることのできた集会だった。
2002年12月21日

刑務所でのクリスマス
 例年出かけている刑務所のクリスマスに、今年は市内のサミル教会の牧師先生始め信徒の皆さんがゲストとして参加してくださった。牧師の李先生は、ドイツまで留学された超一流の声楽家でもいらっしゃり、すばらしい賛美とクリスマスの意味をご自身の体験を含めてストレートに語って下さった。「聖書は、『神はあなたを愛している。イエス・キリストにあって、どんな罪でも赦される。必ずやり直しができる。』と記している。」と。また、姉妹たちが明るい賛美を届けてくださり、参加してくださった皆さんの心に何かとどくものがあればと思った。
2002年12月11日

姉からのファックス
 明石に住む姉が、よく私たち家族の心配をしてくれ、いろいろ送ってくれたりする。牧師は薄給だからと…。姉たちも、大学生を二人かかえて大変なはずなのに・・・。その姉に、家内がお礼状を送ったところ、ファックスが届いた。「私たちができない主のご用をしていてくれることに感謝している。これは、主がくださったものとして受け取ってください。お返しをしようと心遣いはせず、お返しするなら主にお返ししてください。」との内容のものだった。嬉しくて涙が出た。そして、主に心から感謝した。こういう兄弟の祈りとサポートにも支えられ、自分たち家族もあるのだと思う。主にある家族の幸いを思う。
2002年12月1日

光の家クリスマスでのハープ演奏
 視覚障害者のための福祉施設「静岡光の家」で、クリスマス親睦会が行われた。(いつも、教会後援ということで、私も招いていただき、聖書のお話をさせていただく機会が与えられている。)今年は、その中でハープ奏者の方(プロではないということでした)が来られ、クリスマスの絵本(ほとんど聖書の中のクリスマスストーリーだが)の絵の部分を音で表現するということで、様々なキャロルを織り交ぜ、聞かせてくださった。とてもすばらしかった。ハープの音色は、何と聖書の場面と、またクリスマスと合うだろう。ぜひ、教会でもやっていただきたいと思った。旧約聖書のダビデの時代から、ハープの音色は聖書にマッチするのかなあと感じた。
2002年11月27日

マザー・テレサの生き方
 英和女学院で全校修養会があった。千葉先生というクリスチャンの映画監督が講師で、マザー・テレサの働きを映像に収めたことや、マザー・テレサに関するお話を聞かせていただいた。「全てを投げ出して貧しい人のところへ行って仕えなさい」という神の声を聴いたというのが、彼女の転機となったことは有名だが、改めてその働きの貴さを覚えさせられた。私有財産などは全く持たず、貧しい人のために尽くした彼女の生き方は、現代の社会に対するインパクトのあるメッセージだと教えられた。現代人は(特に豊かな国に生きる我々は)、あまりに自己中心的になりすぎ、周囲の、特に困っている人々に対して無関心になりすぎていないかと思わされ、牧師である私自身、もう一度日頃の生き方を問われるような思いがした。
2002年11月6日

「力を捨てよ。知れ。私は神。」
 朝、聖書を読んでいて「力を捨てよ。知れ。私は神。」という詩篇46篇(新共同訳聖書)の言葉が心に迫ってきた。最近様々な弱さを抱える方に出会うことが多いが、それらを何でも自分の力で切り抜けようとしていた自分の姿に気づき、神がなしてくださるのだから、もっと力を抜いていいんだと思ったとき、肩の荷が降りたような気がした。そういう生き方が大切だと思いつつも、いつしか力が入りすぎてしまっていることが多いが、みことばを通して原点に戻ることのできる幸いを思った。