2011年6月30日

アンテナ調整
 両親の地デジのテレビの映りが悪いということで、屋根に登りアンテナの向きを調整する。子どもに電波の強さを見てもらいながら向きを調整するが、ちょうど谷津山の陰で、放送局の陰になってしまう。近所のアンテナの向きもバラバラだ。アンテナとは180度反対方向が一番値が良かったので、取りあえずそちらにするが、NHKは良く映るが、民放の一部がイマイチになってしまった。
2011年6月29日

欠けたものを告げる
 午後の祈祷会では、信徒の方が司会をしてくださり、オー・ハレスビー著の祈りの本を紹介してくださり、一部を輪読する。「祈りとは私共のかけた欠けたものをイエスに告げることであります。」とあり、時や方法を限定し、主に従わせるような祈りをするのでなく、主イエスを知り、こう告げて主に委ねることであるということを教えられる。新たな視点で、新たな示唆をいただいたように思う。
2011年6月28日

シェアリング
 クローズアップ現代で、シェアリングについて報道されていた。若者を中心に、持ち物を分け合ったり、貸し合ったりする動きが広まっているというのだ。例えば、自動車も、日本には5800万台もあるようで、普段あまり使われていない車も多く、そういうものを有効利用するために、互いに廉価で貸し合うというのだ。何でも自分で所有しようとするのは、もうダサイと言っていた人もいたが、そんな時代が一歩ずつ来るのかもしれないとも思わされる。
2011年6月27日

恵朗クラブ
 時折雨の降る天候だったが、6月の恵朗クラブが行われ、雨の中をほぼいつもの通り近所の高齢者の方々がおいでくださる。聖書のお話しのほか、季節の歌や折り紙、そして今回は六のつく言葉などのクイズを行う。ちょっと難しいところもあったが、なかなかいい頭の体操になったのではないかと思う。暑さの中、ご奉仕くださる教会の皆さんにも感謝。
2011年6月26日

親族も礼拝から
 礼拝に続いて、昨年55歳の若さで召された兄弟の記念会を行う。ご親族の方々が、教会員と共に20名以上も礼拝からご出席くださり、兄弟の信仰を偲ぶことができ感謝だった。遺された姉妹は、嫁の立場なので、兄弟のご親族を礼拝からお招きするということは容易ではないと思うが、皆さんがおいでくださることを思う時に、ご家族のご理解に感謝すると共に、天に召された兄弟がよい証しをなさっていたことを思う。天国できっと喜んでおられることと思う
2011年6月25日

楓の会
 英和で楓の会という保護者や卒業生の方々対照の集会で、講演をさせていただく。聖書を学ぶ機会として、また最近ではこれに音楽のプログラムなどを加えて、長年行っているというので素晴らしい。今回は、教会では何を信じているのかということで、罪の赦しと永遠の命についてお話しさせていただくが、このような機会にお話しをさせていただく幸いを思う。英和の卒業生の方のオカリナの演奏家の方のステージも素晴らしかった。
2011年6月24日

設定温度を2度高く
 今日も33度を超える蒸し暑い日となる。夜になっても気温がさほど下がらず、、ゴスペル練習があったが、今シーズン初めてエアコンを入れる。そうは言っても節電をしなければならないので、設定温度を2度程高めにし、その分扇風機4台で風を循環させ、また風に当たりながら練習をする。これで、それ程暑くは感じなかった。関東は猛暑で35度以上が続出、どんなに大変だっただろう。
2011年6月23日

2等星位までしか
 子どもが星座の勉強をしているようで、今晩は空が晴れていたので、夜9時過ぎ、近くの学校の照明が消えたのを見計らって庭に出る。ところが、それでも街の灯りがだいぶ明るく、2等星位までしか見えない。北斗七星や春の大曲線、夏の第三角形、さそり座の中の明るい星くらいしか見えなかった。視力が落ちているのか、あるいは薄雲が出ていたのか。そんな原因もあるのかもしれないが、宵のうち、街の中で星は余り見えないことを実感させられる。
2011年6月22日

扇風機フル稼働
 夏至で朝から真夏の日差しが照りつけ、とても暑くなる。それでも、建物の中はそれ程暑くなかったので、祈祷会では3台の扇風機を廻して、エアコンをつけずに過ごす。後で天気予報を見たら、35度を超えたとか。我が家でも一人一台ずつある扇風機を全て出す。昨年もほぼ扇風機で乗り越えた。寝る時のため、妻はタオルケットを洗濯し準備していた。節電の夏、どうなることやら…。
2011年6月21日

暑さの中の作業
 天候が回復し真夏の日差しでとても暑くなり、30度を超えたようだった。一気に暑くなり、刑務所でも受刑者の方は下着を着、長袖の服を着、その上にエプロンや場所によってはヘルメットやマスク等をつけ、高温の場所で作業をするため、暑かっただろうと、職員の方が話していた。夕方の教誨の時間は、風通しのよい部屋で、ここちよい涼しさの中、感謝しつつ聖書を学ぶことができた。
2011年6月20日

地道な奉仕
 教会員の方が、礼拝の録音CDを受け取りに来て下さると共に、お宅の近くで休んだ方を訪問して、ポストにCDや必要なものを届けて下さる。今日も雨模様だったが、2件ほど廻ってくださり、とても助けられる。そういう地道な奉仕をしてくださる方があってとても感謝だ。特に今週は様々な準備もしなければならず、忙しくなりそうだが、そういう皆さんにも支えられていることを実感する。
2011年6月19日

介護のご苦労
 礼拝後、8人で高齢者や病者の方々の訪問に行く。ある方は、クリスマスまで教会においでになっておられたけれども、その後、数回転倒して頭を打たれ、言葉も出にくくなり、ほとんど寝たきりに近い状態になってしまった方もいらっしゃり、ご家族の介護はどんなにか大変かを思う。ご家族の話を伺い、心に主の平安があるように、願わくはもう少しお言葉が回復するようにと祈らされる。
2011年6月18日

家族の協力
 明日は妻が礼拝説教を担当するので、その分来週の諸準備を少しずつ始める。刑務所、授業、講演会、記念会など、来週はいつもの週より忙しくなりそうなので、こういう時間が与えられることも多いに感謝。子どもたちも、私たちの忙しさを察してか、自分たちでよく遊んだり勉強したりしてくれるので、大いに助けられる。何をするにも家族の理解と協力の大切さを思う。
2011年6月17日

三連動の驚異
 NHKで、地震がこれまでの常識以上に浅い場所で起こり、大津波が発生したことがわかったという。東海・東南海・南海地震が3連動で起こった場合、その到達距離はこれまでの想定を大幅に超えるとの専門家の警告が報告されていた。震源域も近いので揺れも強く、住宅密集地が多く大規模火災の心配もあり、また津波の到達時間も早いと警告されていた。教会でも教会員のグループを作ったりしつつあるが、防災体制ももっと見直さなければならないことを思う。
2011年6月16日

ヨセフの生涯から
 学校では、創世記のヨセフの生涯から、誘惑についても考えてもらう。教材として取り上げるのには難しさもあるが、こういうことを学べるのは、聖書ならではと思う。そのカ所を読んで、どういう時に誘惑に合いやすいかという質問をし、数人で話し合ってもらうが、話してはいたものの、皆の前で発表することにはためらっていたようだ。でも、どう対処するかには、よく答えてくれホッとする。
2011年6月15日

今度は会堂
 今日は、祈祷会の合間に、会堂の屋根のコーキングをする。月曜朝の大雨で、初めて雨漏りしたところがあったからだ。素人だとなかなか原因が分かりづらく、手当たり次第にコーキングをする。少々の雨なら大丈夫なのだが…。教会も築25年になるので、手を入れなければならないところがいろいろ出てきてしまっている。何とか長く大切に使っていきたいと思う。
2011年6月14日

物置屋根の修理
 教会の物置の屋根の補修をする。ポリカの波板を7枚ほど取り替えるのに、数時間で終わると思いきや、ほぼ一日がかりになってしまった。地盤沈下が少しあったのか(?)、屋根の勾配が変わってしまっていて、大雨が降ると水が貯まる可能性がある。ちょっとの補修ではどうにもならないかもしれないが、何とか雨漏りだけでもしばらく止まってくれればと思う。
2011年6月13日

梅雨時の風景
 朝の雨も上がり、よいお天気となると思いきや、これも梅雨なのか曇りがちの一日だった。訪問の途中、バイクで走っていると、田植えを終えた水田、あじさいの花が目に付く。この時期は案外花も少なく、天候のためかモノトーンの感じがするが、苗のやわらかな緑と、あじさいのあざやかな色彩が目に付く。この季節ならではと思うが、周囲も引き立てているように思われる。
2011年6月12日

聖霊によって生きる
 ペンテコステの礼拝を迎え、聖霊によって生きるというテーマでメッセージをする。クリスチャンになってから、どのように信仰生活を送っていったらいいのかということについて、体験的に伝えることのできる教育が行き届いていないことを思う。自分のがんばりで信仰生活を送っている方が多いように思うが、聖霊によって生かされる恵みを、もっと伝えていく必要を感じさせられる。
2011年6月11日

梅の実の収穫
 明日の準備をほぼ終え、夕方、母が梅の実を収穫してほしいというので、脚立を持ってきて収穫する。昨年は10粒も取れなかったが、今年はなり年なのか、100粒以上は収穫できたのではないかと思う。ただ、消毒をしていないためか、斑点のようなものができているのがほとんどだった。母は、人にはあげられないが、梅干しと梅ジュースを作ると言っていた。
2011年6月10日

娘の社会見学
 娘が社会科見学で、県の地震防災センターに出かけた。起震装置で震度6強を体験し、とても怖かったことや、津波シアターなどを見たことなどを話してくれた。食料品三日分の備蓄はあるかと聞かれ、賞味期限切れで処分し、まだ追加購入していなかったことに気づかされる。思えば、地震が来ても家は持ちこたえてくれるだろうという想定をしていることを思う。それ以上にも備えておかねばならないと思わされる。今度は家族で行ってみたい。
2011年6月9日

なぜイサクを…
 聖書の授業でアブラハムを学んだ時、生徒たちに、なぜ神様はアブラハムにイサクをささげよと命じたと思うかと質問したところ、信仰を試すためという答えが圧倒的だった。そうなのかもしれないが、それだけなら余りに酷な命令だとも思う。キリスト証言として聖書を読むなら、ひとり子を与える苦悩を、神の友とさえ呼ばれたアブラハムに、お示しになろうとしていたのではないかと思う。教科書にはそこまで記されていないが…。
2011年6月8日

蜂の巣発見!
 物置の雨漏りを修理すべく出入りしていたところ、どうも蜂が飛んでいるのが目に付く。ふと見ると、蜂の巣を作りかけていた。わずかな隙間から蜂が出入りしているようだった。早いうちに取らなければと、蜂用の殺虫剤を買ってきて(1280円もした!)、撒いた後に壊す。まだ、巣もごく小さく、卵などを産む前だったようで、巣の中には何もなかったようだ。ホッとする。
2011年6月7日

ラリーの話し合い
 静岡福音放送協力会の委員会が行われ出席する。ライフラインのラリーについてなど、今後どうするかなどを話し合う。浜松地区では、今回は大きい教会ばかりではなく、いつもはできない離れた場所でも行ったようで、そういうことも大切だと思わされる。今年の12月は、静岡地区で久しぶりに私たちの教会の順番が廻ってくるので、大いに期待をし、備えていきたいと思う。
2011年6月6日

弁護士から聖書を
 今日お会いしたある方から、クリスチャンの弁護士さんから聖書をいただいたという話を聞いた。弁護士の方でも、そのような地道な働きをなさっている方がいらっしゃることを思うと嬉しく思う。何とか立ち直ってほしいという思いから、渡されたのだと思う。また、そういう中から、信仰に導かれる方がいらっしゃることもなお嬉しいことだ。何だか心が暖かくなる。
2011年6月5日

恵みの分かち合い
 礼拝後の愛餐会で、今年度の標語に基づいて、「み言葉で励まされたこと」というテーマで、恵みの分かち合いの時を持つ。今回は小グループではなく、大人数だったが、それでもこういうみ言葉に励まされたという証しを、10人位の方が話してくださり、大変恵まれたひとときを持つことができた。主がふさわしいみ言葉を様々な方法でお与えくださり、導いてくださっていることを実感し、大いに感謝する。
2011年6月4日

鳥たちの合唱
 梅雨の合間のさわやかな晴天で、朝から窓を開けて仕事をしていると、裏山の森の野鳥の声がいろいろ聞こえてくる。このところ特に、「テッペンカケタカ」のほとどきずの声が、谷間にこだまし、とても美しい。また、うぐいすも負けじと鳴いている。ほかにも、名前も知らない鳥たちの合唱…。思わず外に出て、しばし耳を傾ける。鳥たちも主を賛美しているのだろうか。
2011年6月3日

分散できないか
 hi-b.a.という高校生のための働きをしている団体からニュースレター等をいただく。代表役員の牧師は、日本福音同盟の援助協力委員会の責任も持っておられ、震災救援のための多くの働きも担っておられ、本当に大変だ。そういう牧師を送り出している教会もすばらしいと思う。超教派の働きは、特に一部の人に集中してしまいがちだが、何とか分散していけると良いのだが…。
2011年6月2日

政界のゴタゴタ
 内閣不信任決議に関するゴタゴタで、政治家の方にはそれなりの論理があるのだろうが、被災者の「どうして今時権力争いをするのか」とか「足の引っ張り合いをして、子どもじみていて恥ずかしい」と言う声が聞かれたが、それが大方の見方ではないかと思う。退陣時期でまだ火種も抱えている。ヤジが飛ぶ国会は、子どもたちが見たらどう思うか。それが伝統なのかもしれないが、こういう時こそ協力して復興に当たる、そんなリーダーたちはいないのだろうか。
2011年6月1日

無関係ではない
 教会員のお母さんが危篤でICUに入り、家族も呼ばれたと、先週日曜日に伺い、集会の前にしばし一緒に祈った。今日の祈祷会でも祈ってもらうべく、気になって電話したところ、昨日はICUでベットを起こされ、ご自分で食事をしていたと聞く。驚異的な回復力に驚きつつ、私たちの祈りと無関係ではないことを感じた。教会員の方もとても喜んでおられた。更なる回復を祈りたい。
2011年5月31日

小学校にて
 子どもたちの運動会が、雨のため3日延期され、今日行われたので、仕事の合間に少し見に行く。それぞれ、勝てたものもあれば負けたものもあり、一喜一憂だったが、妻と二人、子どもたちのがんばりを大いに評価する。学校では大学時代の同級生がいたが、教務主任となってこの春赴任したそうだ。子どもたちに優しく声をかけている姿を見、立派になったその姿に嬉しくなる。
2011年5月30日

一歩進んで
 特別集会の記録を整理しつつ、講師の佐々木先生と話したことを思い起こす。高齢化は、高齢者に福音を伝えるチャンスだとおっしゃっていた。また、地域の高齢者のための集い「恵朗クラブ」を行っているということを話すと、サービスを提供するだけでなく、一歩進んで、そこに参加している人に、お料理や手芸など、何かを教えていただく機会を設けると良いと、そうすれば一層高齢者の方々は生き甲斐を感じると話され、なるほどと感じ、そうしたいと願わされる。
2011年5月29日

雨の中の特別集会
 特別集会が行われ、時折激しい雨の降る天候だったが、それでも大勢の方々がおいでくださり、感謝だった。講師の佐々木先生ご自身が、かつては不良で仕事もなく、つらい中を通ったけれど、今は大学や様々な場所で講義をするほど用いられていらっしゃるが、主イエスに繋がることができたからだと、ご自身の様々な体験を通してお話しくださる。午後の介護に関する講演も、なぜ介護が大変なのか、その中でどうすべきかを実演を交えながらお話ししていただき、とても有意義だった。出席された皆さんも、とても満足そうだった。
2011年5月28日

記念の時
 16年前に東京で葬儀をなさった方のご家族が11人で東京からおいでくださり、教会で記念会を行う。静岡から東京に嫁いだ方で、ご長男のあいさつでは、忍耐強い母で自分のつらさよりも、人のつらさに耳を傾ける人で、人が自然に周囲に集まっていたということを伺い、本当に良い証しをなさっていたと思う。こうして何年も経ってご家族が皆集まるということも素晴らしい。
2011年5月27日

東海地方も梅雨入り
 東海地方でも梅雨入りとなり、一日中、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした曇り空だった。子どもたちは明日の運動会を楽しみにしていたが、予報では、数日先になりそうだ。日曜日も降水確率100%で、特別集会が心配だが、運動会と重ならなかったので、その意味ではホッとする。梅雨入りが早いのは温暖化の影響か?節電をしなければならず、夏が余り早くならないように願う。
2011年5月26日

近畿で梅雨入り
 早くも近畿地方まで梅雨入りだそうだ。天気予報や天気図を見ると、明日以降、東海地方も梅雨入りの可能性がありそうだ。明日から月曜日まで4日間連続で雨の予報…。特別集会も気になるところだ。また、土曜日に子どもの学校の運動会があり、順延で日曜日になってしまうと困るのだが、予報通りとなると、運動会はいつになるのやら…。特別集会も大荒れにならないことを祈る。
2011年5月25日

和紙の張り替え2
 昨日張り替えた和紙のフレームの取付を行う。2m近くあるので、片手に持ってはしごを登るのもバランスを取るのに大変だったが、思ったよりスムーズに取り付けることができたのでホッとする。更に高い7m位のカ所にも剥がれがあって、それも挑戦してみようかと妻に話すと、やめた方がいいと言われ、万が一落ちれば骨折は確実なので、やめることにする。修理の終えた場所を見て、よかったと感謝する。
2011年5月24日

和紙の張り替え
 会堂天井の和紙が一部剥がれてしまっていたので、何とか修理しようと、はしごを使ってフレームを取り外す。5m位の高さはあるだろうか、下と温度もかなり違った。恐怖心もあり、思うようにはずれず汗をかいたが、何とかはずすことができ、和紙を貼り替える。明日、取り付けようと思うが、取り付ける方が大変なような気がする。どうなることやら…。主よ、守りたまえ!!
2011年5月23日

グリーンピース料理
 いつもの月より一週間早く、5月の恵朗クラブが行われる。日程を変更したために、お休みされる方もあったが、それでも聖書のお話し有り、季節の歌や折り紙有りの楽しいひとときを過ごす。一番の人気は、教会員の手作り料理だが、今日はグリーンピースご飯や、グリーンピースで作った餡のかかったお餅など、季節感たっぷりの食事をいただく。集った皆さんに喜んでいただき、感謝。
2011年5月22日

特別集会の祈り
 特別集会を来週に控え、それぞれの礼拝で出席者全員でも祈る時を持つ。祈りにも熱が入り、主を待ち望む賛美も力強かった。また、聖歌隊のメンバーも立ち位置に立って練習していた。それぞれの担当の方がいろいろ手配や準備してくださるので、安心だ。週間天気予報を見ると、雨の予報でやや心配だが、あと一週間、祈りつつ、大きな期待を持ってこの日を迎えたい。
2011年5月21日

残念ながら
 梅屋町教会のゴスペルクワイヤの皆さんと、繁華街に立って、震災のチャリティー募金をすることになっていたが、急遽中止となってしまった。他にもそういうグループがいて、やり方があまり良くなかったのか、店から苦情があったということで、道路の占有許可が下りなくなってしまったということだ。残念だが、仕方がない。でも、自分たちも何かしようと発案された方々の思いは貴いと思う。
2011年5月20日

何とかきっかけを
 学校の朝の礼拝で、何をやっても長続きしない若者が、折れかけてやめようとしたところ、自分の特性に気づき、再度前向きにチャレンジして変えられていったお話しをされた。生徒たちには大きな励ましになったのではないかと思った。女性の派遣が半分以上になったというニュースを見、複雑な思いになるが、若者たちは本当に大変で、何とかきっかけをつかみ頑張ってほしいと思う。
2011年5月19日

教誨師の総会
 静岡県教誨師会の総会があり出席する。受刑者も減っているそうだが、かつてほど宗教教誨を受けることを希望しなくなっているという。これは、時代の変化ばかりでなく、教誨師の側にも責任があるように思う。施設の性格上、被収容者の希望を聞くというところまでなかなか行かないところもあるが、出席して良かったと思えるような教誨を目指していかねばならないことを思う。
2011年5月18日

植木の手入れ
 祈祷会が終わってから、教会員の皆さんも一緒に、あれこれ言いながら、教会の庭の雑木や竹を切ったりする。タケノコもシーズンはほぼ終えたが、他の植木の間を貫く変な生え方をしているものもあり、そういったものを切ったり、鳥が糞と一緒に種を運んでくるのか、いつのまにか大きくなってしまっている雑木を切ったりする。植木の手入れも、時期をみてやらないと大変だと思う。
2011年5月17日

激しい雷雨で
 教区会の帰り、激しい雷雨となり、妻が教会にいたので、近くの駅まで迎えに来てもらい、何とかセーフ。教会に戻り、もしやと思い物置を見ると、数カ所で雨漏りしていた。以前自分たちで屋根を張り替えたもので、少々の雨なら大丈夫だが、葉っぱが屋根の波板の隙間につまり、激しい雨だと雨漏りにつながってしまう。何とかシートをかぶせ対応するが、中のものが少し濡れてしまった。
2011年5月16日

昆虫採集
 子どもの宿題で、昆虫を何でも一匹捕まえるというものがあり、昨日夕方から探したものの見つからず、今朝になって花蜂を捕まえたが、危ないからダメということになり、その後ようやくテントウムシを一匹捕まえることができた。いつもはちょうなどよく見かけ、教会にはいろいろいるが、捕まえようと思うとなかなか見つからなかった。まだ虫たちが活発に活動するには少し早いのか…。
2011年5月15日

特別集会に備えて
 特別集会まであと2週間程となり、礼拝が終えて、特別集会の時の祈りの時を持つ。皆で集まって祈ることの大切さを覚えつつ…。ちらしも教会員の皆さんがあっという間にお持ちくださり、ほとんどなくなってきた。また、視覚障害者の方が来られた場合に備えて、視覚障害者の方に介助の方法を教えていただく。こういう基本的なことも、教会員全員が知っておく必要を感じる。
2011年5月14日

刑務所イースター
 刑務所でのイースターの集会が行われる。今回は、ゴールデンウィークがあったために、通常より遅くなってしまった。聖書のメッセージのほか、フルートを演奏してくださる音楽家の方が、お母さんのピアノ伴奏で5曲ほど演奏してくださり、声楽家であるお母さんが、優しいソプラノで季節の歌などを歌ってくださった。受刑者の方々も、きっと心豊かな時が持てたのではないかと思う。
2011年5月13日

この暑さの中を
 二日続いた雨も上がり、少し歩くと汗ばむ陽気となった。ただ、風が強かったのと時折薄雲が出たために、それでも数日前の33度までは上がらなかったようだ。この暑さの中を、教会員の方が特別集会のためのちらし配りにおいでくださり感謝する。特別集会まであと2週間余りとなり、案内の発送準備もするが、備えもしっかりとしていきたいと思う。
2011年5月12日

節電に励む
 浜岡原発が停止作業に入るとか。静岡県だけだと、原発はいらないと聞いたことがある。今日もよく雨が降り、水力発電の水もたくさん蓄えられて良かった。福島原発事故以来、教会でも自宅でも節電に励まなければと、たこ足配線を見直し、不要なコンセントは抜き、電気器具も使わずに済むものはそうするようにしている。生活全般も見直すいい機会だ。
2011年5月11日

コンクリートの床に
 震災の支援をしている団体の機関誌に、津波で基礎だけになってしまった教会のコンクリートの上に、大きな十字架が作られ、ロープで固定され、おりたたみ椅子が並べられている写真が掲載されていた。復興への第一歩という感じがしたが、牧師や教会の皆さんはどんな思いでいらっしゃるかを思う。今日で震災から二ヶ月、日本も良く変わっていくきっかけとなればよいが…。
2011年5月10日

回復を願いつつ
 ご子息から、教会員の方の容態があまり芳しくないと伺い、親しかった教会員に声をかけ、病院にお見舞いに出かける。肺炎を起こしているそうで、酸素マスクをし呼吸がややつらそうだったが、分かってくださったのではないかと思う。愛唱讃美歌を歌い、主の癒しと平安を祈る。お顔が少し穏やかになったようにも思えた。何とか回復し、また静岡にお戻りになれるよう願うばかりだ。
2011年5月9日

春の落ち葉
 牧師館前のつるばらがみごとに開き、満開状態だ。また、タケノコもそろそろ終わりだが、小さな竹藪でもこれまで10本位は収穫できたのではないか。その反面、ばらのはなびらが一日で大量に落ち、竹の葉も今が生え替わりなのか、大量に落ち、掃いても掃いてもまた落ちる。秋の落ち葉ばかりでなく、春の落ち葉も大変だ。
2011年5月8日

母の日
 元々アメリカの教会から始まった母の日だが、日本でもこの日が覚えられるようになり感謝だ。今日は、礼拝でも母の日の感謝をしたほか、教会学校母の日スペシャルということで、30名近い子どもたちも出席し、お母さんに送るフラワーアレンジメントを作る。母の日の本来の趣旨は、「お母さんありがとう」と共に、それ以上に「神様、お母さんをありがとう」だ。そんな思いを伝えたい。
2011年5月7日

シンプルな問い
 フィリップ・ヤンシー著の「神を信じて何になるのか」という本を、3分の1位読んだ。いろいろ困難な状況の中で、どんなことを語ったのかはいろいろ教えられる。難しい問題に直面し、語ってこられた一方、彼自身が交通事故で瀕死の重傷を負った時、どんなことを思ったか。それは「誰を愛しているだろう」「これまで何をしてきたか」「これからのことに備えができているか」というシンプルな問い、これらを人生で重要な位置において生きようとの事だった。
2011年5月6日

増加の要因
 クリスチャン新聞の報道では、東日本大震災の後、被災地の教会に新しく集う人々の数が増えているという記事を度々目にする。それは、被災地にあって、教会を拠点に他の避難所等にはないことが多々あるからのようだ。炊き出しを待つ人々に、他の地域から来た牧師が一人一人声をかけ、その体験を伺わせていただいたり、物資が不足する中で、信徒自ら私物を進んで提供する事などが行われているからだという。主の愛が実践されているようだ。
2011年5月4日

子どもと庭仕事
 野菜の苗の植え付けをする。トマト以外は、それぞれ1本ずつの少数だが、きゅうり、ししとう、ゴーヤ、すいかなどを子どもたちと一緒に植える。また、子供たちは赤くなりはじめたさくらんぼを少し収穫。まだすっぱいものも多かったが、何とか食べられた。鳥たちが早くもねらっていて、あっという間になくなるだろうと思った。ほかに柿の木にも消毒をするなど、いろいろ庭仕事もできた。
2011年5月3日

梅ヶ島へ
 子どもたちと梅ヶ島に出かける。新緑の美しい中、魚魚の里でつりを楽しむ。子どもたちは初めてだったので釣れるか心配だったが、上手に釣れて楽しかったようだ。続いて、安倍の大滝までハイキング。途中、吊り橋や細い急峻な道で大変だったが、滝のスケールに圧倒!マイナスイオンをいっぱい浴びる。温泉に寄った後、自宅に帰って炭火で魚を焼いて食べる。楽しい一日を感謝!
2011年5月2日

つつじの花
 訪問の途中、駿府城跡のお堀の近辺を走っていたところ、つつじがとてもきれいだった。様々な色のつつじがあるのが美しい。谷津山もつつじがきれいなので、また登ってみたくなった。教会もつつじの花がだいぶひらいてきたが、ピンクがほとんどだ。ただ、からたねおがたまという、甘い香りのする植物もとてもいいにおいを放ち始めている。春たけなわという感じだ。
2011年5月1日

礼拝の賛美集
 役員会では、特別集会の準備のほか、礼拝で用いる賛美集のことも話題となる。新聖歌と讃美歌21を用いているが、讃美歌21は歌詞が口語的に変わっているものの、長く旧讃美歌を使ってこられた方には違和感があるようだ。ただ、最近信仰を持たれた方にとっては、それが普通で何の違和感もないということだ。様々な意見を聞きつつ、今後の話し合いの材料にしていきたい。
2011年4月30日

説教の準備
 明日の礼拝では、妻が説教のため、いつも妻がしている礼拝の諸準備のほか、来週はやや忙しくなりそうなので、来週の説教の準備に少しずつ入る。本当は早め早めに準備ができればいいのだが…。今、原発近くから東京に避難している佐藤先生は、数週間先の説教まで準備しているとお聞きしたことがあるが、今は毎日礼拝をしていらっしゃるようで、どうしていらっしゃるかと思う。
2011年4月29日

野菜の苗を購入
 子どもたちと、ホームセンターに野菜の苗を買いに行く。4種類ほど購入。小玉すいかもひとつ購入する。すいかは過去二回挑戦したが、一度も収穫できたことがない。二週間ほど前から畑の準備をしているが、今日も畝を作り、肥料を入れ、植え付けの準備をする。もう少しポットで育ててから植えつけようと思う。
2011年4月28日

母のカトレア
 もう10年以上前になると思うが、母がカトレアをいただいた。それが毎年花を咲かせ、今年は一鉢でなんと7つも花が開いている。しかも、1ヶ月以上花がもっているからすごい。母も嬉しいようだ。その花を見ていると、どうしてこのような茎や葉からこんなに大きな花がたくさん咲くのだろうと不思議に思う。神の創造のわざはやはりすばらしい。
2011年4月27日

発電機
 被災地でも需要がかつてほどではなくなったようで、広告に発電機の安売りが出ていた。見に行くと、家庭電化製品では使えないようだった。電圧等が安定しないようだ。家庭電化製品が安定して使えるものは割り高だ。また今日、旧発電機に必要な2サイクルのエンジンオイルを、教会員の方が下さった。いざという時使えないでは話にならないので、しっかり備える必要を感じる。
2011年4月26日

福音放送の総会
 静岡福音放送協力会の総会が行われる。昨年度は、一時期35万円余りの赤字となり、放送継続が困難になることも予想されたが、その後徐々に持ち直し、最終的には番組の制作費として、本部に予算以上の送金をすることができ感謝だった。今後、震災の影響がどのように現れてくるか分からないが、東北でも放送を続けるためにも、こちらでもがんばらないといけないと思わされる。
2011年4月25日

捜索の訓辞
 原発から10q圏内の警察による捜索が始まる時の、現場での隊長の訓辞が放映されていたが、「ご遺族のご心情を思い、日本国警察の誇りを持って、全力で捜索に当たってほしい」旨の話をしていた。本当にそういう思いで懸命な捜索をしてくださっている方々のことを思うと、心から敬意を表したいと思う。まだまだ行方不明者が1万人以上もいらっしゃるとか。胸が痛む。
2011年4月24日

復活の信仰に立って
 朝の市内の教会連合の野外での早天祈祷会から始まり、教会学校、合同礼拝、墓前祈祷、教会学校教師会、夕拝と本当に忙しい復活祭だったが、喜びに満たされた充実したいい一日だった。復活祭ほど喜ばしい日はない。いよいよこの復活の信仰に立って歩んでいきたいと思いを新たにされる一日だった。
2011年4月22日

離れているよりも
 受苦日の朝、朝祷会で、救世軍の小隊長がお話しくださる。救世軍は、地震などが起こると、いつも早くから被災地に入り、炊き出しなどをしておられる。祈りは大切だが、離れたところにいて、何度「祈っています」というよりも、一度でも現地に行って「顔を見に来ました」と言う方が被災者には伝わると言われた言葉に心探られる。主はそのように人となってこの地に来られ、罪を担ってくださったことを思う。我らの主は、そんな救い主であることに改めて感謝する。
2011年4月21日

最後の晩餐の夕べ
 今晩は、最後の晩餐が行われた夕べだ。教会でも聖餐式を行い、新しい契約に感謝し、また十字架の記事読み、しばし祈りのひとときを持つ。また「ナザレのイエス」という映画の一部を見る。聖書には、主が「死を味わわれた」とあるが、没薬を混ぜたぶどう酒も受けられず、余すところなく死の苦しみを負われたことを思い、私たちの苦しみを代わりに担われたということの大きさを思う。
2011年4月20日

作品によって
 受難週なので、ディボーションの時、福音書の十字架のカ所を読み直したり、集会の準備のために、受難の映画の一部分をいくつか見たりする。作品による違いを改めて実感。あるものはリアルに、あるものは美しい映像で…。復活の場面で、ハレルヤコーラスが流れる映画もあった。監督はほとんどクリスチャンだろうが、十字架観の違いのようなものを感じさせられた。
2011年4月19日

教育の差か…
 刑務所でいつもの教誨に行う。受難週なので、主イエスの十字架のことや、このところシリーズでお話しししているたとえの中から、十字架前に話されたたとえを取り上げる。よく質問してくださるのは、外国人の方だ。日本語で一生懸命質問してくださる。日本の学校では、日本では講義が中心だが、欧米ではディスカッションが中心と聞く。これも教育の差だろうか。自分の思いを素直に言えることは、どんな場面でも大切なように思う。
2011年4月18日

一坪の畑
 半年余り放置していた一坪程の畑を、夏野菜を植えるために耕す。輪作すればよいのだが、夏野菜しか植えたことがない。雑草を抜き、苦土石灰を蒔き、また買ってきた土や堆肥を混ぜ込む。わずか一坪程だが、それでも40〜50分かかっただろうか。涼しい日だったが、ほんのりと汗をかく心地よいひとときだった。
2011年4月17日

病者訪問
 礼拝後、8名で教会においでになりにくくなっている方のところを訪問する。ある方は、みんなで声をかけ、讃美歌を歌ったりすると、その表情が少しずつ変わっていくことを感じる。ご家族の介護のご苦労を伺いつつ、心から主の支えを祈る。今日ご同行くださったった方は80歳を過ぎた方も4人いらっしゃったが、そういう年齢になればなるほど、行ける時に訪ねたいと願われるようだ。
2011年4月16日

ユースパッション
 ユースパッションという連合会主催の若者向けの集会に参加する。クリスチャンのダンサーの方が、ご自身の証しとダンスを披露してくださった。いろいろな分野で活動される方がいるんだと感心する。メッセージも、I love you.を、「愛する」、「好き」という言葉を使わないで、何と表現する?と問いかけながら、主イエスの愛を話される、聞く人々を巻き込む斬新な切り口の話で、なるほどと思わされる。
2011年4月15日

緊迫した雰囲気
 執筆者勉強会に東京に出かける。編集部も被害があったほか、執筆者の先生方の中にも、被災された教会や超教派で支援していらっしゃる中心メンバーの方もいて、大変だとつくづく思う。都内もで、電車の空調や照明など、静岡以上に節電で、より緊迫した雰囲気を多少なりとも感じる。静岡はずっと恵まれていることを実感する。
2011年4月14日

今年の桜は…
 病院の9階から市内を眺めると、まだピンク色に霞んではいるものの、はや桜も散り始め、あっという間だったことを思う。今年は、3月20日に開花宣言が出て(静岡の標準木は毎年少し早すぎると思う)、その後足踏みで、満開まではかなり時間がかかり、今まで持ったのはすごいとは思うが、満開から散るまでがとても短かったように思う。何か、人の一生を思わせられる気がした。
2011年4月13日

どんなものも
 今日届いたクリスチャンクリスチャン新聞に、津波で会堂も牧師館も流されてしまった教会ががれきの写真と共に掲載されていた。幸い、牧師や家族は無事だった。そんな中、示されたみことばが「大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。」で、どんなものもキリストにある神の愛を押し流すことはできず、今まで以上に主の愛を伝えていこうと決心されたと言う。この教会のためにも、夜の祈祷会で共に祈る。
2011年4月12日

福音放送を続ける
 静岡福音放送協力会の総会に向けて、資料作成など準備をする。福音放送は、地元の教会が協力して、局に放送料を支払い、放送を続けている。そんな中、本部ではこういう時だからこそ東北の被災地に向けての放送を続けると決断し、ラジオ・テレビ共に続けているようだ。地元からの支払いはしばらく無理と思うが、本部もがんばっている。各地もこれを何とか支えねばならない。
2011年4月11日

震災後の社会
 夜、市内の教会の連合会総会があり、その中である牧師が、今度の震災で多くのものを失ったが、全国民が持てるものを分かち合おうとするいい傾向も生まれつつある。阪神大震災後、神戸で孤独死が問題となったが、その人は「震災の頃は良かった。一個の石けんを皆で分け合って使っていた」と話していたそうだ。阪神大震災後、また過度のエゴに戻り、勝ち組負け組が象徴的な社会に逆戻りしてしまったと、警鐘を鳴らしていた。
2011年4月10日

最大の親孝行
 一年余り前に召された姉妹の記念会を行う。晩年は難病で大変ではなかったかと思うが、穏やかな病床であったことを思い起こす。元気な頃、信仰の体験を語ったテープ、歌った賛美の声があったので、それを聞き、故人を偲ぶ。娘さんが、何も親孝行はできなかったが、福音を伝えることができ、天国に召されて行ったことが、最大の親孝行ではなかったかと思うと話されていた。
2011年4月9日

心の中の祈りは
 入院中の教会員の方は、視覚障害がある上、このところ声もとてもでにくくなっている。そうなると、ご自分の意志が、なかなか伝えられないのではないかと思う。こうしてほしいと言った意志が伝えられないと言うことは、どんなに大変かと思う。御名前を呼ぶと、かすかな声で返事をしてくださった。心の中で祈った祈りは、神様にきっと届きますからと、耳元でお話しするのが精一杯だった。
2011年4月8日

ライフセンター閉店
 ライフセンターというキリスト教書店が閉店することを、本社の方と横浜書店の方がおいでくださり、わざわざ挨拶に来てくださる。正直ショックだった。赤字が続いてしまっている状況のようで、致し方ないのだろうと思う。静岡にはもうひとつ聖文社があるが、商品の品揃えも違い、ライフセンターのように、かなり得になるポイントもつかない。ともかく、寂しい限りだ。
2011年4月7日

歴史の記録から
 東北で地震があった日以来、過去の東海地震のことが気になり、教会の方に昔の言い伝えを聞いたり、ネットで調べたりして、津波の危険性がある場所を把握し、教会員の避難や非常時の安否確認方法について考えさせられている。静岡でも、海岸から数qのところに「潮入」とも言われる場所があり、そこまで安政の東海地震の時に津波が来たとか。歴史を調べることも大切だ。
2011年4月6日

復活の時は必ず
 暖かい日となり、桜の花がどんどん開くことに目が行きがちだが、新緑の若葉が萌え出ているのに、あちこちで気づくようにもなった。クリスチャン新聞の被災地での様子などを報じる被災された牧師の投稿の中に、「津波にのまれた木々さえも芽吹いている。復活の時は必ず来る!」と記されていた。今年も24日に復活祭を迎える。何か大きな希望を感じた。
2011年4月5日

讃美歌を届ける
 入院中の方に讃美歌を聴いていただきたいと思い、電機店に行くと、CDラジオなるものが3,600円位で売られていた。中国製だが、食品ではないのでいいだろうと購入する。讃美歌を聴いて、主を見上げ、少しでも心が和むならば感謝だ。被災地でも、小学生がいろいろな歌を元気に歌っている姿がよく映し出される。讃美歌なら、神様の力も増して注がれるように思う。
2011年4月4日

イメージできない…
 健康診断を受けに行く。手元にファイルされている過去の10年余りの資料を見ると、体重も4キロ位増えていることを思い、以前の自分をイメージできないことを悲しく思う。ただ、このところ、できるだけ歩くことを心がけていたところ、体重はたいして変化しなかったが、ウェストは6センチ余り細くなった。震災の方々の食事を見る度に、漫然とした生活を修正しなければと思わされる。
2011年4月3日

戦時中を…
 礼拝後の愛餐会では、地震報道を見て感じたこと、私たちにできることというテーマで語り合いの時を持つ。その大変な状況で、戦時中のことを思い出された方もいらっしゃり、日本中が焦土と化した戦争のことを話される方もあった。その位の衝撃があったということだと思う。時間が足りず、次回に持ち越すことになるが、末永い支援も必要であることを思う。
2011年4月2日

震災の影響
 スーパーに買い物に行くと、卵が品薄になってきたとの表示がされていた。震災以来、回復してきたものもあるが、新たに品薄になるものもあり、静岡はまだまだ恵まれているとは思うが、影響がどこまで広がるのか懸念される。福島でも、高濃度の放射線の入った水が放出されてしまったとか…。一生懸命、作業する方のことが思い浮かぶ。何とか早く収集されることを祈るばかりだ。
2011年4月1日

建学の精神
 新年度を迎え、学校では全職員が集まる中で、新校長から、「厳しさの中にも、建学の精神にしっかりと立って行く」という旨のお話があった。英和の建学の精神は「愛と奉仕の精神」だ。自分が担当する聖書も、その基盤になるため、そのことを踏まえつつ授業を備えていく必要を改めて感じる。英和生は、授業はとてもしやすい。先生方の日頃の指導の賜物と思われる。