2011年3月31日

まだ暖房も欲しい…
 両親に頼まれ、灯油を1パック買いにいったところ、販売していた人が「やっと春が来ましたね」と話しかけてきた。灯油を少しでも買うかどうか迷う頃で、毎年この時期、つまり桜が咲く頃には、にはあまり買った記憶がない。確かに今日は18度以上になり、少し歩いただけで汗ばむ程だったが、朝はまだ5度台と、暖房も欲しい状況だ。あともう少しなのだろうと思う。
2011年3月30日

87歳の方が
 午後の祈祷会に、被災された方々のために祈りたいという87歳の高齢者の方が出席して下さった。もう一人の87歳の女性もおいでになり、当教会の礼拝出席者の女性の中では、今一番ご長寿の二人だが、お二人の姿に大いに励まされる。クリスチャン新聞やHPから、被災された教会の様子を報告しながら、「祈られていることが力になる」とある言葉に、こちらも励まされる。
2011年3月29日

大きな愛
 被災地に届ける荷物を運ばれるという市内の牧師に、救援物資をようやく依頼することができた。一度、埼玉に集めて、それから被災地に運ばれると言う。ネットを見ていると、津波の来る中、自分の命を犠牲にし、人を救った人々のことがいろいろな形で紹介されている。「友のため自分の命を捨てること、これ以上大きな愛はない」と言う主イエスのことばを思い起こす。
2011年3月28日

与うるは幸い
 恵朗クラブでは、しばらく療養等でお休みしておられた方で、久しぶりに出席された方もいて、とても大勢で感謝だった。また、震災の地で、「受けるより与うるは幸いなり」を実践され、救援物資を受ける以上に、どんどん分け与えている被災地の教会の働きを紹介させていただく。困難な地で、なお豊かな心で生活されている方々に心から敬服し、主の祝福と支えを祈る。
2011年3月27日

心に迫り
 「方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。」という主の言葉が、メッセージをする前に心に迫ってくる。そこで、準備したものにはなかったが、これに触れつつ説教をするように導かれる。福島原発のこと、自然界の様々な兆候も、何とか静かに早く収まってくれればいいと願うばかりだ。
2011年3月26日

我が家にも
 以前妻が牧師をしていた九州の教会から、お米とお水を送ってくださっていた。地震の影響で、東日本の品不足が深刻と聞かれたのだろうか。それとも静岡県東部の地震のニュースを聞いてくださったからだろうか。大きな愛に感謝しつつも、申し訳なく思う。この救援物資は、もっと深刻な地域に何とかお譲りしなければと思うが、宅急便は不通のようなので、現地に物資を持って行く方に、何とか手渡したいと思う。
2011年3月25日

最後のメッセージ
 朝祷会では、6年間お交わりをいただいた牧師の最後のメッセージだった。一応定年を迎えられるそうだが、牧師を辞めるのではなく、新しい任地でなお続いて働かれるという。なお、宣教の情熱を衰えずお持ちの姿に、大いに励まされる。堅い握手をしお別れしたが、名残惜しかった。
2011年3月21日

喜ぶものもひとつ
 ゴスペルメンバーの結婚式が市内の教会であり、ゴスペルで賛美と祝福をさせていただく。牧師の式辞の中で、先輩として「ごめんなさい」が大切だと、でもそれだけでは十分ではなく、何か妻の喜ぶものをひとつ渡すことも忘れずにと話しておられた。そうしていらっしゃるのだろうなと思い、私も見習わなければと思った。いい結婚式だった。
2011年3月20日

うぐいすの声
 今朝5時半頃、礼拝の準備をしていると、うぐいすの声が何度も何度も聞こえた。今年はまだ氷点下に下がる日もあるので、遅れるだろうと思いきや、今日静岡で桜の開花宣言が出たようだ。標準木は毎年少し早いようにも思うが…。春なんだなと思う。東北にも、早く春が来るといいと思う。
2011年3月19日

とおきくにや
 以前、聖歌の中には「とおきくにや海の果て…」という、関東大震災の時に作られた賛美があったが、新聖歌になってからは、なくなってしまった。震災の中で、十字架を見、励まされた宣教師が作った曲だ。朝祷会の歌集の中にこれが掲載されていて、司会の方がそれを選曲し皆で歌う。賛美をしていたら胸が熱くなる。仕事をしつつ、妻もこの賛美を口ずさんでいた。
2011年3月18日

祈りを求めるメール
 被災された牧師からの願いで、今日全国の牧師たちにメールが届けられた。チェーンメールではない。被災地のために、日本のために祈ってほしいと…。ニュースでは原発や東電職員の妻の手紙が読まれていた。何も連絡はないが、家族の心配をよそに、不眠不休で命懸けでがんばっていると。様々なうわさに流されず、一層祈らねばと思う。思いも新たにしばし祈る。
2011年3月17日

返しに来た人
 買い占めが問題となる中、今日もトイレットペーパー等を並んで買う人を目にし、いろんなうわさが人を動かしてしまうことを思う。そんな中、ラジオで、昨日あせって買い占めてしまった人が、報道を聞き、自分の行動を恥じて、ホームセンターにその品を返しに来て、代金の返金はいらないので、被災者の義援金に廻して下さいと言った方がいたと報じられていた。勇気ある行動と感じた。
2011年3月16日

昨晩震度4
 昨晩、寝かかったところで地震。妻はとっさに子どもを抱いて、部屋の中央に集まる。幸い揺れはすぐ収まる。震度4だったとか。富士山のすぐ近くの震源地だったので、火山性微動などどは違うものの、富士山は大丈夫かと、ふと思ってしまう。日本各地が震われつつあるように思う。
2011年3月15日

離れていて
 外国人の方の個人教誨をする。親族が続いて亡くなられ、自分のことでストレスを与えてしまったからだと、涙しておられた。離れていて、葬儀にも行けないつらさもあるだろう。そうして、ご自分のことを深く見つめ直すことは意義あることと思う。海外で教会に行ったことのある方だったので、聖書を開き、愛なる神に委ねて祈ると共に、今後の歩みについて話す。
2011年3月14日

何とも気が重い
 体調がすぐれない一日だった。精神的なショックも影響しているものと思う。こちらでさえもそうなのだから、被災者の方はどんなだろう。マスコミの数の発表も、冷静に事実を告げることは大切なのかも知れないが、結果として人格が尊重されていないような気がして、何とも気が重い。
2011年3月13日

今の時を
 阪神大震災の時、拠点教会として復興のために働かれた牧師が残した説教集に目が留まる。そこには、何事もない時に、「今は恵みの時、救いの日」ということを、重く受け止めるべきだと強く感じたと記されていた。その時、主のことばにしっかりと聞き、主をしっかりと信じることだと。そんな思いを噛みしめつつ、被災地のために祈り、今日の礼拝を献げる。
2011年3月12日

心が痛むばかり…
 被害がどんどん拡大していくばかりで胸が痛む。昨晩もよく眠れなかった。被災地の方はどんなであろうか。一瞬にして愛する家族を失い、財産を失い、状況もわからず…。何とも言葉もない。主の慰めと力が与えられるように祈るばかり。明日の礼拝の準備をしながら、せめて教会員の皆さんにお願いする義援献金の献金箱を作る。このようなことしかできない情けない自分を思う。
2011年3月11日

東北で大地震
 午後3時前、東北地方などで激しい地震と大きな津波との報道。静岡では震度4で、ほぼ被害はなかった。これだけ大きな地震だと、よく情報が伝わらず、被害の状況も把握できないことがわかった。ともかく家族で集まって祈る。
2011年3月10日

情操講話
 駿府学園(旧少年院)で情操講話をさせていただく。心の成長のために、どういう考え方や対人関係を持つべきか、また聖書から生きる意味は何かということを話す。生きる意味は何だと思うかという問いをしたところ、誰も答えないかと思いきや、3人位がそれぞれの意見を述べてくれた。こういうテーマでじっくり話し合うということもよかったかもしれないと思わされる。
2011年3月9日

お茶の効果
 祈祷会を終え、家に戻ると、お茶の健康効果についての番組を放映していた。ミルで茶葉ごと砕き、一緒に飲むと良いとか…。どうしても仕事中は、インスタントコーヒーの方が手軽で、そちらばかりに手が伸びてしまう傾向があったが、この頃、妻がよく食後にお茶を入れてくれるようになった。これも嬉しいことだ。ミルを買ってみようかと妻と話す。
2011年3月8日

横の交わり
 三島で教区総会があり、年間の計画をどうするかなど、いろいろ話し合う。青年の活動について、どのように今後導いていったらいいかなど、特に時間をかける。子どもたちや若者が更に養われていく必要、特に信仰的な面で養われていく必要があるように思わされる。そういう意味で、横の交わりを通して刺激を受けることが大切だと思う。自分も若い時はそうだったことを思い出す。
2011年3月7日

すばらしい働き
 この頃、教会の裏山の谷津山の美化や竹の伐採、広報活動など、様々な活動を行っている谷津山再生協議会の団体のひとつ「earth」というグループの方が、機関誌に私たちの教会のことを紹介して下さるという。そのためにわざわざ取材に来て下さり、今日はその記事の校正のためにおいでくださった。地域に密着したボランティア活動をなさっておられ、これもすばらしい働きと思う。
2011年3月6日

新年度の備え
 午後の役員会では、新年度の計画等について話し合う。特別集会や音楽会で、すばらしい講師やゲストをお招きすることができ、ライフラインラリーも当教会で開催できる予定だ。聖書のみことばに励まされた恵みを分かち合う時も持つよう提案する。世の中は明るい見通しが持ちにくい時代だが、私たちは主にあって希望を持って、主が成して下さるという思いで、新年度に備えたい。
2011年3月5日

いったいどうして…
 昨晩、熊本で3歳の女の子がスーパーのトイレで殺害された犯人の大学生逮捕のニュースを聞いたが、今日のニュースではその詳細が報じられていた。同級生の話では教職を目指す普通の学生だったとか…。普通の目立たない子や真面目な子が重大事件を起こすことが多いようにも思う。いったいどうなっているんだと思う。ちょっとトイレに行っただけなのに、気の毒でならない。
2011年3月4日

逆上がりの練習
 昨晩寝るとき、息子が「ぼくまだ逆上がりができない」と言うので、じゃあ練習しようと、今日早速練習する。この頃はネットで練習法やアドバイスの仕方まで出ているので、それを参考にさせていただきながら、何回か練習する。要領は何となく分かってきたのではないかと思う。あともう少し。土日は特に遊んでやれないので、少しでも父親らしいことをしなければと思うのだが…。
2011年3月3日

カンニング事件
 携帯電話とYahoo知恵袋を用いたカンニング事件で、予備校生が逮捕されるというニュースを聞き、複雑な思いになる。それほど罪の意識なしにやってしまったことのようにも思うが、これだけ報道され、事の重大性に気づいたという感じなのかもしれない。良心の声が響かなくなってしまっているのだろうか。それにも鈍感になってしまうのだろうか。若く優秀な学生だったと思うので、親御さんもどんなにショックだろうか。更生してほしいと願うばかりだ。
2011年3月2日

幸いを得るために
 申命記からの説教を準備する中で、いろいろ教えられる。今日も、十戒が定められたのは、「とこしえに幸いを得る」(5:29)ために神が定められたものだということが心に留まる。ただ、厳しい掟というだけではなく、まずエジプトから民を救い、更にこのように歩めば幸いを得るとの主の導きであったことを思う。読んだ時の印象だけでなく、そこにある主のみこころを知る大切さを思う。
2011年3月1日

とうとう来てしまった
 自分はそんなにひどくはないと思っていたが、数日前から目のかゆさと鼻水。いよいよ花粉症か…と思い、耳鼻科を受診する。駐車場から車が、待合室から人が溢れてしまうほどの混雑ぶりで、二人の医師が診断していたが、2時間ほどかかってしまった。今年は花粉の量が多いと報じられているので、注意せねばと思う。
2011年2月28日

雨の中の恵朗クラブ
 地域の高齢者のための会、恵朗クラブがあった。まとまった雨となったため、いつもの出席者でお休みされる方もあったが、仕事が休みだった教会員の方がかけつけてくださったこともあり、いつものにぎやかさだった。讃美歌の他、季節の歌で「早春賦」などの春の歌や「仰げば尊し」などもピアノを弾いていただいて歌う。日本で歌い継がれてきた歌もいいものだなと思う。
2011年2月27日

礼拝後のひととき
 礼拝後、教会員の皆さんが帰られるまでのひとときは、皆さんの近況や祈祷課題等を伺う貴重なひとときだ。今日も、説教の感想(妻が説教だった)や、体調等の祈祷課題の他、また神様が祈りにどんなに答えて下さっているかという証しなどを伺うことができ、大いに励まされる。また、祈りの課題も明確になるので感謝だ。主の生きて働かれるみわざをかいま見るひとときのように思う。
2011年2月26日

ゴスペルライブ
 ゴスペルライブ2011が行われ、24名で出演、8曲の賛美をする。花粉が非常に多いと発表される中、出席者が減るのではないかと案じられたが、それでも例年よりやや多い出席者がおいでくださり、懐かしいメンバーの方やメンバーのご家族などにもお会いできて、これもまた素晴らしい機会だった。メンバーの方々の一体感は素晴らしく、一番良かったのは出演者たちではないかと思った。これも神を賛美するすばらしさではないかと思う。
2011年2月25日

教会玄関の工事
 教会の玄関のタイル工事をしてもらっている。とてもきれいになり感謝だが、雨天のため工事日程が一日延びてしまい、明日のゴスペルコンサート直前までぎりぎりになってしまいそうだ。それでも、午前中に工事を終え、何とか玄関から入ることができるようになるとの事で、万が一のためにシートを敷いてくださるそうだ。影響のないことを願いたいが…。
2011年2月24日

ホッとしたものの…
 締切が迫った執筆物をようやく提出することができた。今回は比較的早くから少しずつ取り組んでいたが、それでもいろいろやらねばならないことが起こり、結局ぎりぎりになってしまう。今日も、最後のまとめに半日くらいかかってしまったが、それでも提出できたのでともかくホッとする。逃避したい思いも起こり、他のことを優先したりして、何度繰り返しても我ながら進歩しないなと思う。
2011年2月23日

また大地震
 ニュージーランドの大地震では、がれきの中にまだたくさんの人がいらっしゃるようで、心が痛む。家族でもそのことを祈り、また祈祷会でも祈る。ご家族はどんなに不安だろうか。地震のニュースを聞くと、静岡に住む私たちは人ごととは思えない。昨晩も、家族で防災用品のチェックをする。賞味期限切れの非常食などもいくつかあり、買い足さなければと思う。
2011年2月22日

卒業記念礼拝
 英和の卒業記念礼拝でメッセージをさせていただく。数日前から、どんな説教をしようかさんざん迷い、祈り考えさせられてきたが、生きる目的を示しているみことばを選び(エフェソ2:10)、そこからメッセージをさせていただく。やや重い内容になってしまったようにも思うが、もう少し例話などを入れ分かりやすく楽しく話せばよかったと反省。ただ、彼女たちの前途に祝福を心から祈る。
2011年2月21日

後見人
 当教会員で障害者の方の後見人に選ばれた方が、わざわざ教会を訪ねてくださる。親が亡くなり、親族も高齢である場合、市で選定するようだ。まだ若い方だが、とてもいい方だった。そういう働きを受けられなさるということは、いろいろ大変なこともあるだろうと思うが、知識のある方が受けてくださり、感謝だ。天国で、お母さんも喜んでおられるものと思う。
2011年2月20日

春の雰囲気
 礼拝後に7人で病者や高齢者の訪問に行く。行った先で、川の土手沿いに河津桜が咲いていると聞き、車で通ってみる。地域の方が、苗を寄贈され、約1qの並木にしたそうだ。5部咲き位のものもあり、花見をしている方もいた。春の予感を感じる。病者の方々にも、教会の梅でも切って春の雰囲気だけでも届けることができたらとも思ったが、生花は手入れが大変なようなので、そうもいかなかったが…。
2011年2月19日

オークションで
 教会でプロジェクターを使い始めて8年くらい経つだろうか。暗くなってきたので電球を交換したところ、明るくなるかと思いきやほとんど明るさが変わらない。メーカーに問い合わせたところ、修理が必要で時間もかかるとの事。もしやと思いネットオークションを見たところ、同様の物が1万円以下で出ていたので一か八か購入してみたところ、これが当たりで明るく映るではないか…。得をした気分になる。
2011年2月18日

汗をかくほどの陽気
 大雨が止んだ朝からとても暖かく、午後、買い物をしつつトラクト配布をしたが、しっかり汗をかくほどの陽気だった。家々の梅や河津桜もかなり開き、春本番のような感じだった。富士山も、雨のためか所々で雪がなくて地肌が見えていた。気温を調べたら19度近かった。教会に帰ってから扇風機が欲しいと思ってしまうほどだったが、吹く風はここちよかった。
2011年2月17日

持久走大会
 小学校で持久走大会があり、1時間余り、子どもたちの応援に行く。校舎の周りを3周くらいで約1qのようだが、一生懸命走る子どもたちの姿に感動。中には泣き出しそうな表情で、横っ腹を押さえている子もあった。帰ってから息子の日記を見せてもらうと、「おとうさんがおうえんしてくれたが、集中して走った」と記されていた。後で妻と二人、笑ってしまったが、複雑な思いだった。
2011年2月16日

出エジプトの旅程
 昼間の祈祷会では、申命記からお話ししているが、出エジプトの経路について、地図を通して地名を確認したところ、セイルの山地にかなり長い間滞在しているということに気づく。そうなると、シナイ半島というより、そのかなり北東ということになる。1500mから1700mの山岳地帯とあった。その中で、「なにひとつ不足しなかった」と記されていることは、注目に値すると思われる。試練の中でも決して放置されない神の恵みと憐れみを思う。
2011年2月15日

雪を頂いた山々
 バイクであちこち走り回ったが、昨日の雨は山では雪だったようで、雪を頂いた富士山は麓近くまで雪景色。またすぐ近くの山々まで白くなった南アルプスから連なる安倍奥の山々、雨上がりで空気も澄んでいたせいか、とても美しかった。カメラを持っていれば…と思うほどだった。近くまで行ってみたいな…と思うほどだった。
2011年2月14日

復活祭のあり方
 夜、市内の連合会の牧師会が行われる。長年行ってきた復活祭の早天祈祷会をどうするかということで、先生方といろいろ話し合う。この頃、出席者が次第に減少し、逆に地域のラジオ体操の出席者が増えてきた。ただ市内の教会が集まり、静岡市のために祈る数少ない機会でもあり、復活の日の朝という意義ある時でもある。結局開始時間を10分早めて行うことになる。
2011年2月13日

愛媛から
 今日は愛媛から礼拝に出席してくださった兄姉があった。私たちの教会のメンバーのお友だちだが、その方のお宅を訪ね、最近礼拝においでになりにくくなっているその方を連れておいでくさった。大きな愛に感謝する。また大きな声で賛美をささげるその声に、彼らの信仰を思い、主にある兄弟姉妹の幸いを覚え、御名を崇める。
2011年2月12日

かなり歌えそう?
 ゴスペルコンサートが2週間後に近づき、今日はたくさんの曲を歌って練習する。皆さんよく練習してくださっているようで、かなり歌えそうな感じだった。練習後は、1品持ち寄りの夕食。大豆の煮物やひじきなど、ヘルシーなものを持ってきてくださる方もいて、楽しく会食をすることができた。たまにはこういう食事会もいいなと思う。
2011年2月11日

たぶん雨
 雪が降るかも知れないとの予報だったが、一日雨だった。それでも日中は寒く感じたので、ネットで気温を調べてみると、未明の3時が7.8度で一番高く、日中は逆転して5度にも満たない様だった。それにしても、静岡はなかなか雪が降らない。明日も、月曜日も、天気予報には雪だるまの印が出ているが、たぶん雨だろうと思う。
2011年2月10日

ノコギリを新調
 家族がインフルエンザなので、訪問等は控え、教会の庭木の手入れをする。隣地に枝が伸びてしまっているものもあり、はしごに乗って、切れ味の悪いノコギリでへっぴり腰でおっかなびっくり切っていたが、余りに能率が悪いので、近くのホームセンターでノコギリを新調。今までのものがウソのようによく切れ、効率よく数本の剪定ができた。かなりの肉体労働だったが充実感があった。
2011年2月9日

微熱だったが…
 子どもが昨日微熱があったので、学校を休ませたが、今日妻が医者に連れて行ったところ、インフルエンザにかかっているとの診断だった。微熱なので単なる風邪かなとも思っていたが、医者に連れて行って良かったと思う。家族全員で予防接種は受けていたが、かかってしまう場合もあるのだと思う。かわいそうだが家の中で隔離し、私たちもうがい手洗いを徹底しなければと思う。
2011年2月8日

ライフライン委員会
 福音放送「ライフライン」の委員会があり出席する。今年度は、一時期赤字が続き、放送の継続も危機になるかと思いきや、その後支えてくださる方が多数起こされ、また企業で広告を出してくださるところも起こされ、委員の先生方と感謝する。また、番組を通して教会に導かれた方がいるというお話しも、また伺うことができ、大いに感謝する。
2011年2月7日

谷津山縦走
 月曜日もなかなか休めないが、今日は日頃の運動不足を少しでも解消しようと、裏山の谷津山を歩く。東西に細長い山で、いつも頂上のある西側ばかり登っていたが、今回は東端まで尾根伝いを縦走。今まで歩いたことがあったかなとふと思う。この頃、広がった竹藪をボランティアの方が伐採され、見晴らしがいい場所が所々にあった。1時間で約7千歩、気分転換になった。
2011年2月6日

拡大役員会
 礼拝後の役員会は、相談役(役員を経験された方)にもご出席いただき、最初の1時間足らずを拡大役員会という形で行う。教会運営に関する提言をいただく。若い方々や様々な活動に目が行きがちだが、高齢者に対する配慮も今以上にしっかりとすべきことを思わされる。一生懸命礼拝を守っている方の思いを受け止め、声をかけたり、お訪ねしたりする必要を感じさせられる。
2011年2月5日

教会の紅梅開花
 ここ数日の暖かさもあって、いつも開花がかなり遅い教会の紅梅が2輪開いた。ただ、近所の梅は、特に白梅など満開近いのではないかと思うものもある。品種や日当たりの違いにもよるのではないかと思う。まだ2月になったばかりなのに、春めいてきた感じさえする。新聞ではふきのとうが出たというニュースも。春が近づいてきた感じがする。
2011年2月4日

もう一本
 今日は訪問等にも行かず、昨日伐採中に気になった木をもう一本、父に見てもらいながら、一人で切る。昨日のよりもやや小さいが、全体で100kg位にはなるのではないかと思う。切るのは忍びないが、野鳥が種を運んできた雑木で、あまり大きくなりすぎると管理ができなくなってしまうからだ。今日は立春、汗ばむ陽気だったが、3時間位でほぼ片付く。ここちよい疲労感だった。
2011年2月3日

木の伐採
 教会の門のすぐ脇で成長しすぎてしまったあすなろの木を、教会員の方と伐採する。父が昔、成長しすぎないようにとてっぺんを切ったものの、わき芽が上に、また枝がかなり横に伸びて、大きなトラックやバスの場合、枝が当たるようになってしまっていた。彼は、大木を切った経験もあり、5m前後の木だったが、上手に倒すことができた。見通しがとてもよくなった。
2011年2月2日

一層の一体感
 祈祷会では、妻が担当する番だったが、祈り方を変えてみると言うことで、いつもは3つ位のグループに分かれて祈るが、今回は全員一緒に、それぞれが祈る課題を決めて祈りの時を持つ。出席された皆さんの意見はそれぞれだったが、皆で祈ることも、一層の一体感を持つことができいいのではないかと思った。
2011年2月1日

いつか日本語が
 夕方、刑務所での教誨があり、出かける。出席して下さる方は、国際色豊かだが、ある外国人の方が、持っていったプリントを見て、英語を少し入れてくださると嬉しいですと言っていた。日本語がわからないと、いろいろつらい思いもするだろうと思う。ただ、「ここで自然と日本語を学べるということはいいことだし、将来何かで役に立つと思います」と話す。社会復帰に役立ててほしい。
2011年1月31日

恵朗クラブ
 地域の高齢者のための会、恵朗クラブが行われる。いつも司会をしてくださる視覚障害者の兄弟が都合で来られなかったが、別の姉妹が会を楽しく導いてくださる。3時間余りの短いひとときだが、お一人暮らしの方等、とても楽しみにしていてくださる。寒さが続き、今朝はこの冬一番の寒さの中、かぜをひいたり、ご病気でおいでになれない方が心配だったが、皆で癒しを祈る。
2011年1月30日

時代の変化か
 午後、教会学校の教師会が行われる。なかなか子どもが教会につながらない状況の中で、保護者の方々のご理解をいただくことが大切だが、時代の変化も大きいことを語り合う。昨日も、9歳の女の子が傷つけられたという事件報道があり、小さな子どもが一人では安心して外出もできない時代になりつつあるように思う。保護者も心配で外に出しにくいことを思う。それでも、何とか祈りつつ糸口を見つけていきたいと思わされる。
2011年1月29日

噴火のニュース
 九州の霧島連山の新燃岳の噴火のニュースを聞いていて、かつて伊東に住んでいた時、伊豆大島の大噴火があった時のことを思い起こす。噴煙ばかりでなく、火柱が数百メートルまで数カ所で吹き上がり、対岸にいても本当に恐ろしく不安だった。ただ、比較的短い期間で噴火は終わった。今回も、地元の人はどんなにか不安だろうと思う。早く終結してくれると良いのだが…。
2011年1月28日

何によって生きるか
 今朝の朝祷会に来られた信仰の先輩の方が、こんな祈りをなさっていた。「年を取ると失うものが多く、体も弱っていきます。そういう中で、何によって生きるかが真に問われるのだと思います。また、そういう中で受ける恵みも大きいと思います。」ご本人の実感であると共に、なるほどそうだと感じる。失うことが多い中にも、福音によって真の慰めを受け生きる幸いを思わされる。
2011年1月27日

遠近両用眼鏡
 注文していた遠近両用眼鏡ができ、着用し始める。近視の場合、老眼になっても眼鏡をはずせば大丈夫と思っていたが、そうもいかないようだ。まだ老眼の方は、一番弱い度数のようだが、近くを見るのには慣れるのに少し時間がかかりそうだ。それでも、近くを見る時、眼鏡をいちいちはずさなくて済むというのは助かる。そういう年齢になったんだと、こんなことからも思わされる。
2011年1月26日

強風の中を
 午後の祈祷会の始まる頃、風が随分強いなと感じる。二人の姉妹は自転車に乗って来られた。すごい風でこぐのが大変だったと言う。そういう中、一生懸命自転車をこいで教会においでくださる姿勢に、頭が下がる思いだった。自分も、祈祷会後に郵便局に歩いていくが、帽子が飛ばされそうな強風だった。冬型も強まり、雪国では吹雪ではないだろうか。
2011年1月25日

CDを作って
 礼拝をお休みされた方のところに、できるだけ説教や証しの録音をお届けするようにしている。かつてはカセットテープだったが、最近はカセットが余り使われなくなり、MDも思ったほどは普及しなかった。今はMP3が主流なのかもしれないが、当教会では高齢者も多いために、パソコンでフリーソフトを使ってCDを作り、お届けするようにしている。礼拝に来られなかった時も、ご自宅で主を見上げる時を持っていただけたらと思う。
2011年1月24日

北朝鮮の党幹部
 北朝鮮の党幹部が就任四ヶ月にして肺ガンで亡くなったと報じられていた。重篤な病の人を幹部に就任させるだろうかということで、疑惑があるようだ。先日のクリスチャン新聞では、元党幹部が脱北し、後にクリスチャンとなり、母国の宣教師となって母国に行ったものの、以後消息がわからないとの記事が掲載されていた。批判ばかりするのでなく、祈らなければと思わされる。
2011年1月23日

お訪ねして
 礼拝後、8人で病者や高齢者の方々のお宅を訪問。ある方のお宅では、転倒されてお顔を怪我なさり、目の周りが青ずんでいらっしゃる姿を見て、言葉を失う。ご家族にお話しを伺うと、足腰が急に弱くなり、何度も転倒してしまったとか…。ご家族の介護も大変だと思うし、どんなにご心配だろうかと思う。他にもこの頃お声が出にくい方などもいて、寒さの中、守られるように願うばかりだ。
2011年1月22日

裏山にて
 主日の準備をする傍ら、少し息抜きと運動を兼ねて、裏山に登る。108mの頂上まで10分足らず、往復でも2千歩足らずで、運動とまではいかないものの、サザンカの花や早咲きの紅梅を見つけ、寒さ厳しい中にも、春の予感を感じることができた。雪をまとった富士、伊豆半島も見渡すことができ、30分足らずの短いひとときだったが、爽快な気分を味わい、創造主を崇める。
2011年1月21日

歌詞に恵まれつつ
 ゴスペルコンサートまで、あと1ヶ月余りとなり、今日もそれぞれの曲の注意点などを押さえながら指導していただく。ピアニストの方が骨折治療中でおいでになれず、ピンチヒッターのピアニストも駆けつけてくださる。今回は日本語の歌詞も割と出てくるので、英語の時以上に歌詞に恵まれながら賛美ができた。風邪や体調不良等で休まれる方が多かったのが心配だ。
2011年1月20日

あともう少し
 ある方が、古いテレビの処分を依頼するとかなりの額になってしまうと聞き、リサイクル料はご負担いただき、両親の旧テレビと共に捨てに行く。福祉でも、粗大ゴミは処分してくださるそうだが、リサイクルが必要なものはリサイクル料を負担しても処分はしてもらえないとの事。これでは高齢者や障害者の方は困るだろうと思う。あともう少し行き届く社会になるといいのだが…。
2011年1月19日

聖書が読めるよう
 眼鏡市場に行き、新しい眼鏡を注文する。ディボーションなど、自分一人で聖書を読む時は、眼鏡をはずして読めば問題ないが、これから先、礼拝中講壇で聖書が読めなくなってしまったり、祈祷会中に読めなくなってしまっては困るので、遠近両用眼鏡を体験させてもらい、それを注文する。できるまで一週間必要だというが、追加料金等はなく、比較的安い値段でできて良かった。
2011年1月18日

レンズにひびが…
 誤って眼鏡に乗ってしまい、レンズにひびが入ってしまった。ショック…。それでも、このフレームは10年以上使っているだろうか、塗装も剥げだらけで、あちこちにゆるみが来ている。もう買い換えねばならないと思う。それと、この頃老眼もあってか、近くは眼鏡をはずした方が見えやすいと思うこともある。近視の場合は、眼鏡をはずすと見えるので、その分は助かるが…。
2011年1月17日

あとどのくらい…
 娘にせがまれ、小学校が代休だったので、寒さの中を意を決して(?)ディズニーランドに出かける。昨日のような風もなく、それほど寒いと感じる程でもなく、楽しい一日を過ごす。2回目だったので、以前より情報もあってたくさん廻ることもでき、二万歩以上歩いていい運動にもなった。子どもたちと一緒に遊んでもらえるのもあとどのくらいあるだろうかと思うと寂しく思うが、楽しかったねと感謝しつつ帰ってくることができ、親としてとても嬉しかった。
2011年1月16日

こんな日には
 とても冷たい朝、しかも風の強い朝となる。それでも、教会員の皆さんがいつも通り礼拝に出席され、心から礼拝をささげることができた。冬型の強い日で雪国では吹雪だろう。こんな日には教会に行くのも大変だと思う。そういう中で礼拝をささげ、神を仰いでいらっしゃる方々のことが思い浮かぶ。そういう方々のためにも祈りたいと思わされる。
2011年1月15日

授業参観
 土曜日ではあったが、子どもたちの授業参観があり、妻と二人、見に行く。自分は、子どもたちの様子を見るというより、昔小学生に授業をしていた頃を思い出し、自分だったらこういう質問をするだろうな…とか考えたりもしてしまう。また、教室の掲示物など、担任の学級経営に目が向いてしまう。もちろん、さすが教育力のある先生方で、立派にやってくださり、申し分ないが…。
2011年1月14日

ゴミの処分
 妻が清掃工場に直接不燃物を捨てに行くということで、両親や叔母にも言ったところ、空き缶や割れたお皿、使えなくなった電化製品など、結構たくさんすぐに集まった。我が家でも、配れるだけ配って、それでも残ったおもちゃやベビー用品など、倉庫にしまってあったものを出す。帰ってきた妻はとてもスッキリしたと話していた。心のゴミもそうして片付けられることは何と幸いか。
2011年1月13日

変わらないのは
 成長の執筆者会議があり、東京に出かける。今回は、創造のみわざの中で、環境問題に触れるテーマがあったが、先生方の意見を聞いていてとても参考になった。環境問題には、その根源的な問題とされていることには諸説あり、CO2やダイオキシンでさえ、それが本当に問題なのかよくわからないという説すらあるという。科学は変化し、将来どうなるかわからない。今はこう考えられているというスタンスを持ちつつ、変わらないのはみことばだと改めて思う。
2011年1月12日

緑茶
 緑茶が健康にいいとよく言われているが、妻がこの頃よくお茶を入れてくれるようになった。どうしても、インスタントコーヒーの方が手軽でよく飲んでしまう傾向にある。夜、祈祷会を終えて家に戻ると、お茶の健康効果についての番組が放映されていて妻は一生懸命見ていた。そういえば、両親もお茶をとてもよく飲んでいる。それが比較的病気が少ない要因だったようにも思う。
2011年1月11日

地域の祝福に
 市内の教会に、昨日の献金をお届けに行く。昨日の聖会で、その教会を少しでもサポートしようと訴えられたからだ。会堂の返済のために、教会員がひとつとなって困難に立ち向かっていることを伺い、信徒の方々もこのために献身しておられることを思う。そこに教会があることが地域の祝福となり、また次世代のためにも信仰の大きな遺産となることを思う。改めて祈る必要を思う。
2011年1月10日

そのスピリットに
 教区の新年聖会が市内の教会で行われる。講師は、韓国人の宣教師だったが、使命に立って日本に来られ、当初困難の中を通られたけれども、主がその祈りに答えてくださり働きが進められていることを、様々な証しを通して話して下さった。日本のために、大きな犠牲を払っておいでくださっていることを思うと本当に感謝だった。そのスピリットに見習いたいと思わされる。
2011年1月9日

存在そのものが
 礼拝後、昼食を共にしながら、1月の誕生者のお祝いをする。88歳になった姉妹がいた。とてもお元気で、車にお乗りになるのは止められたものの、今日は自転車に乗って来られたとか。冷たい風が吹く大変な中だったように思う。「おいでくださる存在そのものが証し」と言っていた方があったが、その通りと思った。和やかな中、それぞれの思いを語り合うひとときを持ち、感謝だった。
2011年1月8日

溢れる感謝を残し
 昨年、80歳で召された方のご親族や教会員が集まり、記念の時を持つ。教会で、ご自身の信仰について話しされた録音がいくつかあるので、それを聞きながら故人を偲ぶ。「その時」(自分が神の下に召される時)が、一番感謝な時だと思うと話しておられた。その通り、召される前、病室をお訪ねした時、神様に感謝し、周囲の人々に溢れる感謝をなさって召されていった方だった。
2011年1月7日

2度低い
 今朝は冷たい朝だった。朝祷会に来られた先生が、当教会のある場所は、車の温度計(外気温が計測できる)を見ると、住宅街よりも2度温度が低いと話しておられた。山や緑が多く、暖房している住宅が少ないためだろうか。今日は最低気温が氷点下1.4度と発表されていた。このあたりは、それ以下に下がっていたかもしれない。
2011年1月6日

縄跳びとこま回し
 子どもたちの学校も今日から再開。1年生の息子の冬休みの宿題に、縄跳びの練習とこま回しがあったが、がんばって練習して、こま回しはほぼマスター、縄跳びも連続の二重跳びや交差跳びがあともう少しというところまで来た。このところ、ネットでこまの回し方や縄跳びの指導法など公開されているので、それもまた参考になった。
2011年1月5日

刑務所の聖書
 祈祷会が終わってから、刑務所に新しく購入した新共同訳の聖書を届けに行く。市内の教会の連合会で購入していただいたものだ。これまで、講壇用の聖書はいいものがあったが、受刑者の方の聖書と違い、口語訳だったので、なかなかやりづらかった。あと5〜6年で新しく翻訳された聖書も出版されるらしい。その時は数年かけて、また全体を入れ替えねばならないだろうが…。
2011年1月4日

花鳥園
 午後から、子どもたちや両親と共に、掛川の花鳥園に出かける。子どもたちから、冬休み中にどこか連れてってとずっとせがまれていたが、年末年始は時間が取れなかった。またこの頃ほとんど外出しない父にも声をかけたところ、行くと言うので、一緒に出かけ、鳥たちとふれ合う楽しいひとときを持つ。帰りはバイパスを通ってきたが、帰省ラッシュなのか2時間近くかかってしまった。
2011年1月3日

一気に
 福音放送「ライフライン」の会計のまとめをしたところ(送られてくるのはお金ではなく振替用紙ばかりだが)、11月まではかなりの赤字だったが、12月は浜松での視聴者の集い、またクリスマス献金を送ってくださった方もあったことから、一気に黒字になった。どうやって放送を維持していこうかと委員一同悩まされていたので、主の助けにただただ感謝する。
2011年1月2日

最初の主日礼拝
 今年最初の主日礼拝が行われ、帰省等されていた方も何人かあったものの、静岡に久しぶりに帰ってきた方や、普段仕事などで出席できない方、教会員の家族なども出席してくださり、いつもの年より出席者が多く感謝だった。礼拝後、記念撮影をし、互いに新年のあいさつをするひとときを持つ。こうして新たな区切りが与えられ、新たな思いになれることは感謝なことだ。
2011年1月1日

連合礼拝
 超教派の新年連合礼拝が行われ、出席する。ルーテル教会での礼拝は、ろうそくを用いたり、牧師が祭服を着ていらっしゃったのが新鮮だった。礼拝後、様々な牧師や信徒の方と、今回は様々な現状の課題について話すことができた。新しい年と言っても、課題がなくなるわけではないが、しっかりとそれを受け止めて、前進していくことができるよう、祈りつつ励みたいと思わされる。