2002年10月26日

こんなにも大量のゴミが…
 教会の物置の片づけをした。教会員も多数駆けつけてくださり、15名ほどで作業したので、かなり大きな物置だが、午前中で大方の目処がつき、雨が降り出した午後の早い時間に終えることができた。物置を作ったのが約9年前だが、よくもこんなにがらくたやゴミをため込んだもんだと関心してしまうほどだった。お互いの心も、もし掃除をしていなかったら、長い人生の中でどれほどのゴミがたまるだろうか。神の前に心静め、聖書のみことばを聞き、祈り、時に神の前に真実に悔い改める。これが私たちにとっては大きな恵みだと言うことを改めて思った。
2002年10月20日

チャペルコンサート
 チャペルコンサートを開くことができた。藤沼昭彦先生は、本当にすばらしい歌声で、アットホームの雰囲気の中、たのしいトークと共に、出席してくださった皆さんは、きっと感激だったと思う。閉会時にあいさつのために前に出て聴衆のお顔を見たが、満足そうなお顔がとても印象的だった。天候も心配されたが、終えるまで支えられ感謝だった。藤沼先生は、大声楽家であるにもかかわらず、とても気さくで謙遜な方で、「教会のことはよく分かっていますから、お金のことは心配しないでください。皆さんに喜んでいただければ何よりですから。」そう言ってくださった。先生のお働きの上に、神の祝福がいよいよあるように、心から祈らされる思いだった。
2002年10月13日

生ける神を伝えることの大切さを思う
 イスラエルで旅行者のガイドをしている榊原茂先生ご夫妻が当教会を訪ねてくださり、礼拝でお話しくださった。特に、奥様のクリスティン先生にお話しいただいたが、イスラエルで、生ける神を日々体験している姿に触れ本当に感動した。かつて湾岸戦争の時、イラクからスカッドミサイルが何十発も飛来し、毒ガスがこめられているかもしれないという不安の中、市民は過度のストレスの中日々の生活をしていたようだが、その時クリスティン先生は髪の毛が全部抜けてしまったとか。戦時中のストレスというのは、そういうものだと改めて覚えさせられた。今もイスラエルはアラブ人とユダヤ人との戦闘状態が長く続いてテロも頻発しているが、そんな中で生活するご苦労を思い、しかし、そういう中で生ける神を信頼して生きるたくましさも教えていただいたように思った。
2002年10月4日

ギョウザの具が・・・
 私は、何を隠そう市内某ショッピングセンター(デパートと言った方がいいのだろうか)の地下のお肉やさんで売っているオリジナルのギョウザの具が好きで、町に用事があって出かけると、そこで買うことがこれまで何度かあった。しかも、100グラム98円とダントツ安い!。ところが、今日行って愕然・・・。店が模様替えしていてきれいになっていたのはよかったけれど、オリジナルのギョウザの具が姿を消していた。ショック・・・。スーパーで売っているのは、高い割には味は今ひとつ。そうかと言って、材料を何もかも買って始めから作ると、かえって高くついてしまうし・・・。だれか、おいしい安いギョウザの具を売っている店があったら教えてほしい・・・。
2002年9月27日

「授業が面白くない」と言われてしまった!
 生徒たちに、聖書の授業の感想を求めたところ、書いてくれた大部分の生徒はいい評価をしてくれたが、ひとり「授業が面白くない」とはっきり書いてくれた生徒がいた。何が面白くないのか、彼女の気持ちを受け止めるべくよく話してみなければ分からないが、絶対分かりやすいはずだと自信過剰気味(?)に授業をしていた自分には、彼女の一言がとてもいい反省材料になった。わかりやすいと教える方は思っても、聞く側は興味も持てず、あまり聞いてもらえないようでは、提示の仕方にも問題があるということだ。現代の若者には聖書と聞いただけで拒否反応が起きそうな気もするが、それを興味を持ってもらうことがこちらの腕の見せ所だ(と言っても、そんな腕はないが・・・)。面白いというのは、楽しいという意味だけでなく、興味深いという意味もあるように思う。とにかく、生徒の素朴な疑問を大切にしつつ、聖書という本当にすばらしい教材を用いてイエス様のことを伝えていこうと、改めて思い直すような、そんな一言だった。でも、ちょっとショックだったことも確かだ。
2002年9月16日

娘と動物園へ
 もうすぐ1歳2ヶ月になる娘は、11ヶ月頃から「ワンワン」、「ポッポ」(はとのこと)などは言うようになり、ライオンの絵を見ると「ガオー」とうなるものの、四つ足の動物がテレビに出てくるとみなワンワンになってしまっている。このままではまずいと、雨の合間を縫って、近くの日本平動物園に連れて行った。初めて見る本物の動物たち(本当は生後8ヶ月に続いて二回目なのだが、一回目はまだ小さすぎてよくわからない部分もあったようだ)に終始大喜び!ひとつひとつ指さして「あっ」「あっ」を連発していた。その娘の姿を見て、私たち二人は大喜び!むしろ、娘以上に喜んでいたかもしれない。雨の合間ということもあって、動物園は祝日にもかかわらずとてもすいていて、ゆったりと見ることができた。
2002年9月7日

教会の地震対策も必要だ
 新聞報道によると、2005年までに東海地震が来る確立が高いとか。教会も真剣に地震対策を考えなければならない。建物は耐震性にはお金をかけ、ボーリング調査をしたところ岩盤の上だということなので倒壊までは大丈夫と思うが、ガラス窓の場所が多く、それらにはフィルムを貼らないといけないと思う。それから、地域の人々が非難してくるものと考えられるので(学校等に非難できるのは人口のわずか1割だそうだ)、そのためにトイレがまず必要になりそうだ。市内の牧師先生に話したところ、ここは裏に山があるから(市内の中心部に小さな丘があるのですが)、そこに穴を掘ればよいとアドバイスされ、そうかと思いつつも、それではやはり心もとないと思う。ただ、防災用品の高いこと・・・。なかなかそろうにそろえられない。個人で準備している人は多いと思うが、教会で買うとなると大変だ。大地震の時、教会のような場所で何からまずそろえたらよいのか、アドバイスしてくれる人はいないかなあ・・・。
2002年8月23日

パソコンミュージックを取り入れる
 8月は奏楽奉仕者の都合がつかず、家内が礼拝で奏楽をすることが2度ほどあった。家内はオルガン専門で、ワーシップソングをピアノで弾くのは苦手だ。私たちの教会では、わずかながらワーシップソングも取り入れているが、家内の奏楽の時、伴奏ができないので、今まで家内以外の伴奏者が弾いたものをテープに録音して用いていた。ところが、この頃、パソコンとMDとをつなぎ、またインターネットを用いて、ワーシップソングや讃美歌、聖歌の伴奏MDが作れることを知り、挑戦。以外と簡単にできた。これを流したら、信徒の皆さんはパソコンで作った音楽だと気がつくかなあ。やっぱり生演奏に越したことはないけれど、これらも通してよりすばらしい賛美を主にささげたいと思う。
2002年8月17日

教会で結婚式をした方が赤ちゃんを連れてきてくださった
 昨年教会で結婚式をしたカップルが、赤ちゃんが生まれたからと、かわいい赤ちゃんを連れて教会を訪ねてくださった。嬉しかった。足りないながらも、心を込めて式をさせていただいたかいがあったなと思った。それから、おいしい焼きたてのお団子までいただいてしまった。教会で結婚式をしたからと言って、信仰を持ってくださるまでに至らない方は多いけれど、遠い存在の教会が身近になって、何かの時また訪ねてみようという思いになってくださることが第一歩のように思う。結婚式の時だけのおつきあいでなく、いつか主に導かれるように、続けて祈り、また教会にお誘いしたり、こちらから訪ねさせていただくことも大切な使命だと、改めて思わされた。
2002年8月2日

久しぶりの雨に感謝
 7月20日に梅雨明けして以来、雨がほとんど降らず連日の猛暑だったが、今日午後3時位から激しい雷鳴と共に大粒の雨がかなり降った。気持ちのよい夕立だった。夕方娘をつれて辺りを散歩したが、植物がとても喜んでいるように思えた。自然をご支配される神の御手のわざに触れ、感謝だった。お互いも、もっと小さなことにも心から感謝することができれば、もっと豊かに生きられると思うのだが。昔、一番いい生き方・死に方をするのはお百姓さんで、あまりいい死に方ができないのが都会の管理職だと書いた本を読んだことがある。お百姓さんは、自然に触れ、自分で生きているのではなく、生かされているという実感と感謝を持つことができるからだという。お互いもそうありたい。
2002年7月19日

娘の誕生日を祝う
 今日は、ある病気の人のところを尋ねていて、帰りが遅くなってしまったが、家内の焼いたケーキに、一本だけのろうそくを立てて、娘の誕生日を祝う。家族三人のこじんまりとしたささやかなお祝いだったが、とても感動した。また、たくさんの方が背後で祈ってくれ、プレゼントもたくさんいただいた。娘がこれまで神様に守られたことを心から感謝し、将来願わくば神様のご用に役立つように愛をもって育てることができるようにと祈った。この日の親としての感動をいつまでも忘れないでいたいと思う。
2002年7月14日

あえてこの時期に合同記念会を行った
 私たちの教会では、毎年この時期にあえて合同記念会を行っている。この時期は、仏式で言うお盆の時期なので、近所でも迎え火を焚いたりしている姿を時折目にする。こういう時期は、教会ではあえて記念会などを避け、キリスト教らしく(?)イースターとか十月の聖徒の日と呼ばれる主日に行うことが多いようだ。反面このお盆の時期は、クリスチャンの墓の汚れが一層目立ち(仏教の人たちは墓参りに行くので)、キリスト教は先祖を大切にしないと言う誤解をされていたようにも思う。そのようなことを踏まえ、当教会では、あえてこの時期に、仏式との違いを明確にし、記念会を行っている。お陰で、クリスチャンではない家族の方も多数出席してくださり、かえっていい証しになっているのではないかと思う。この世の文化に妥協はしないものの、そういう風土の中に教会が建てられていることを理解しつつ、むしろ上手に生かしていくことがかえってよい証しになると思うのだが・・・。
2002年7月4日

仕方がないので、結婚指輪をもう一度買う!
 結婚指輪を紛失してしまって、間もなく4ヶ月になる。いろいろ探したがどうしても見つからない。そこで家内に頼んで、もう一つ新しいのを買うことをゆるしてもらう。クリスチャンが経営しているお店で、「今度は一番安いものでいいです」と言って(それでも¥35000は痛かった)、指輪を注文する。後でもっと安い店を探せばよかったかとも後悔する(貧しい牧師ゆえ、少々せこい話になることを許していただきたい)。指輪をなくしたからと言って、愛がゆらぐなどということはないけれど、やはり指輪をしていると、「ぼくには愛する家内がいます!」と無言の証言になっているように思う。今度は落とさないようにしないと・・・。万が一落としてしまった時は、どなたかもっと安い結婚指輪を売っているお店を教えてくださいっ!
2002年6月30日

いたいた!ブラジルの選手の中にも見つけた!
 サッカーのワールドカップで盛り上がった一ヶ月だった。決勝戦後のブラジル選手の喜び、また表彰式を見ていたら、ここにもやっぱり試合直後に手を取り合って祈る姿、そして「Jesus loves you」と書いたTシャツをわざわざユニフォームの上から着ている選手たちがいた。彼らは、自分達の優勝の喜びもさることながら、この機会を通して、主イエスの愛を伝えようと、また主イエスに生かされている恵みを伝えようとしていたのではないかと思う。彼らの談話までは、日本においては報道される機会は少ないだろうが、彼らが信仰をもってサッカーをプレーし、どんなことを話しているのか、日本の皆さんにも聞いてもらいたいものだと感じた。
2002年6月19日

11ヶ月の娘が「アーメン」と言えた!
 今日で娘は誕生11ヶ月を迎えた。母親と祈祷会に出席していた時、皆のお祈りの後、「アーメン」と言うことができ、その後の分団の祈りの中でもそう言えたそうだ。一緒に出席していた姉妹たちもとても喜んで「かわいい」と誉めてくださり、本人も嬉しかったのではないかと思う。それまで、家庭での食事の祈りの時にもそれらしきことを言っていたが、皆の前で言えたのは始めてだった。主は幼子の口に賛美をさずけられるとある。我が子の口も賛美で満たされるようであってほしい。
2002年6月6日

クリスチャンのサッカー選手
 サッカーワールドカップで、大変な盛り上がりだ。世界一流の選手のプレーを見て、やはり世界のサッカーはすごいと改めて感じさせられる。その中には、クリスチャンの選手もたくさんいるようだ。十字を切る選手(カトリックなのだろう)とか、祈る姿の選手もいる。韓国の初勝利で湧いているが、なんと韓国は23名中、10名がクリスチャンだそうだ。ただ、自分の名誉やお金のためにプレーする選手もいる中で(もちろんそういう選手ばかりではないと思うが)、サッカーを通し福音を伝え、神の栄光をあらわそうとしている選手がいることはとてもたのもしいと思った。やはり世界は広かった。
2002年5月25日

両親と遠出
 私の甥(両親にとっては孫)の結婚式があるということで、家族で岡山に出かけた。77歳の母は、最近遠出をすることがめっきり減ってしまったしまったが、今回は行かざるを得ないこともあって、一緒に出かけた。こういう機会にと、一泊の予定で車で出かけ、昨日は岡山のバラ園、今朝は早起きしてホテルのすぐ近くの後楽園を見に行った。両親ともとても喜び、記念撮影もたくさんした。おまけに初孫になる孫の結婚式で、何よりの喜びだっただろうと思う。一緒に行ったわたしも、両親の喜ぶ姿に心がとても慰められた。
2002年5月20日

健康診断の幸い
 健康診断を受けに行った。最近、悪玉コレステロールが高いという結果が出ていたので、それではまずいと、しばらく前から魚中心のメニュー、とくにいわしなどを食べるようにし、間食を控えるようにした。運動として、教会までの3.7キロを32分かけて(片道だけだが)歩くようにしている。お陰で、体調もよくなったように思うし、体重もなかなか減らなかったが、標準体重(身長171センチに対して64.3キロ)にだいぶ近づきつつある。健康診断の結果がどうなるかわからないが、それがある故に、食生活等を見直す機会も与えられ、これも健康診断故の幸いだと思った。私たちの体は、聖霊の宮だと聖書にある。主のご用に尽くすことができるように、健康にももっと留意しなければならないと思った。
2002年5月6日

母の日のプレゼント
 5は月第二日曜の母の日に備え、母の日のプレゼントを買う。今年は家内と相談し、母が以前からほしいと話していた真空調理鍋を選んだ。また、家内の実家のお母さんには、陶器の収集が趣味のひとつなので、デパートできれいな陶器を見つけたので、それを送っていただくことにする。母の日は教会から始まったそうだ。今はこのように感謝の贈り物をすることが一般的のようで、当然プレゼントをもらい、感謝される側の母親もたくさんいるが、本当は自分の母に主にあって感謝することが母の日の守り方のようだ。教会では、そのことを全面に押し出して、それぞれが主にあって母親に感謝する時を持ちたいと思う。
2002年4月28日

喜びも悲しみも主にあって
 昨日は、高校生までの日々を当教会で過ごされた方の結婚式が東京であったが、今日は朝早く教会員の一人が召されたとの連絡を受ける。新しい二人の門出を祝いつつ、主の祝福のうちに結婚をされ、心から「よかったね。」と言いたい思いだったが、今日は悲しい知らせに接し、これが人生なんだと改めて思う。でも主にある葬儀は悲しいだけでなく、天国の希望を思う時でもある。神は、人間を悲しみだけで終わらせることは決してなさらない。永遠のいのちの希望を与えられていることは、はかない人間にとって、どんなにすばらしいことか。「希望は失望に終わることがない」と聖書にある通りだ。
2002年4月21日

家族の救いのために涙する信仰
 ある方から電話があった。その方のお父さんが、意識不明になられたのこと。それを聞いたその方のクリスチャンの娘(意識不明になられた方のお孫さん)が、「おじいさんがイエス様を信じる前に死んでしまったら困る」と言って、涙されたということを伺った。家族の救いのために懸命になる純粋な信仰は、本当にすばらしいと思った。信仰生活が長くなると、信仰に至らなくても仕方がないという思いに負けてしまうこともあるからだ。礼拝の中で、特別に礼拝に出席した皆さんで祈っていただくようにお願いし、心合わせて一人一人が祈った。神がこの祈りに答えてくださり、何らかの機会を与えてくださることを信じたいと思う。
2002年4月13日

刑務所でのイースター
 例年行なっている刑務所でのイースターを、約二週間遅れて行なった。聖書から、復活の希望に関するメッセージと、市内のクリスチャン演奏家のテノール独唱、そして静岡近郊の教会から、中学生・高校生を含め約20名の応援をいただいて、讃美歌の合唱をした。素朴な1時間あまりの集会だったが、信じる私たちの気持ちを少しでも伝えることができたなら幸いだ。キリストは絶望の死より復活されたのだから、この信仰に立って、人生きっとやり直しができる。そういう思いになってくださる方が起こされることを祈る。
2002年4月8日

長野県での花見
 今年は記録的に桜の開花が早まったそうで、静岡ではとっくに桜は終わってしまったが、長野県の諏訪に出かけ、花見をすることができた。本当は、桃の花がきれいだから見に行こうと言うことで、家内といっしょに出かけたのだが、ちょっと足を伸ばして諏訪(高島城)まで出かけたところ、8部咲き位だっただろうか。静岡で桜が終わった段階で、もう今年は見られないと思っていただけに、何か得したような気分になった。
2002年3月31日

連合復活祭早天祈祷
 例年、市内の11の教会が連合して、復活祭(イースター)の朝早く、一同に会し、復活の主を礼拝し、祈るひとときを持っている。今年は司会の当番が当たっていて、緊張してか朝4時頃から目が覚めてしまった。約60名位の方々が集ってくださり、聖書のメッセージを聞き、静岡の救いのために、諸教会の祝福のために祈る。ひとつひとつの教会の垣根を越えて、皆で集って祈る幸いを心いっぱいに感じた。こういう機会がもっと持てたらとも思う。
2002年3月20日

教会の裏山で火事!
 祈祷会が始まる頃、サイレンが鳴った。教会の裏は、標高108メートルの小高い山があるが(と言っても、町の中にひとつ島のようにある山だが)、その山が火事になったそうだ。標高50メートル付近だったと思うが、1ヘクタール位焼けたそうだ。祈祷会が終わってみると、教会の前に消防車が数台来ていて、ようやく消火作業が終わろうとしているところだった。あまりサイレンが鳴らなかったので、教会の裏山が火事だとは気づかず、平然と祈祷会をし、終わってそれに気づいたようなのんきな状態だった。でも、たいしたこともなく守られ、ホッとした。最近、教会員のお宅のすぐ隣でも火事があり、一歩間違えればというところだったそうだが、主の守りがあったことを感謝しつつも、被害に遭われた方が早く立ち直ることができるようにと思う。
2002年2月24日

信徒聖会が行なわれる
 山脇望先生をお招きし、信徒聖会を行なった。久しぶりの(近年では初めての)聖会ということで、様々な準備をしつつこの日を迎えたが、神は私たちの教会のことをよくご存じで、先生を通し、本当にふさわしいメッセージをお伝えくださったと感じた。いつも説教している牧師では、どうしても慣れのような思いが働いてしまうのも事実だが、外部から先生をお招きし、しかも信徒のために集会を持つことは、お互いが改めて主の前に出、自分の信仰を吟味する恵みの時だと感じた。こういう機会が、教会の成長のためには大いに必要だと感じさせられた。
2002年2月20日

韓国プロサッカーチーム「ハレルヤ」
 ワールドカップの年ということで、様々なサッカーチームが来日するようだが、クリスチャンのサッカーチームも来日する。その中で、韓国のKリーグに所属するプロサッカーチームのハレルヤが清水に来られ、宣教大会が行なわれた。選手一人一人の顔つきに驚いた。また監督の輝いた笑顔にもおどろいた。これが本当のプロのチームだろうかとすら思った。いわゆる日本のプロチームのような野心に満ち、自分を売り込もうとするような顔ではなく、「神の栄光のためにサッカーをしている」という彼らの言葉の通り、主の恵みに輝いた顔だった。世界はすごいと思った。クリスチャンだけのプロサッカーチームがあるというのだから。ぜひ、Kリーグで活躍してもらいたいものだと思った。
2002年2月19日

幕山公園の梅
 一日お休みをいただいて、湯河原の幕山公園の梅を見に行く。七部咲きとの情報をホームページで得ていたが、今頃が一番美しいのではないかと思った。後ろの岩山の前に、白と薄桃の梅林が生え、遠くからの景観がすばらしかった。今日はお天気がよく、行きに立ち寄った箱根大観山からの芦ノ湖越しの富士山も最高の眺めだった。雪の稜線をいただいた富士山はとても印象に残った。
2002年2月14日

恩師が召される
 八王子ホーリネス教会の牧師で、教団の委員長を6年務められた松木祐三先生が召されたと聞き、急遽葬儀に出かける。67歳でいらしたそうだ。学者であり、牧会者でもあられ、本当にすばらしい尊敬できる先生だった。神学生の時、一年間八王子教会でお世話になり、先生にご指導いただいた。ガンの手術も成功したとのことを聞いていたので、信じられない思いだった。教会の皆さんのショックもとても大きく、悲しみも深かった。先生の最後の言葉は、「神を信じて歩んできた人生は幸せだった」だったそうだ。急に召されるというのは、やはり悲しい。ただ、主にあって天国での再会の希望があることは何よりの慰めだ。
2002年2月8日

必要を満たされる神
 ライフラインという福音放送のための会計を担当させていただいている。県内の教会や有志の方々から、献金が送られてくるが(現金ではなく、郵便局から振替用紙のコピーが送られてくるだけだが)、このところ社会的不況の影響か、放送維持のための収入が減少し、大幅な赤字となっていた。ところが、今月の会計決算をしてみてびっくり。な、なんと二十数万円あった赤字が解消されていたのだ。「ああ、主がこの放送を必要とし、用いてくださっているのだ」ということを改めて感じた。教会がない地域、教会に行ったことのない人のために、この放送は必要なのだ。主は確かに生きて働いておられ、必要を満たしてくださる方だと再度実感した。また背後にある多くの人の熱心な祈りを感じ、ただ御名を崇めた。ハレルヤ!
2002年2月1日

早朝から並ぶのを覚悟で出かけた
 夏のキャンプのために、ある施設の予約に出かけた。夏は予約が殺到するとのこと、朝早くから並ばなければいけないということで、夜中に家を出、寒さ対策をバッチリして行ったが、施設側の配慮で、外に並ぶのではなく温かい部屋を準備していてくれた。お陰でじっくり祈ったり、説教のための黙想をしたり、本を読んだり、待っている数時間があっという間に感じるほど、充実した時が持てた。こういう時がないと、なかなかそうすることができないほど多忙なので、これも主が与えてくださった恵みの時だと感じた。予約も第一希望のところをしっかりと押さえることができた。
2002年1月28日

岩本山公園の梅
 家族で、富士市の岩本山公園にでかけた。梅の名所だ。少し早いかなと思いつつも、今年は梅の開花が早まっているとの情報を聞いて出かけた。月曜日というのに、多くの車があり、たくさんの人が訪れていた。最盛期はまだまだという感じだったが、きれいに咲いているものも何本か有り、それより何より、富士山がとてもきれいだった。昨日は雨もようだったが、富士山では雪がつもったようで、梅の枝越しの真っ白な富士山が印象的だった。家族でのんびりと出かけたのは久しぶりで、まだ6ヶ月の我が子も喜んでいたようだ。
2002年1月22日

韓国のパワーに愕然!
 サッカーワールドカップを伝道の機会にすべく、日本でも様々な活動が始っているようだ。今日、静岡県の窓口となっている牧師先生が説明に来てくださった。韓国を始めとして、海外からサッカーチームや牧師先生方が、この機会に日本に来てくださるというのだ。ただ、残念なことに、こちらには受け皿が整っていず、そういう訪問を生かし切れず、宣教のために生かし切れないということだ。ありとあらゆる機会を通して伝道しようとする韓国の教会と、日本の教会の現状とのギャップを感じさせられた。海外に出ていくことも大切だが、まずは、そういう訪問を受け入れ、生かすことができるようなものと成長しなければならないと感じた。
2002年1月15日

子どもに愛を注ぐこと
 昨日、市内の先生との交わりの機会があった。先輩の先生が、牧師が仕事ばかりして、子育てを妻に任せっきりにしていてはいけないと話しておられたのが、特に心にとまった。いろいろ仕事があると、それを大義名分にして、子育てがおろそかになり、また妻の子育てに対する苦労を理解する心も乏しくなることを思う。子どもに愛情を注ぎ、よい人間関係を保ってこそ、本当に麗しい家庭が築かれ、それこそが証しになるのだと思わされる。自分も忙しさにかまけて、妻に子どものことを任せっぱなしになる傾向があるので、疲れていてももっと家事を分担するなり、子どもの面倒を見ていくなりしなければいけないと、つくづく教えられた。
2002年1月9日

パソコンの中味の掃除
 教会のパソコンのフォントが、いつのまにか減っていることに気づき、もしやウィルスかと思い、チェックし直したところ、幸いウィルスではなかった。これまでしばしばフリーズし、電源をやむなく切るということをしていたので、何かフォント関係か日本語入力システムの重要なファイルが壊れてしまったのだと思う。幸いパソコンが動かないような重傷ではなかったので、バックアップを取った上で、ウィンドウズから全てインストールし直した。時間がかなりかかることを予想したが、数時間程度で済んでホッとした。部屋も掃除をしなければゴミがたまる。人間の心も同じかもしれない。神の前に出ることによって、心の掃除をしていただくことができることは何と恵みだろうか。パソコンが仕事には欠かせなくなっているこの頃なので、パソコンもマメに中味の掃除をして、かわいがってやらないといけないと思った。
2002年1月5日

家内のかぜひきに思う
 クリスマス・年末・新年は、牧師にとって、とても忙しいシーズンでもある。私も一日寝込んでしまったが、元気だった家内もとうとうかぜをひいてしまった。忙しいときは、お互いの仕事のたいへんさを言い合うこともあったが、いざ家内が休み、自分が家事もすることになると、改めて家事の大変さと、家内が日々そうして支えていてくれることの感謝を思う。晩ご飯を作ったら、「おいしいね」と言ってくれる一言がこんなにも嬉しいものかと改めて思う。時々役割を交代して、お互いの大変さをもっともっと理解できたら、もっと温かい家庭になるだろうと思う。どちらかが(あるいは両方が)ずっと我慢しているのはやはりよくない。助け合って生きるように、神様は家庭を与えてくださったのだから。
2001年12月27日

御殿場のハンセン氏病施設にでかけた
 御殿場のハンセン氏病の施設、駿河療養所の中にある神山教会を訪ねてもう何年になるだろうか。毎年、クリスマスケーキを献品してくださるケーキ屋さんのおいしいケーキを携えて、そこでクリスマスを祝うのだ。そこでは、かつて千人は超えていただろう施設だが、今は患者さんはもう160名前後だそうだ。また、同じ御殿場の神山復生病院も訪ねたが、そこは十数名の患者さんだそうだ。こちらは、近くホスピスと難病のための病棟をオープンするとか。一つの使命が終え、新たな使命に立ち、キリスト教の精神に立って、難病や死を前にしても、復活の希望を語ることができることは何とすばらしいことだろう。陰ながら応援していきたいと思った。
2001年12月24日

キャンドルサービス
 今年のキャンドルサービスは、家族連れで来てくださった方が多かった。子どもクリスマスに来てくださった子どもとお母さん。ちらしを見て、たまたま来たところ、教会員の知り合いがいてびっくり・・・。いろんな出会いと小さな喜びのあるゆうべでした。クリスマスは、せめて教会で静かに迎えていただきたい。それが牧師である私の何よりの願いだ。「クリスマス、クリスマス」と言いながら、国民の90パーセントがクリスマスをお祝いすると言いながら、その本当の意味を知らない人(主イエスの誕生を祝う時ということは知っていても)が、まだまだたくさんいるのが現実。そのために、参加して良かったと思えるような、魅力あるクリスマスを行なう必要があるとも感じた。
2001年12月20日 
英和のクリスマスに行った
 英和女学院のクリスマス礼拝に出席した。生徒たちの聖歌隊、合奏、ハンドベルの他、講師によるクリスマスメッセージがある。生徒たちによる聖歌隊は、ざっと数えたところ120名前後だろうか。そうとう時間をかけて練習してきたようで、すばらしい賛美だった。静岡では、あれだけの聖歌隊の賛美を聞くことは他にはできないだろう。牧師としては、歌っている讃美歌の意味を心から知ってほしいと願わずにはおれないが、彼女たちは今それぞれの思いの中でそれを受け止めつつ賛美しているのだろうと思う。毎年のことだが、教会の皆さんにも、もっとアピールすればよかったと思った。
2001年12月18日

祝福について考える
 ある牧師婦人が、祝福されたという言葉をよく耳にするけれど、この世の価値観がその中に盛り込まれ、数の多さとか、見た目の何かに祝福の尺度を見ているようだが、何よりも主に近づけられていることこそ祝福ではないかと話していたことを思い出した。その通りだと改めて感じさせられる。見た目には貧しく、健康にも恵まれず、祝福とはほど遠いようでも、確かに恵まれた心でいらっしゃる方が多数いて、そういう方が、本当に人を慰め励ますことができることを思う。そういう本当の祝福で満ちあふれる教会でありたい。
2001年12月15日

子どもクリスマス
 子どもクリスマスがあった。年々参加する子どもたちが減少しつつあるが、それでも約50名の子どもたちを主が送ってくださった。教会学校の子どもたちも、練習してきたペープサート劇も大変上手にできたように思う。子どもたちが、この大変な時代を生きていくために、心がまだやわらかなうちに、み言葉によって養われていくことの必要性を改めて感じた。一番反応がよいのが、3年生のようだ。このあたりの子どもたちに届くメッセージをいつも持っている必要を感じた。
2001年12月5日

父の祈り
 私たちの教会出身で、献身に導かれた青年が、東京で牧師のお嬢さんと婚約式をした。ご両親が静岡から出席し、その写真を見せていただいた。皆、本当に嬉しそうな姿が印象的だった。祈祷会で、彼の父親が、彼のこれまでの歩みを振り返り、感謝の証しをしていた。私自身、彼のためには何もできなかった。牧師になるのとほぼ同じ頃静岡を離れ、東京に行き、彼が明確な救いの経験に導かれたのも、献身に導かれたのもそれ以後だからだ。ただ、家庭でよい宗教教育がなされており、それが基盤になったのだと思うし、何よりも、父親が毎週祈祷会に出席し、彼の名前を上げて必ず祈っていた。そのことを思うときに、祈祷会で家族の名前を上げて祈り続けることの大切さを感じた。主はそのような祈りを聞いてくださり、思いにまさるみ業をなさってくださる方だ。
2001年11月29日

ツリーを買いに行く
 いよいよクリスマスが近くなった。教会でもいろいろ準備が大変だが、クリスマスツリーが古くなって買い換えの時期を迎えていた。たまたま広告を見たら、1.8メートルの高さのツリーが2980円!ツリーの電球も、100球の防水タイプが1540円。安くなったものだとつくづく感じた。もう10年以上も前になるが、同じ大きさのツリーは10000円以上した。また、電球も防水タイプのものは5000円位したものだ。それだけ需要が多くなったのだと思う。早速買ってきてみると、中国製だった。ツリーや電球が飾られるだけでなく、クリスマスの本当の意味を、その喜びを、多くの人に知ってもらいたいと感じた。
2001年11月23日

お天気が良すぎるのも・・・
 今日は、祈り待ち望んでいたバザー。バザーは天候に大きく左右されるので心配していたが、温かく風もなくて穏やかな日になった。ところが、いざふたを開けてみると、お客さんが昨年に比べて少ないのだ。昨年は、長蛇の列で、30分もしないうちに、ほとんどの食券が売れてしまったが、今年は列がとぎれてしまう始末・・・。いろいろ話しを聞いてみると、連休で天気がいいと、みなどこかへ出かけてしまうらしいとか。昨年よりも数を増やしたものもあったので、冷や汗ものだったが、食品はほぼ残らず売れたが、中の雑貨品は残ってしまうものが多かった。ほぼ例年通りの売上げに到達し、施設等にも例年どおりささげることができそうだが、好天にも左右されるとは、バザーもたいへんだなとつくづく感じた。
2001年11月19日

しし座流星群を見た
 日曜日の夕拝を終え、教会を出発。しし座流星群を見るために、井川(静岡市の山間部)まで出かけた。私の趣味は、星を見ること。しかし、このところ忙しく、3年ぶりの星見となった。井川まで行くと、天の川が見えるほどの暗い空だ。仮眠をし、目を覚ますと、夜中の12時(19日0時)をまわっていた。外に出てみると、かなりの寒さと、熊出没注意の看板が目に入り、多少ビビるが、そんな中流れ星が早くも飛び出し、「これは期待できる!」と思った。案の定、時間が経てば経つほど、流星の量は飛躍的に増え、とても数え切れないくらいたくさんの流星を見た。以前は、以前は一晩でせいぜい三つか四つ位見ればいい方だったので、こんなにたくさん見たのは初めてだった。熊のことなどすっかり忘れて・・・。人間の小ささと、宇宙を支配される偉大な神を思うひとときだった。
2001年11月15日

ビデオ「砂嵐の中から」を見た
 ビデオ「砂嵐の中から」を見る。信仰に懐疑的なアメリカのニュースキャスターが、戦争から帰還した兵隊を取材し、彼らの信仰が逆に深められている事実に愕然とするが、このキャスターは娘との確執の中、否定していた神に目を開かれ、信仰を持つようになるというストーリーだ。
感動的なビデオだった。「生ける神」を信仰生活の中で体験しているかが大切なように思った。現代人は、ともすれば頭でっかちの信仰になりやすい。み言葉を持って語りかけ、祈りに答えられる生ける神を体験していくことこそ、いのちある信仰を持続する大切なポイントのように思う。
2001年11月12日

若者伝道をいかにして
 他の教会に行って、いろいろ情報交換し勉強させていただく機会を持っているが、今回は若者伝道について教えていただいた。私たちの教会では若者はそう多くはない現状だが、手をこまねいているばかり。その教会では、町に出かけていって、若者に話しかけ、まず友人になり信頼関係を築くそうだ。それから、関心のありそうな人を教会に誘うそうだ。今まで町に出ていく路傍伝道と言えば、いきなり福音を伝えるということが多かったが、それではうまくいかないことの方が多かった。待っていても若者は教会にはなかなか来てくれない。出ていくことを真剣に考えなければいけないと思った。また、どういう方法でそれを行なうかをよく考えなければいけないと思った。背後に祈りが必要なことはもちろんだが・・・。