2010年1月31日

教会学校教師会
 礼拝後、教会学校の教師会を行う。保護者がいつも一緒でないと、外出もしにくいような子どもたちの現実にあり、なかなか教会に来ることができない社会の中にあって、最近新しい子がひとり毎週来てくれるようになった。その恵みを喜び合うと共に、子どもたちに、教会学校の様子をまずは何とか体験してもらおうというプログラムを考える。いつもよく奉仕してくださる若い先生方にも感謝。
2010年1月30日

you tubeにアップロード
 このHPにゴスペルの様子(動画)を載せようと、以前悪戦苦闘したことがあったが、you tube にアップロードすればいいことを思い、挑戦してみたところ、以外と簡単にできてしまった。昨年11月のコンサートの2曲「Testify」と「I am the way」だ。クワイヤ加入を検討していてくださる方が、参考にしてくれればいいのだが…。
2010年1月29日

持つべきものは友
 ゴスペル練習後のティータイムの時、メンバーの方が、メーリングリストのことについていろいろ教えて下さる。いくつかの方法があり、それぞれどういう問題点があるのかとか、どういう対策が考えられるかなども教えていただく。先日図書館に行った時、これに関する本があるか調べたが見あたらず、今まで知らなかったこともいろいろ教えていただいて良かった。持つべきものは友だ。諸教会の状況も聞いてみながら、今後どうすることがいいのか考えたいと思う。
2010年1月28日

ねんきん定期便
 ねんきん定期便というものが届いた。今まで年金をどのくらい納めたかを知ることができるもののようだ。間もなく納付期間が25年の300ヶ月に到達するからだろうか。ただ、これを見ると公立学校の教員時代のものが入っていなかったので、よくわからず問い合わせの電話をすると、共済組合のものはこれには含まれていないが、大丈夫だとのこと。共済組合も年金機構も何だかよくわからず、どうして合体して報告してくれないのかと、素人としては思ってしまうのだが…。
2010年1月27日

コピーのトナー
 コピー機のトナーがなくなり、ネットで調べたところ、純正品は3万円近くする。リサイクル品というのが安価で多数でているが、以前プリンタで詰め替えインクを使っていてプリンタが故障し、かえって高くついてしまったことがある。リサイクル品も、品質の善し悪しがあるだろうと不安になり、それを使って故障した場合、修理代が高くなるとあったので、結局純正品を購入する。もう少し低価格にならないものかと思うのだが…。
2010年1月26日

病床での思い
 訪問の途中、入院中の方のところも立ち寄る。この方は、昨日葬儀をした方とも長い信仰のおつきあいのあっただったので、葬儀に行けない寂しさもあったものと思うが、その思いを病床でつづっておられたのを見せていただいた。私が感じたのと同じような思いを抱いておられた。信仰にあっては、相通じるところがあるのだと実感する。その方は幸い快方に向かいつつあるので、更なる癒しを祈っていきたい。
2010年1月25日

忠実なしもべ
 「善い忠実な僕よ、よくやった。」召された兄弟の信仰生活を振り返るとき、この聖書のみ言葉が心に真っ先に思い浮かんだ。隣り町の清水から教会に通ってこられたにも関わらず、よほどの事情がない限り、日曜日の礼拝、水曜日の祈祷会を休んだことはなかった。与えられた讃美の賜物も忠実に用いられた。忠実というのは、聖書の中では最高の褒め言葉のひとつでだ。これまでの心からの感謝をもって、全能の神の御手にお委ねする。
2010年1月24日

信仰に生きる幸い
 前夜式が行われる。愛唱歌のひとつを教会で独唱されている録音があったので、それをお聞きいただく。「安かれわが心よ」という賛美の中に、故人の信仰が偲ばれた。特にその最後の方に天国への思いが歌われているが、病床で話していた「私の人生は本当に感謝でした。思い残すことはありません。天国に行ける。こんなに嬉しいことはありません。」という言葉と共に、信仰に生きる大いなる幸いを感じた。
2010年1月23日

残された証し
 主にある兄弟が召され、主日の準備と共に、葬儀の準備をしなければならなくなってしまった。教会に残された独唱賛美や証しなどを聞きながら、60年近く主に忠実に歩まれたその姿を思い起こし、胸に迫るものがあった。葬儀となると、いつも私自身にもずっしりと体に応えるものがあるが、ご家族はどんなにそうだろうと思う。何とか、主に支えていただきながら、心を込めて主にお委ねするように備えたいと思う。
2010年1月22日

息子のお別れ遠足
 息子の保育園のお別れ雪見遠足があり、妻と朝出かけていく。「どんなところかなー。楽しみ…。」と言っていた。帰りは、楽しさの中にも、疲れた顔をして帰ってくる。ソリ遊びや雪合戦を堪能したようだが、保育園やお友達とお別れの時が近づいて、寂しくなってきたのではないかと思う。そう言えば、自分も幼稚園を卒園する時、とても寂しかったという思い出だけが残っている。こうして成長していくんだなと思う。
2010年1月21日

投函の思い
 締切が迫っていた書き物を書き終え、提出することができ、ホッとする。いつも、メールで編集部に送ると共に、プリントアウトしたものを郵送することになっているが、その投函する時のホッとする気持ちは何とも言えないものだ。ああ、これで今回も無事終えたと…。そう言えば、貯まっていたゴミを清掃センターに捨てに行ったときも、何か似たような快感があるなあ…。
2010年1月20日

ACアダプタの修理
 ヒムプレイヤー(讃美歌演奏器)というものがあり、小さな集会では重宝している。ところが、電池をやたらと消費し、充電式電池なども使えない。ACアダプタがあったものの、粗悪品のためか断線してしまっており、あきらめかけていたが、今日修理を試みる。二カ所で断線していたことがわかる。一時間位かかってしまったが、何とか修理して使えるようになりホッとする。
2010年1月19日

贖い
 授業では、ルツ記に出てくる贖(あがない)いという言葉について話す。新共同訳聖書では、これは「家を絶やさぬ責任」と意訳されている。贖いでは意味がわからないからだろう。元々は「代価を払って買い取る」という意味らしい。ルツの名も、イエス様の系図に出てくること、また主がご自身の命という代価を払って罪の中から救い出してくださったことを思い、主のご計画の深さを思う。
2010年1月18日

代休の一日
 娘の学校が代休だったので、かねてからの約束だったディズニーシーに行く。昨年末から妻も私も超多忙で、クリスマスもお正月も我が家ではなかったので、今日は子どもたちとじっくり遊ぼうと、朝から晩まで楽しむ。幸い冬の平日で、待ち時間はほとんどなく、「怖いからイヤ」というもの以外、ショーやアトラクションをほとんど廻り、子どもたちの無邪気に喜ぶ姿をたくさん見て、親としても嬉しく感謝する。
2010年1月17日

わたしが愛したように
 信徒聖会が行われ、渡辺忍牧師から、ご自身の苦難の経験を通られた中から、主のご愛を深く体験された証しを通し、主の恵み深さと、何よりも主に信頼すべきことをお語りいただく。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」とは、私たちに主がまさに語ろうとしているメッセージだと、主が欠けたところをよくご存じだと実感させられ、感謝する。
2010年1月16日

授業参観
 小学校で娘の参観日があり、国語の時間を見に行く。娘の仕草がいろいろ気になりつつも、のびのびと授業が行われている雰囲気を見、子どもたちもいきいきとしている姿を見て安心する。掲示物もきちんと掲示されていて、学級経営の行き届いている姿を見て、娘は幸せだと思った。かつて、公立学校の教師をしていた頃を少し思い出した。
2010年1月15日

霜柱や氷を発見!
 朝、久しぶりに霜柱が立っているのを見つけ、子どもと踏んづけてサクサク感を味わう。また、あちこちに氷が張っているのを発見。子どもの頃はよく目にしたようにも思うが、そういえばこの頃はあまり目にしなくなった。今朝はー2.6度まで下がったとか。冬らしい朝を与えて下さる神に感謝。
2010年1月14日

灯油8つ
 この寒さで灯油の消費量が多くなり、18リットルのポリタンクに教会用4つ、両親用2つ、我が家用2つの合計8つをホームセンターに買いにいく。そんなに買うのは、今シーズン初めて灯油を買いに行く以来だったが、大勢並んでいて、しかも一人で8つも買うので入れてもらうにも時間がかかり、後ろに並んでいる人に申し訳ないなと言う思いで入れてもらう。それにしても、灯油販売係の人は休む間もなく給油し、腰を痛めないかと心配になる。
2010年1月13日

温かい下着
 バイクで訪問に出かける。寒いと報じられていたので、防寒対策をバッチリしていったつもりだったが、1時間もすると震え上がってしまうほど、強風にあおられる。新聞配達や外の立ち仕事の人はどんなに寒いだろうかと思う。今まで関心はなかったが、温かい下着がほしいと思うようになってきた。これも歳のせいだろうか。ユニクロの近くを通ったので、1500円とちょっと高かったが、ヒートテックなるズボン下を購入。
2010年1月12日

送別の時
 教区会で三島に行く。1月末でこちらでの働きを終え、アメリカに留学される牧師の送別会を行う。将来、神学校で教鞭をとるように期待されている若い方で、送り出す教会の寂しさはあるだろうが、大きな期待と祈りを持って送り出される幸いを思う。日本のキリスト教界の将来も、牧師不足が深刻なだけに、課題も多いものと思う。よき学びと訓練がなされることを心から期待したい。
2010年1月11日

姉夫婦に支えられ
 仕事がいっぱいあって、今日も一日牧師室で主に事務作業を行う。せっかくの休日なのに、子どもと遊べないのがかわいそうだが、帰省していた姉夫婦が、両親にはもちろん、私の子どもたちともいろいろ遊んでくれ、子どもたちも大喜びだった。姉夫婦は何かといろいろ支えてくれる。何も恩返しもできないが、ただ感謝するばかり…。
2010年1月10日

愛餐会
 愛餐会では、聖化をテーマに話し合う時を持つ。なかなか難しいテーマであったからか、聖化に関する話をされる方は多くはなかったが、それぞれが信仰の転機となった時の証しや、今それぞれが取り組んでいる信仰のテーマについて証しをしてくださる方が多く、それはそれで有意義ではなかったかと思う。来週は信徒聖会。神様がその器を通して私たちにどのように語りかけてくださるか大いに期待したい。
2010年1月9日

久しぶりのゴスペル
 夜、ゴスペルのリハーサルがあり、新曲を2曲教えてもらう。久しぶりと言うこともあり、なかなかしんどかったが、メンバーの皆さんは元気そのもの!ゴスペルを心から楽しんでいるという感じで嬉しい限りだ。教えていただいた曲も、しっかり練習すれば、すばらしいハーモニーになるのではないかと感じた。
2010年1月8日

節目を迎える教会
 朝祷会では、今年節目を迎える教会のことが話題となる。救世軍静岡小隊は創立100年、梅屋町教会は創立50年だそうだ。(ちなみに、当教会は創立87年。)創立当初から教会に行き始めたという方もいて、その証しを伺っていると、時の過ぎるのを忘れる。主の恵みの軌跡だ。主のなさることはすばらしいと改めて思う。
2010年1月7日

DVDもなかなか
 学校での授業の準備をする中で、今まで見ていなかった聖書のDVDを見たが、ついはまってしまい、2時間位見てしまう。撮影される方のご苦労を思いつつ、よくまとめられていると感心する。ソフトはいくつかあるものの、日頃忙しく、どちらかというと図書ばかりに傾き、なかなか見ることができないでいるが、それをチェックすれば、どんなに有効に使えるだろうかを思う。時間を見いだしてチェックする必要を思う。
2010年1月6日

届かない連絡網
 教会から発信する連絡網は、最近メールを希望される方も増えているが、これがなかなか届かない。それぞれのセキュリティー設定の関係だろうが、届いたか届いてないのかもよく分からない場合もあり、なかなか大変だ。今まではメールソフトのCCで送っていたが、メーリングリストという方法もあるようで、誰かに教えてもらうか、勉強して、やってみてはと思うのだが…。これならちゃんと届くのかなあ。
2010年1月5日

太るのはあっという間
 久しぶりに体重計に乗ると、何と1,5s位増えているではないか!今年はおせちはほとんど食べなかったが、その分忙しかった時、思えば無意識の内に結構間食をしていたなと思わされる。今日も夕食後に、子どもの作ったパンを食べてしまった…。痩せるのは大変だが、太るのはあっという間だ。時間も平素に戻りつつあるが、乱れた食生活も戻さなければと思う。
2010年1月4日

久しぶりの休日
 久しぶりに休日らしい一日を過ごし、昼寝をしたり、子どもたちとかるたやトランプをしたり、買い物に行ったりして過ごす。昔は何をして遊ぶかで一悶着あったものだが、子どもたちもだんだん譲り合えるようになってきた。これも成長だろうか。午後、病床をお尋ねするが、少しずつ回復傾向でいらっしゃるようで本当に感謝する。
2010年1月3日

誕生者の祝福
 毎月第一主日(日曜日)には、その月の誕生者の祝福を祈っているが、今日は里帰りしていた5歳になる女の子がその中に入っていた。お祈りを待つ間、お祈りをしている間も、じっと待てて立派だったので驚く。知らないおじさんだと、緊張してしまうのではないかと思うが、あいさつもきちんとできた。ご両親の愛としつけの立派さを思うとともに、微笑ましい姿だった。
2010年1月2日

母君にまさる
 葬儀の中で、旧讃美歌(1903年版)の「いつくしみ深き」を歌う。当時は母の日の賛美としてこれが収録されていて、「母君にまさる友は世になし」という歌詞で始まる。故人の愛唱歌であったと共に、斎場でご家族に話を伺うと、「まさに母はそんな存在で、この讃美歌の歌詞とピッタリと不思議に思った」と話しておられた。そんな賛美に送られて、神様の御手にお委ねする。
2010年1月1日

親しい方のみで
 元日礼拝では、マタイ6:33からみ言葉を取り次がせていただき、その後、納棺と前夜式に出かける。お正月でもあるので、家族のみで送りたいというご希望を受け、それではご自宅で前夜式をなさってはいかがですかとお話しし、そのようにさせていただく。本当に親しい方のみで、心を込めて神様の御手にお委ねするということも意義深いことと思う。97歳とは思えない凛とした姿に、主の与えたもう平安を思う。
2009年12月31日

栗きんとんだけは…
 元日礼拝の準備、葬儀の打ち合わせとその準備であわただしく過ごす。今年は妻も明日までいないので、お正月の準備は何もできなかったが、子どもたちの好きな栗きんとんだけは作ろうと、大急ぎで作る。フードプロセッサーという便利なものがあるが、ちょっとかけ方がまずかったのと、練りが不足していたので、できは今ひとつ…。それでも、子どもたちはちょっと味見して「おいしいっ!」と…。これも子どもたちの愛だろうか…。
2009年12月30日

ホントに帰省ラッシュ?
 昨晩、教会員の方のクリスチャンのお母さんの訃報を受け、朝から車を飛ばして静岡に戻る。帰省ラッシュのピークということで心配だったが、お父さんの病院に行った後、妻を残して、子どもたちと9時前に出て、途中ゆっくり休みながら、それでも夕方5時には静岡着くほど道はスムーズだった。召された方は、とても穏やかなお姿でご自宅に戻っておられ、しばしご家族と祈りの時を持つ。
2009年12月29日

賑やかな病室
 昨日、葬儀を終えてから車を飛ばし、深夜(早朝?)に新居浜に着き、お父さん(妻の父)に子どもたち(孫たち)の顔をお見せすることができた。幸いお父さんも意識はしっかりしていて、言葉少なではあるが応じてくださり、お兄さん家族も加わって、しばし病室で賑やかな時を過ごす。何とか元気になって、家に帰れるほどまでになっていただけないかと願うばかりだ。
2009年12月28日

ご本人の証し
 今日は昨晩に続き葬儀が行われる。ご本人の書いた証しやその声を録音したテープが教会にはいくつか遺されていたので、それをお聞きいただくのが何よりの証しになる。最後となってしまった証しを聞いていただいたが、甦られた主が病の中でどのように支えてくださったかを証ししていらっしゃり、会葬してくださった方にも信仰に生きるすばらしさが、姉妹の思い出と共に伝わったのではないかと思う。
2009年12月27日

ここにも主の恵みが
 先週のクリスマス礼拝に出席しておられた方が、病院で危篤となる。幸い意識ははっきりしており、主の癒しを信じ祈る。そんな状態でありながらも、出てくる言葉は感謝と喜びばかり。主に支えられているとはこういうことかと改めて感じさせられる。夜はご長寿だった方の前夜式が行われ、姉妹の信仰を忍びつつ、晩年はパーキンソン病の大変な病床だったが、そこにも主の恵みが豊かであったことを思う。
2009年12月26日

教会の仲間
 明日葬儀が行われるため、クリスマス関係の片付けを急遽しなければならず(本来は1月6日まで飾っておくのだが)、どうしようかと思っていたところに、教会員の皆さんが入れ替わり立ち替わり来られ、また姉や父も片付けを手伝ってくれて、無事に準備を整えることができた。夕方、病床をお尋ねする。いろいろお話しをする中で、その方がよい教会の仲間に恵まれたと話しておられたが、その通りと思い、御名を崇める。
2009年12月25日

子どもたちは…
 朝起きると、ツリーの下にクリスマスプレゼントが置いてあったので、子どもたちは大喜び。娘は、昨晩サンタさんにお礼の手紙を書き、また寒いだろうからと初めて味噌汁を作り、目立つようにテーブルの上に置いていた。またサンタさんにマフラーを編むと言っていたが、妻がずっと不在だったので教えてもらえず、それができなかったと涙を流していた。朝、”Thank you for your Love and Kindness."の手紙が置かれていた。
2009年12月24日

受くるより
 イブのキャンドルナイトには、このところ出席者が年々増え、ほぼ会堂一杯の人が集まってくださった。名前も知らない方々も相当数おいでくださり、クリスマスの喜びを分かち合うことができ感謝だった。それぞれの奉仕者もすばらしい賛美をささげてくださった。毎年、この日のためにたくさんのケーキをプレゼントしてくださる方に心から感謝するとともに、「受くるより与うるは幸いなり」と言われた主の言葉を改めて思い起こす。
2009年12月23日

クリスマスを前に
 今日もクリスマスの喜びを各所で分かち合った一日だったが、夜遅く、ひとりの方が天に帰っていかれた。2年近く、全くの寝たきりとなり言葉も失われ、どんなにか忍耐の日々ではなかったかと思う。私の下に来なさいと、神様が苦しみから解放し、み下へ召してくださったのではないかと思う。主にある人の地上の最後は、何と平安に満たされていることだろう。
2009年12月22日

貴重な充電の時
 英和の学校クリスマスに行く。クリスマスの時期、放電することばかり多いが、充電する機会は貴重だ。メッセージはもちろん、何年かぶりでページェントが復活したようで、今回はキャスティングもとても良く、現代人に語りかける聖書のメッセージが巧みに織り交ぜられた素晴らしい上演で感動した。先生や生徒たちのこの日にかける思いがひしひしと伝わってきた。
2009年12月21日

分かち合う喜び
 教会員の皆さんに署名していただいたクリスマスカードを、遠隔地の方々十数名にお出しする。また、バザーの収益と合わせてクリスマス献金の中から、各施設や宣教団体等に、昨年よりわずかながら増額してお送りすることができた。かなりの事務作業ではあったが、クリスマスの喜びを分かち合うことができたような思いで感謝だった。ライフセンターに立ち寄った際、今日から始まったという救世軍の社会鍋にも、お働きに感謝しつつ献げる。
2009年12月20日

クリスマスの恵み
 クリスマス合同礼拝、それに続いて昼食会を行う。また、その後7人で病者訪問に行き、夕拝を終えお送りするまで、ほとんど休む間もなかったが、感謝一杯のクリスマスだった。救い主が来られた喜びと、それを分かち合う主にある仲間がいることの幸い、また私たちのささやかな短時間の訪問であっても喜んで迎えて下さる方々…。ひとつひとつのことの中に、神の恵みを感ぜずにはおれない。
2009年12月19日

子どもクリスマス
 午後、子どもクリスマスが行われる。今回、事前の十分な案内ができなかったが、それでも30名以上の子どもたちと、十数名の保護者の方々にもお集まりいただいて、救い主の誕生をお伝えすることができ、感謝だった。降誕劇も、多少ハプニングはあったものの、がんばって演じてくれた。クリスマスの諸行事もあともう少しだが、実りが与えられるよう祈りつつ備えたい。
2009年12月18日

救世軍の社会鍋
 朝祷会に来られた救世軍の先生が、毎年恒例の社会鍋が清水で始まり、静岡でも21日から始まるとお聞きする。静岡の社会鍋も今年で百年だそうだ。教会ではクリスマスの忙しい時、また本当に寒い時に長時間街頭に立って募金を呼びかける…。各福祉施設、特に授産所のような助けを必要な場所に、この位の予算で何が必要かを聞いて寄贈するという。本当に頭の下がる思いだ。主の祝福を祈りたい。
2009年12月17日

車内でパソコン
 新居浜往復の新幹線やL特急の車内でパソコンを使って仕事をするが、意外とよく揺れ、とくにマウスパッドの操作が手間取り、通常より余計に時間がかかってしまった。それでも、クリスマス前のとても忙しい時期だったので、片道5時間の移動時間を少しでも有効に使えたような気がした。いつも長距離出張を繰り返しているビジネスマンの方の大変さを思う。
2009年12月16日

父の病床洗礼式
 妻の父の病床洗礼式を愛媛県新居浜で行う。一時、危篤となったが、幸い持ち直し、意識もしっかりしていて、かねてからその時をと願っていたが、時が与えられ、はっきりと信仰をご自分の意志で告白され、本当に感謝だった。車で帰る途中、大きな二重にかかる虹を見た。ノアの契約の時のように、神様がこれを受け容れ、大きな祝福を与えて下さるように感じた。
2009年12月15日

神の摂理
 英和ではルツ記の授業をする。ルツとボアズの出会いを、新共同訳聖書だと「たまたま」と訳されているが、口語訳だと「はからずも」と訳されていた。しかし、ここにも神の摂理があり、主イエスの系図に登場することになることを思うと、弛緩の時代とか暗黒時代と言われる士師の時代にも、神の救いのご計画が脈々と続けられていたことを思う。
2009年12月14日

リソグラフ
 クリスマスのちらしを印刷する。一年半ほど前に、ほとんど新品の2色刷のリソグラフを献品していただいたが、パソコンから直接出力でき、写真や文字などきれいに印刷できるのがありがたい。他の仕事をしながら、何とか印刷。多くの人の目にとまり、教会においでくださる方が少しでも増えるように願うばかりだ。
2009年12月13日

横断幕完成
 夕拝の時、ひとりの兄弟が「Merry Christmas」と書いた横断幕を完成させて届けて下さった。仕事の休日返上で制作してくださったようだ。字体もすばらしく力作という感じだ。多くの人の目にとまり、クリスマスの喜びを伝えると共に、敷居を低くして教会においでいただくきっかけになればと思う。また、どこかのクリスマス集会に持って行ってもいいのではないかとも思う。
2009年12月12日

今日一日の恵み
 午前は刑務所のクリスマス、午後はゴスペルクワイヤでの出演と多忙な一日だったが、皆さんと賛美を通してクリスマスの喜びを分かち合うと共に、その恵みをお伝えすることができ、感謝だった。息子も、保育園で降誕劇のヨセフの役をさせてもらったが、見に行くことができなくて残念だったが、息子や妻から報告を聞き、撮影したビデオを見せてもらう。夜は夕食を囲み、今日一日のことをいろいろ語り合う。疲れの中にも、これも大きな神様の恵みと感謝する。
2009年12月11日

市民クリスマスin清水
 今週は超多忙で、明日も一日外に出なければならないので、今日は必死で説教の準備をする(が2/3位しかできなかった)。途中でも、どうしても行きたいところがあった。それは市民クリスマスin清水に、岩淵まことさんご夫妻が来るからだ。雨の中、妻を誘って出かける。本当に感動した!もっと聞かせていただきたかった!教会の人たちをもっと熱心に誘えばよかったと後悔するが、いつか近い将来、私たちの教会にもぜひお招きしたい。
2009年12月10日

ご家族の心配
 葬儀が行われた後、斎場で奥様から、これまでのご主人の様子を改めていろいろお伺いする。長い闘病生活で、どんなにご心配だっただろうかと思う。その中で、何度も医師からもうだめでしょうと言われ、それを乗り越えて来たことを伺い驚く。病院での入院の間、いろいろお話しさせていただくことができたのも、神様が備えてくださった時ではなかったかと思った。
2009年12月9日

前夜式
 81歳になる男性の方が召され、前夜式を行う。20年近く入退院を繰り返し、三大成人病を全て経験された方で、特にこの数年はほとんど寝たきりの状態だった。会葬者は少ないのではという予想に反し、80名位の方々が集まって下さったように思う。最後に何度かお話しさせていただく機会が与えられ、主を受け容れられ、天に召されたことを信じつつ司式する。
2009年12月8日

刑務所でのキャロル
 刑務所で教誨があり、クリスマスを告げる聖書の箇所、またその誕生に関する出来事について、聖書神学者が解説しているテレビ番組を紹介させていただく。また、クリスマスの讃美歌はさすが皆さんもよく知っていて、3曲も歌ってしまったが、大きな声で、とてもいい声で歌われる方もいて、聖歌隊ができそうだと思ったほどだった。主はここにもおいでくださると感じさせられる。
2009年12月7日

FM-Hiにて
 FM-HiというFMラジオ局で、私たちの教会のクリスマス集会の情報を紹介してくださった。娘の同級生のお母さんが、その地域情報の担当をしておられ、明るく楽しい語り口調の中にも、5分近くではなかったかと思うが、しっかりと時間や場所、その内容までお話しいただいて、こんなに嬉しく感謝なことはない。パーソナリティーの方も、英和の卒業生と話していたので、違和感がなかったのかもしれない。ラジカセが壊れていなかったら録音したのに…と残念に思う。
2009年12月6日

番組を通して
 午後、ライフラインの集いが市内の教会で行われる。キャスターの関根先生、ゲストのアコーディオン演奏もすばらしかった。ただ嬉しかったのは、ずっと番組を見ていて、教会に導かれ、洗礼を受けられたという方がわざわざ富士宮からおいでくださったことだ。そういう方がいらっしゃるということを聞いて、大きな励ましを受けた。20年間放送が続けられてきたが、支えてくださっている各教会、サポーターの皆さんに大感謝!
2009年12月5日

クリスマス曲の練習
 来週に迫った市内の教会でのクリスマスコンサート出演のために、雨の中集まったゴスペルのメンバーの皆さんと、クリスマス曲の練習を中心に行う。しばらく歌っていない曲でも、数回練習すると合ってくるので、その当たりはだんだんと上達してきたしるしなのかもしれない。とにかく、クリスマスを心から喜び祝う賛美をお届けしたいと思う。
2009年12月4日

息子に冒険
 保育園の息子に少し冒険をさせ、ヘルメットをかぶりひとりで自転車に乗らせて買い物に連れて行く。息子に先を走らせ後ろについていくが、周囲を見ながら走る判断力もまだまだなので、まだまだ練習が必要だと思った。じっくり走ってみると、歩道のないところ、道幅の狭い所など、いろいろ難所もある。それでも息子は、「楽しかった」と言っていた。神様が私たちの歩みをご覧になるのも、このようなものなのかなと思う。
2009年12月3日

ピークは過ぎた
 聖文社というキリスト教書店に立ち寄ったところ、店員が忙しく図書の入れ替えをしていた。これからクリスマスで忙しくて大変ですねと言うと、もう10月11月でピークは過ぎたと話しておられた。なるほどそうなのかと、愕然とする。書棚を見ると、クリスマス関係の本は確かにもうほとんどないという感じだった。世の中の動きの早さを思う。
2009年12月2日

小さな奏楽者
 ある牧師が、幼少時代小さな教会で育ち、小1から奏楽者を務めていたと聞く。初めて弾いた曲は、「荒野の果てに」というクリスマスの曲だったそうだ。今もオルガンもとても上手でいらっしゃるが、そういう事情で始められたとは初めて聞いた。小さな時は苦痛だったのかもしれないが、それがこのように生かされることは何と幸いなことか。
2009年12月1日

メシア預言
 英和で朝の礼拝の説教の当番が当たり、こういう時だからということで、エレミヤ書のメシア預言の中からお話しする。詳しく話そうとすればするほど聖書の時代や出てくる言葉の意味などが分かっていないと難しくなってしまうので、できるだけ簡略に話そうとしたものの、やや難しかっただろうか。それでも、聖書の深さに関心を持つきっかけになってくれればと思う。