2009年1月31日

声が出るかどうか…
 明日の礼拝で、最後まで声が出るか心配になり、お茶でうがいをしたり、のど飴をなめたり、今日も引き続いてしてみる。熱もなく、日常会話にはまったく問題はないが、説教のようにずっと話し続けるとなると、だんだん声が出にくくなってしまうことがある。以前はそれで無理をして、2日位声が出なかったこともあった。何とか支えられるように、今日も早く寝て備えたいと思う。
2009年1月30日

風邪をひいてしまった
 朝祷会で説教をしていたところ、声が出にくくなり、かぜをひいてしまったかと自覚する。幸い熱は出なかったものの、咳が少し出るようになってしまった。こういう時は出かけると迷惑になるので、訪問等は行かず、教会に留まり仕事をするが、体も多少だるく能率も今ひとつ。何とか早く直す方法はないだろうかと、お茶でうがいをしたり、ツボを押さえてみたりする。
2009年1月29日

召天日を迎えて
 ご主人が召天日という方のお宅を妻と訪問する。50年以上連れ添われ、今も思い出すと寂しいと話してくださった。伴侶を亡くすことが一番のストレスと言われる。昨年は体調も崩され、どんなにか辛い中を通られたことと思う。主が天国へと確実に導いてくださったことをお話しし、主の慰めを祈る。幸い優しい息子さんが側にいてくださることが心強いようで、それも何よりだ。
2009年1月28日

暖かく生活できるよう
 母が足が痛むという話を聞き、話の一端から寒さも影響していると思ったので、両親の食堂の模様替えをする。広いスペースのまま、あまり暖房の効かない中で生活しているので、テレビを移動し、冬の間は間仕切りがしっかりできるようにし、暖房等の位置も変えてみる。これで暖かくなり症状も少しは改善されればと思う。とにかくからだを冷やさないようにする方がいいと聞く。もっとそういうところに早くから気づいて、手を貸せばよかったと今頃になって思う。
2009年1月27日

聖書の値段
 聖書の値段を調べていて、随分高くなったものだと思う。旧新約聖書がそろったものは一番小さな聖書で3150円、少し大きなサイズで教会の方が一番使っているサイズが約4500円、活字の大きなものになると、7千円以上する。最近また値上がりしたように思う。昨年秋以後の諸物価高騰のあおりを受けてと思うが、不況でまた材料費も安くなったのではないかと思うので、また値下がりしないかとも思うが、本の場合、なかなか難しいかもしれない。手に届きやすいということも大切な要素のように思うのだが…。
2009年1月26日

いろはがるた
 近隣の高齢者のための集い「恵朗クラブ」が行われる。賛美歌を歌ったり、聖書の中からお話をさせていただいたりもするほか、今日は季節の歌を歌ったり、旧正月ということで、いろはかるたをみんなで言えるかどうか思い出してみる。いは「犬も歩けば棒にあたる」といった具合だ。思い出せないものもいくつかあったが、いい脳の刺激になり、老化防止に一役買ったのではないかと思う。なごやかなひと時だった。
2009年1月25日

ルカの系図
 ルカによる福音書の系図から、初めて説教をする。マタイによる福音書の系図は何回か取り上げたことがあるが、ルカは初めてだった。77名もの名前が記されているが、ここに名前しか出てこない、いわば無名の人がほとんどのように思うが、主にあっては意味ある一人一人であったことを思う。私たちも、無名であっても主にあっては大切な救いの計画に関わる一人一人だと改めて思い感謝する。
2009年1月24日

業者の親切
 20年位使っている大型のストーブがあるが、とうとう故障してしまい、修理に出していたが、夕方病院に出かけていた最中、修理完了との電話があったそうだ。妻が留守にしている旨伝えたところ、「お宅は教会で明日はストーブを使うだろうから」と言って、届けてくださったそうだ。私は自分の名前を言っただけだったが、なぜか沓谷の教会だとその人は知っていて、古い製品なので部品の調達ができないが、「やるだけやってみます」と言ってくださり、日曜日に間に合わせてくださったのだと思う。何と親切な方だろうと思い、本当に暖かな気持ちになる。
2009年1月23日

準備委員会
 今年6月、熱海で開かれる教誨師大会のための準備委員会に出かける。350名位の方々を迎えるということで、準備からなかなか大変だ。静岡県の教誨師は全部で33名、大部分が僧侶の方で、こういう機会でもないと、僧侶の方と話す機会はほとんどないだろうと思う。今日も、長時間に渡って相談するが、更生の一助となるためによりよい教誨を目指そうと、皆一生懸命。その熱意が伝わってくるように感じた。
2009年1月22日

就任の祈り
 オバマ大統領の就任式に、リック・ウォレン牧師が祈りをしたと報じられていた。これまでは、ビリー・グラハム師がその役を務めることが多かったようだが、グラハム師ももう90歳。ウォレン師が指名されたことを国民の多くは支持したそうだが、福音派の牧師が指名されたことで、オバマ大統領が中道路線に移行しつつあるとの見方も出ているようだ。彼は、プロテスタントだということは報じられているが、信仰的にどうなのかはなかなか聞こえてこない。就任の祈りも、単なるパフォーマンスで終わらないでほしいと願うばかりだ。
2009年1月21日

手術を前に
 明日、胃の手術を受けられる方を訪問する。今回のことでいろいろ教えられたと、さまざまな恵みをたくさん話していただいた。お言葉から出てくるのはそのようなことばかりで、主の平安に守られていることを思い感謝する。出かける前での祈祷会でも皆さんに祈っていただき、そのことを話すと、こんなに心強いことはないと話されていた。主の癒しと守りがあるようにと信じて祈る。
2009年1月20日

定年退職後に
 この春で静岡での働きを終えて、故郷に戻られる牧師夫妻が、わざわざ挨拶においでくださる。定年退職後に神学校に入学され、主の働きのために立ち上がられたご夫妻で、学びの後14年間、静岡で伝道・牧会に当たってくださった。その働きの貴さ、犠牲の大きさを思う。「これからも、静岡のために祈り続けます。」とお話しくださった。共に感謝の祈りをささげる。
2009年1月19日

初めてのディズニー
 小学校が代休だったので、ディズニーランドにでかける。私たちも初ディズニーで、子どもたちにもせがまれつつも今まで連れて行ってやることができなかったが、ようやくかなえられた。平日なのにかなりの人出で(実はあれで相当すいていたらしい)、暖かないい日となり、たくさんのアトラクションやパレードを見て、休日の一日を満喫する。ただ、あまりの物価の高さに驚きつつ、節約するのに一生懸命…。ところで、あそこで働く人はどの位いるのだろうか。どの働きをする人も、みんなよく訓練されていてすごいと思った。
2009年1月18日

子どもの集会
 教会学校では、礼拝に引き続いて、お好み焼き・たこ焼き大会を開く。予想以上の子どもたちや保護者の方が集まってくださり、大好評だった。ただ、ホットプレートをたくさん一度につないだため、ブレーカーが飛んでしまい、当初なかなか焼けなかったようで、延長コードでつなぐ場所を換え、何とか対応した。この中から、教会学校につながる子どもたちが起こされることを願うばかりだ。
2009年1月17日

耐震補強は大丈夫?
 娘の参観日だったので、主日の準備の合間を縫って、小学校に出かける。娘が一生懸命授業に取り組んでいる姿に安堵しつつも、自分が卒業した母校でもあるので、校舎の様子を見ていろいろ思い出す。今日は阪神大震災の日だったが、この校舎も築40年は経過しているはずだが、耐震補強など一部はしてあるようにも見えたが、校舎そのものは特に補強の様子もなく、大丈夫なのかとふと心配になってしまう。
2009年1月16日

すごい機長だ
 朝、ニューヨークであわや大惨事になるかという飛行機不時着のニュースを見た。この真冬に川に不時着し、全員無事とは、本当に奇跡だと思う。機長の判断と技術がすばらしかったのではないかと思う。暗いニュースの多いアメリカで、事故でけが人があったとは言え、このようなニュースが社会を明るくする一因になればと願う。
2009年1月15日

クワイヤの映像
 締め切りの迫りつつある書き物をしていたところ眠くなり、息抜をしようと、ゴスペルのディレクターの良子さんが、「Hallelujah You're Worthy」(先日練習したゴスペル曲)等で検索すると映像が見られると言っていたのを思い出し、検索してみると、いろいろなクワイヤや歌手が歌っている映像(大部分アメリカと思われる)が出てきた。映像は小さいものの、大きなクワイヤの迫力ある賛美も聞けて、こんなのがあるんだと驚く。おかげで眠気もふっとんだ。一度、生で聞いてみたいものだと思う。
2009年1月14日

次にはこの賛美を
 午後の祈祷会を終えて、来週胃の手術を受けられる方を訪問する。賛美の好きな方で、「退院したら、次の礼拝でこの曲を賛美させてもらう」と言って、譜面を持ち込んでおられた。そういうお気持ちでいらっしゃるならと、こちらも励まされる。病室にいらっしゃった奥様と一緒に、主の癒しを祈る。
2009年1月13日

最近の録音機器
 訪問の合間を縫って、昨日の聖会のテープの作成や、ゴスペルリハーサルで録音したもののCD化を行う。この頃、カセットテープが余り用いられなくなり、その変わりとなるメディアがあまり普及していないように思う。MDがあるが、これを持っている人は少なく、CDはたいていの家庭に普及しているものの、パソコンに落としたりせねばならず、制作にやや手間がかかる。(録音した音を直接CDにできる器材もあるようで、そういうものを用いている教会もあるようだがまだ高価だ。)何とか手軽にできるようになってほしいものだ。
2009年1月12日

教区聖会
 当教会で教区聖会が開かれ、県内の8教会から信徒有志が集まっていただく。聖霊によって生きるとはどういうことかを、講師の体験から力強く、また分かりやすく語っていただき、すばらしい恵みの時を持つ。にじみ出るはっきりと筋の通ったクリスチャンとしての生き方に感動する。聖会を開く意義をまた感じた。今回は、当教会が会場ということで、多くの教会員も出席していただくことができ、そういう意味でもとても感謝だった。
2009年1月11日

寒い主日を迎えて
 今朝は氷点下まで下がったようで、朝はいつになく礼拝堂もひんやりしていた。祈りの中で、ふと雪国の人たちは大変だろうなと思った。吹雪のような中を教会に行くこと、牧師は雪かきをして信徒を迎えること。そのほかにも、様々な備えをすることと思う。寒くてもそれほど変わらず礼拝をささげられる恵まれた環境にあることを改めて思う。今日はそんな寒さの中だが、いつもより礼拝出席者も多く感謝だった。
2009年1月10日

新年初ゴスペル
 今年初めてのゴスペルリハーサルが行われる。新しい方が5名も見学に来て下さり、そのうち3人の方が即入会してくださる。本当に感謝だ。新曲を2曲教えていただくが、ゴスペルは楽譜がないために、曲そのものはそれほど難しくないものの、最初の出だしの音の取り方が案外難しく、それに躓くと他のパートにつられてなかなか音が取れなくなってしまう。でも、お腹の底から声を出し賛美することのすばらしさを思う。
2009年1月9日

ぶれない幸い
 医者に行った待ち時間の間、読みかけだった姜尚中の「悩む力」を読む。書店にたくさん積まれているが、50万部売れているそうだ。彼は洗礼を受けたクリスチャンのようだ。本当にいろいろ悩んだ人らしい大きな問題に正面からぶつかっているような気もするが、どことなくつかみ所のないような感じもした。信仰の意義をあえて遠慮気味に書いているのかとも思ったが、かえって神を信じることによって、ぶれないものを与えられている幸いを思った。
2009年1月8日

癒されて
 他教会の90歳近い方で、昨年末、大腿骨を骨折してしまった方が近くの病院に来られたと聞き、訪問する。どうしていらっしゃるかとても気になっていたが、ベットの上に座り、とてもお元気そうな姿を見て、御名を崇める。今日は、初めて杖なしでのリハビリをすることができたとか…。皆さんのお祈りに支えられているおかげですと、本当に感謝しておられた。私も思わず嬉しくなり、大いに元気をもらった。
2009年1月7日

ツリーのかたづけ
 公現日が過ぎたので、クリスマスツリーやリース、ネイティビティー(降誕場面の飾り物)のかたづけをする。この時期までそれらを出しておくと、教会は忙しくてかたづける暇もないのかなと思う方もいらっしゃるかもしれないが、教会では1月6日の公現日までクリスマスシーズンだ。来年もきちんと飾れるように、特にしまい方が大切だ。大きな喜びのうちに次のクリスマスを迎えられるように、期待をもってしまう。
2009年1月6日

厳しさの中でも
 福音放送のたよりの原稿が完成し、送付を担当してくださる教会にお送りする。気になるのは会計だが、12月は個人のサポーターの方々の献金が増え、浜松地区のラリー献金もあったことで、何とか支えられた。今後、経済情勢の悪化の影響を受け、コマーシャルの休止などがあり、一層の厳しさが予想される。それでも、これまでも厳しい中、不思議と支えられてきた。主の助けがあることを信じて行くしかないと思う。
2009年1月5日

娘とこま回し
 月曜日、久しぶりに少しゆっくりすることができ、明日から学校が始まる娘の宿題、縄跳びやこま回しの練習につき合う。こま回しは、当初3回に1回位しか回らなかったが、練習を重ねるうちに、コツをつかんだのか、ほぼ毎回回せるようになり、娘はとても喜んでいた。箱入れ(箱の中めがけて投げて廻す)などの難しいわざにも挑戦し、それでも2回位できたようだった。昔ながらの遊びもいいものだと思う。
2009年1月4日

愛餐会で
 愛餐会では、新年の喜び・新年の目標というテーマで話をした。その中で、やはり聖書をしっかり読もうという目標を持たれた方の多かったことを嬉しく思った。また、お母さんたちは、息子たちが遠方から帰って来て、一緒に過ごせたのが嬉しかったと話された方が2人いらっしゃったことが印象深かった。やはり母親は、息子がいくつになってもそうなんだなあと改めて思った。
2009年1月3日

ガザ地区の戦闘
 イスラエルのガザ地区空爆が激化していることが報じられている。イスラエルに知人もいるために、イスラエルをそう悪くは言いたくもないし、そういう人々から地元の情報を聞くと、イスラエルにはイスラエルなりの言い分があり、その部分は特に日本には聞こえて来ず、パレスチナ寄りの情報が多いようにも思うので、公平な判断はしにくいが、いくら何でもやりすぎのような気がしてならない。戦争が頻発する地域にある人々は、平和な社会の人々とは全く異なった考え方になってしまうような気がする。主の憐れみを祈るばかりだ。
2009年1月2日

初日の出の感想
 朝祷会の終わった後のお茶の時間に、初日の出を見に行かれた方の感想を聞くことができた。ある人はグランシップの11階、ある人は日本平山頂と、どこも人出でいっぱいだったそうだが、美しい日の出が見られたとか。静岡の場合、山陰からの日の出なので少し時間が遅くなる。自分は自宅で過ごしたが、子どもがもう少し大きくなったら、せめて裏山でも、あるいはどこかにちょっとでかけてみるのもいいかもしれないと思う。ただ、元日礼拝があるので、そうはいかないかもしれないが…。
2009年1月1日

連合礼拝の説教
 教会での元日礼拝に続いて、市内のキリスト教連合会主催の新年連合礼拝に出席する。説教の中で、大変な時代になっている中、福音の本質を見失い、時代に迎合する必要はないが、人々にどうやったら届くかを考えながら教会の働きを進めるべきだと聞き、なるほどそうだと思う。大変だ、大変だと言っているだけでなく、そういう状況の人々に主の愛をお届けする方策を考えねばならないと思う。
2008年12月31日

感謝で締めくくれる幸い
 元日礼拝の準備をしながら、クリスチャンは、その年がどんな年であったとしても感謝できることを幸いに思った。過去と比較するのでもなく、まして他人と比較するのでもなく、今年は悪い年だったから、来年はいい年にしようという思いでもなく、主にあって感謝することができ、新しい年も主にあって期待することができる。これは大きな恵みだなあと、しみじみと思う。
2008年12月30日

お手伝いに喜ぶ
 2台の洗車をしていると、子どもたちも「お手伝いする」と言って、一緒に手伝ってくれた。まだ幼いだけに、その仕事はとても十分とは言えないが、そう言ってくれる気持ちが嬉しかった。このところ、ほとんど子どもたちとは遊ぶことができず、お正月もこのカレンダーの並びでは難しいように思うが、少しずつでも遊ぶことができたらと思う。幼い子どもたちにとっては、親と過ごす時間はかけがえのない良い時に違いないと思う。男性は、よく仕事に逃げると言われるが、成長し、親を離れていく前に、そういう時間を作る心がけを持たなければならないことを思う。
2008年12月29日

正月の買い物で
 家族の他、母や姉も一緒に、正月の買い物に出かける。値段の高さに戸惑いつつ、正月だからという思いと、もったいないという思いが心の中でせめぎ合い、もったいないを優先にしつつも、家族の好きなものだけはと買い求める。ニュースを見ると、正月どころではない人の姿が連日報道され、一人でどのようなものを食べていらっしゃるのかと考えさせられる。教会にも一人暮らしの方もいらっしゃり、どんな正月を迎えられるのかとしばし思う。
2008年12月28日

粘り強い働きかけ
 今年最後の礼拝を終え、午後は教会学校の教師会を行う。クリスマスに導かれてきた子どもたちを、何とかまた教会に来てもらう方法はないだろうかと知恵を出し合い、祈り合う。日本の場合、クリスマスが終わると、すぐに年末・お正月モードとなり、教会に来れなくなりそのままとなってしまう場合が多い。それでも、教会の働きの貴さ、聖書のすばらしさを理解してくださる保護者の方もきっといらっしゃると思うので、粘り強く働きかけていく必要を思う。
2008年12月27日

福音放送の危機
 福音放送ライフラインに協力してくださっているクリスチャンの企業から、広告を取りやめさせてほしいという申し出があった。委員長始め、県内の委員の先生方に連絡をし、祈りの応援を求める。至急本部にも連絡するが、休業期間に入ってしまっていた。世界的な大不況の影響に違いない。これまでの最大のピンチではないかと思うが、福音放送を絶やさないために祈らねばならないと思う。
2008年12月26日

神山教会訪問
 教会員5人で、御殿場のハンセン病施設内の教会、神山教会を訪問する。このところ礼拝出席者は3名で、沼津から来られる代務者の牧師や地域の教会の牧師などが交代で説教に来てくださるようだ。今日は、かつて当教会に出席してくださっていた方が裾野からご家族でかけつけてくださり、12名で礼拝をささげ、交わりのひとときを持つ。また、百歳になる方がケアハウスにいらっしゃるということで、出かけていき、そこで聖餐式を持つ。涙を流し喜んでくださった。意義深いクリスマスのひとときを持つことができ、感謝だった。
2008年12月25日

ネックウォーマー
 クリスマス諸行事もあともう少しとなってきた。例年この時期になると、ほぼ毎年かぜをひいてしまい、行事が終わると寝込んでしまうこともあったが、今年は今のところ守られ感謝だ。自分の場合、喉が痛くなりかぜをひく場合が多かったように思うが、今年は百円ショップで買ってきたネックウォーマーを毎晩首にしながら寝ている。タオルでは寝ている間に取れてしまったが、これもひとつの要因かなと思う。体も冷やさないようにするのがいいらしい。そう思うと、救世軍の社会鍋に立っている方々のご苦労を思う。
2008年12月24日

キャンドルナイト
 平日なのでどうかなと少し心配もしたが、今年も80名余りの方々がイブの夜の集会に集まってくださり、共に主を賛美し、みことばに聴く有意義なひとときが持てた。教会員の皆さんやゴスペルクワイヤの皆さんも、とてもよくやっていただき感謝だった。牧師としての心からの願いは、こういう機会を通して、一歩ずつでも神様の語りかけに真剣に耳を傾けてくださる方が起こされていくことだ。クリスマスが終わるとすぐに国全体が年末・お正月モードに入って、何もかもかき消されてしまうような社会の動向だが、主の恵みの言葉に信頼し、これからも福音の種を蒔き続けたい。
2008年12月23日

神様の語りかけ
 ある方と一緒にテキストを学んでいた時、ひとつのみ言葉が開かれる。「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ書43章19節)神様はいろいろな方法で語りかけてくださる。人は気づかなくても、着々と神のみわざが今も進められている。神様が今そう語ろうとしてくださっている気がしてならなかった。
2008年12月22日

遺影の写真
 ご主人が天に召され、お一人暮らしとなっている方のお宅を訪問する。いくつか思い出を話す中で、遺影の話になったが、とある礼拝の後である教会員の方がたまたま撮ってくださり、大きめに引き延ばして渡してくださった写真だと聞き、そうだったのかと驚く。穏やかな笑顔でいい写真だ。写真をプレゼントした側も、そのように用いられて感謝していらっしゃるのではないかと想像した。
2008年12月21日

盛りだくさんの一日
 クリスマス礼拝、昼食会、訪問、青年と夕食、夕拝と盛りだくさんの一日で感謝だった。訪問には、この一年ほとんど教会においでになれなかった方を中心に5件お訪ねする。久しぶりに父にも同行してもらったが、特に父の顔を見て涙を流して喜んでくださる方もあり、お訪ねできて良かったと思う。もらうクリスマス、あるいはこの不況の中で何とか自分の分を確保する流れに終始しがちだが、主のお言葉に「受くるより与うるは幸いなり」とあるように、持てる何かを、まことにささやかではあるが分かち合うことができたクリスマスこそ幸いだと思う。
2008年12月20日

学校クリスマス
 英和の学校クリスマスにでかける。生徒たちの心温まるキャロルの演奏の他、講師より公認サンタの話を聞く。日本では山本さんという方が選ばれているそうだ。プレゼントをしながら、日本の子どもたちはクリスマスにプレゼントをもらうことばかり求めているのに対し、特に貧しいアジアの諸国では、プレゼントをする日だと思っていると言う。豊かでありながらも、精神的には貧しくなりつつある日本の現状を思うと共に、我が子は、それ以上に自分はどうだろうかと神からのチャレンジを受ける。
2008年12月19日

守られた…
 郵便局に行く途中、自転車で歩道を走っていたところ、辻から車が一旦停止せず出てきた。危ないと思い、こちらもとっさにブレーキをかけたものの間に合わず衝突、道路に自転車ごと倒れ込んで腰を打ってしまった。初老の男性が降りてきて、横柄な表情で「止まったのに…」と言ったので、こちらもムッと来た。幸いすぐに立ち上がることのできる程度だったので、喧嘩しても仕方がないと思いとどまる。後味が悪かったが、後になって、腰の痛みは残ったものの少しで守られ、また加害者ではなく被害者で済んだことを思い感謝する。自分も車を運転する時は、一層気をつけようと思った。
2008年12月18日

グループ教誨
 夕方、刑務所でのグループ教誨があり、クリスマスも近いということで、クリスマスの讃美歌を歌い、聖書箇所を開き、また主イエスの誕生についてのDVDをお見せし、主のご降誕を思うひとときを持つ。帰り際、職員の方が、讃美歌の歌詞の意味とか、なぜ家畜小屋で生まれたかという意味が分かったなどいろいろ話して下さり、主イエス抜きのクリスマスが多い中、それを中心に分かち合うことができ、感謝だった。
2008年12月17日

「マリア」
 DVDで「マリア」という主イエスの誕生についての映画を見る。昨年の今頃公開された映画だが、静岡では残念なことに上映されなかった。羊飼いと博士たちが、同じ夜に同時にやってきたかどうかは別として、内容は聖書に即したもので好感が持てた。受胎告知などは、これまでにないユニークな状況設定だった。ともかく、マリアとヨセフの苦労と困難、またそれを乗り越えた主への信頼を思う。
2008年12月16日

はがきの案内投函
 24日のキャンドルサービスのはがきの案内を作成し、これまでキャンドルサービスを始め、教会においでくださった方80名余りに出す。近年多くの方がお見えくださるようになり、このところも何か特別なプログラム等があり、多い年は100名以上、特別なことをしなくても80名位は集まってくださるようになった。多くの方に福音をお伝えすると共に、その中から真剣に神を求めてくださる方が起こされるよう願うばかりだ。今年もそのように祈り備えたい。
2008年12月15日

プリンタのインク
 パソコンプリンタのインクを買いに行き、どうしてこうも高いものかと思ってしまう。プリンタ本体は比較的安いものの、メーカーのそういう戦略と言えばそうなのかもしれないが、一本\1000位もし、容量は少ないのですぐなくなってしまい、それが4色とか5色とかなると、かなり大変だ。以前、安さにつられ互換品を買ったことがあるが、プリンタが壊れてしまい、2回修理に出したことがあるので、互換品も正直買いにくい。もっと消費者の立場に立って、何とかしてもらえないのだろうか…。
2008年12月14日

子どもクリスマス
 今日は午後から子どもクリスマスが行われる。子どもたちが、練習通り(練習以上?)にしっかりと演じてくれた。キャスティングはもちろん、衣装もなかなか良く、集まった多くの子どもたち、また保護者の方々に、イエス様の誕生の意味を伝えることができ本当に感謝だった。5つのケーキを急いでデコレーションしてくれたが数もピッタリだった。また、教会に続けて足を運んでくれる子どもたちが起こされるようにと祈らされる。
2008年12月13日

刑務所でのクリスマス
 刑務所でクリスマスが行われ、市内の教会の15名で出かける。聖書からのメッセージのほか、音大の先生だった方に歌唱指導をしていただく。所内の規則で、房内は歌を歌ってはいけないそうだが、今日は皆で讃美歌をのびのびと歌う。皆さんよく声を出され、大変いい声で歌っていらっしゃる方もいて、しばしの時、心豊かなひとときが持てたのではないかと思う。主の恵みがひとりひとりにあるようにと祈らされる。
2008年12月12日

今年の漢字は変
 世相漢字が発表され、今年は「変」だそうだ。昨年は「偽」だったと思うが、このところいい字が選ばれたことがあまりないように思う。ただ、変は、変化を望む期待も込められていると理解したい。このところ、世界的不況の波がじわりじわりと押し寄せてきているようで、職を失った人など本当に大変だし、この先どうなるだろうという思いで働いている方も多いと思う。来年は、明るい変化の兆しが見える、そんな年となってほしい。
2008年12月11日

工賃は無料
 教会の車のETCの電気が入らなくなってしまったので、仕事の途中にオートバックスに行き見てもらう。20分位いろいろ見てくれたものの、原因はヒューズ切れ(車のヒューズが切れたことは今まで経験していなかったので自分で点検していなかった)ではないかということで、ヒューズを交換してくれた。有り余りの中古部品から交換したので、工賃はなんと無料でいいと言う。あまりに親切な対応に驚きつつも感謝する。また温かい気持ちになる。
2008年12月10日

集会に備えて
 祈祷会後、残って下さった方々と共に、今週末に行われる刑務所クリスマスのプログラムを折る作業、また次の日曜日に行われる子どもクリスマスのプレゼント袋詰めを行う。いつもは1人か2人でしていただく作業を大勢でしたので、さすがに早く、あっという間に準備ができた。また、こういうことで一人でも多くの方にかかわっていただくことは、いいことではないかと思う。祈りも一層具体的になるだろうと思う。
2008年12月9日

さらに広く深く
 ライフラインの委員会があり、経済情勢が悪化する中、少しでも支援の輪を広げるために、福音派にこだわらず教派を超えて番組のゲストとして登場してくださる人をお願いできないかなど、新たなプランを話し合う。静岡県は早朝なのに視聴率がかなり高い。そういう人々の中で関心のある方の心にさらにしっかりと福音を届けるために、事務局も努力していてくださる。主にある者がひとつ思いになって、それぞれの賜物を出し合い、協力していくことの大切さを改めて思う。
2008年12月8日

あなたが大切
 成長の執筆者会議のため、東京にでかける。早めに終わったため、帰りに新宿にちょこっと寄る。師走の東京はどんなにかせわしないかと思いきや、不景気のためか、いつもと変わりない感じがした。ホームに、「命が大切と言われるより、あなたが大切と言われた方がいい」というようなポスターを見つけ、なるほどそうだなーと感心する。
2008年12月7日

ブラスバンド生演奏
 午後には、中途失明者のための施設「静岡光の家」のクリスマス親睦会が行われた。英和学院大学のブラスバンドの皆さん22名がおいでくださり、迫力あるすばらしい演奏を聴かせてくださった。最初にそれぞれの楽器の紹介をしてくださり、色々な音があるものだと教えていただき、それがハーモニーとなると、こんなに楽しく美しいものかと感動する。様々な障害をお持ちの皆さんも、きっと励まされたことと思うし、お伝えしたみ言葉が心にとどまってくれればと願わされる。
2008年12月6日

ゴスペルライブ
 ゴスペルのクリスマスライブが行われる。60名位のお客さん(子どもや奉仕者を含めればもっとたくさん)が入って下さり、出演したクワイヤのメンバーは25名位だっただろうか。楽しく賛美し、クリスマスの喜びを皆で分かち合うことができたように思う。観客の中には、高齢者の方もいたが、とても楽しかったと喜んでくださり、それもまた感謝だった。また、私もゴスペルをやってみたいという声もいくつか聴き、それも嬉しかった。
2008年12月5日

最後のメサイヤ
 妻が、静岡クリスチャンコワイヤ最後の演奏会となるメサイヤに行ってきた。とても良かったと感動して帰ってきた。私は、これまで数回行ったことがあり、明日のゴスペルライブに備えて、十数名のメンバーが教会で最後の練習をしたり会場作りをするために残ったため、行くことができず残念だった。これでしばらくメサイヤが聞けなくなってしまうと思うと残念だが、何とかまた復活してくれればと思う。この町でも主への賛美を途絶えず何とか続けたい。
2008年12月4日

ショートメッセージは難しい…
 土・日とクリスマス集会の先陣を切って、ゴスペルライブ、また光の家のクリスマス親睦会が行われる。そのためのメッセージを準備する。両方とも10分程度の短い時間で話さなければならないが、短いというのは大変なことで、初めての方も多いと予想されるので、ひとつのお話を準備するにも1時間ではとてもできず、いつも数倍の時間がかかってしまう。ひとつは何とか準備したが、もうひとつはなかなかまとまらない。主の助けを祈るばかりだ…。
2008年12月3日

求めに応じて
 先日の日曜日、列王記4章からメッセージを取り次ぐ中で、神は人の求めに応じて答えられる方だということを教えられる。何も求めなければそのままだということを思う時に、特に今週はもっと祈ろうという思いに、自分自身導かれる。今日の祈祷会でも、短い時間ではあったが、そういう思いで祈らされる。祈りを聴いて下さる神を知っているということは、何とすばらしいことか。
2008年12月2日

わかりにくい言葉
 訪問等の合間を縫って、来週の出張に備えて準備等する。ヨハネの福音書の準備をしていて、子どもたちに「新しく生まれる」とか、「いのちの水」など、どう話せばよいのかとふと考えさせられる。聖書には、そういう含蓄のある言葉が多く、当たり前のように使っているが、教会においでになって間もない方などにとってはよくわからないだろうなと改めて思う。そういう意味で、子どもに話す準備をすることはとても有益だとも思わされる。
2008年12月1日

主が共においで下さるようにと
 先日、ご主人を天に送られた方のお宅を妻と訪問する。ご家族も、それぞれの仕事に戻っていき、どんな生活のご様子か気になったが、体調を多少崩してはおられたものの、事後にすべきことを見いだしてなさっていたようなので少し安心する。何もする気にならず呆然としていらっしゃるようだと心配だが(そうなっても当然ではあるが)、少しずつ前向きに進もうとしていらっしゃる姿に励まされた。主が共においでくださり、支えてくださることを祈ってくる。
2008年11月30日

クリスマスに備えて
 礼拝後、一週間早めて役員会を行う。クリスマスの諸行事について、細かな準備を確認する。一年で一番多くの方がおいでくださる時だが、体調不良や様々な理由もあって、ご奉仕をお願いできない方もあるものの、何とか役割分担もむ。最も多くの方々が教会においでくださる時なので、豊かに福音が伝えられ、また神に近づけられる方が起こされるように、一層の祈りをもって備えていきたい。
2008年11月29日

まず神の声を聴け
 過日天に召された兄が、「まず神の声を聴け」と導かれたことを繰り返し証しなさっていたが、この頃朝起き、聖書を開こうとすると、その言葉を思い起こす。そうだ、まず聖書を通し神の声に聴き、神のみ旨を求めつつ歩んでいくことの貴さを思う。今日もそのような一日のスタートをすることができ、感謝だ。
2008年11月28日

あと一週間
 ゴスペルライブが1週間後に迫り、数名のお休みはいたものの、メンバーがほぼそろって練習をする。実際に通して歌ってみると、自分の課題などが分かってくるのではないかと思う。ハーモニーとしてはもう少しだなと思う部分はあるが、それでもほとんど初心者の集まりの中でがんばってここまでやってきたという感じはある。主を賛美するすばらしさを伝えることができればと思う。
2008年11月27日

我らの国籍天に有り
 若い時から信仰に立ち、何よりもみことばに指針を求めて生きた人の生涯はこれほど実り多きものになるのかと、改めて実感させられる。同時に、主にある者の生涯は、「地上では旅人であり、寄留者」であって、「わたしたちの国籍は天にある」ということを、みことばが繰り返し書いていることの重みを思う。彼の信仰の遺産を受け継ぐ人が更に起こされるように祈りたい。
2008年11月26日

みことばに生きる幸い
 牧師になって18年目になるが、二人続けて召されたのは初めてで、連続の葬儀となる。今日は、信徒リーダーの一人として、長年教会に献身的に奉仕してくださった方の葬儀で、主にある感謝の思いで一杯だった。自宅出棺の時、ご家族は寂しさの中にも涙をこらえているのに、一人涙をこぼしてしまった。前夜式の司式は、天での再会の希望を胸に何とかこらえ、その方の生涯を振り返りつつ、みことばに導かれて生きる幸いを思わされる。
2008年11月25日

親族のいない葬儀
 親族の方が誰も出席しない葬儀を初めて行う。本当は親族がいないのではなく、一人息子がいるのだが、連絡がつかなかった。それでも、教会員の方が20名程、そして入所していた老人ホームの施設長始め職員の方々4名が出席してくださり、姉の地上でのお別れの時を持つ。気丈に振る舞っていた方だったが、内心は寂しい思いがあっただろうと思い、もっともっとお交わりをさせていただければ良かったと思う。でも、主がその信仰を嘉し、真の慰めを与えてくださっていると信じ、主の御手にお委ねする。
2008年11月24日

滑り込みセーフ
 41回目(41年目)のその枝教会バザーが行われた。天候が心配されたが、開店当初から支えられ、片付けをしテントを撤収し終えたちょうどその頃、雨がポツポツ降り出した。滑り込みセーフだった。連休だった上、寒く、雨も降り出しそうということもあり、例年よりやや来客は少なかったのではないかと思うが、それでも食券は1時間程でほとんど完売した。腹話術の方々やゴスペルの方々も花を添えてくださった。地域に開かれた教会としてこれからも歩んでいこうと思いを新たにする。
2008年11月23日

バザーの準備
 礼拝後、教会員の多くの方々が残ってくださり、バザーの準備をする。テント3張やテーブル等の運搬も男性の方々が多くいたので、比較的短時間ですることができた。中では姉妹たちが値付け等をしてくださり、昨年よりは早いペースで準備ができた。明日の天候が心配だが、地域の方々に一層教会に親しんでいただく機会となればと思う。主に委ねつつ備えていきたい。
2008年11月22日

目が覚めたら
 深夜、教会員が召されたと伺い、お宅をお訪ねする。夜、眠っている間に召されたそうで、まだお体は温かかった。枕辺で、奥様と二人で、讃美歌の愛唱歌を歌い、みことばと祈りをもって主にお委ねする。本当に教会に尽くしてくださった方の召天、しかも相次ぐ召天だけに寂しさはぬぐえないが、奥様と二人で目が覚めたら天国という恵みを語り合うことができ、大きな慰めを得る。
2008年11月21日

主の御手にある命
 清水の病院に入院していた信徒の方が、昨晩急変し、今朝召されたと連絡を受ける。早速お訪ねするが、このところずっと良くなりつつあり、12月には退院する予定でいらっしゃったとか…。人の命は主の御手にあることを思うと共に、あっという間ではあったものの、主が安らかにみ下へと召してくださったことを思い、葬儀に備えていきたいと思う。
2008年11月20日

新しいPAが届く
 新しいPA(スピーカーやアンプの拡声装置のこと)が届く。バザーの時など、野外で音を出すことができるように、またゴスペルコンサートの時などに用いるために、予算を取っておいてもらったものだ。素人なので詳しいことはよくわからないが、持ち運べるようにと、比較的コンパクトなもので、それほど高級品という訳ではないが、雑音も少なくて良かったのではないかと思う。これらが有効に用いられるようにしていきたい。
2008年11月19日

自分は痛い方
 左腰回りに赤い帯を締めたような状況になってきた。帯状疱疹は「痛がゆい」と表現する人と、「痛い」と表現する人があるが、自分は後者だ。立っていたり、ずっと同じ姿勢をしていると痛みがある。そんなこともあり、今日は教会に留まり、休み休みできる範囲のことをする。幸い発熱等はなく、夜も眠れないというほどの痛みではなく、日常生活にそれほど影響なくすんではいる。主の守りに感謝する。
2008年11月18日

カメラ目線の緊張
 CGNTVというキリスト教の衛星放送の番組収録がある。10分のメッセージを二つということだったが、「カメラ目線で」と言われ、カメラに向かって話す。撮影現場にいたのはカメラマンとディレクターと二人だけだったが、なぜか通常よりもかなり緊張し、あと残り時間何分という札も見る度にあせってしまった。テレビにいつも出ているアナウンサーなども、なかなか大変だなと改めて思う。
2008年11月17日

行き先の分かる恵み
 4〜5日前から、左腰の痛みがあり、それが左胸、左足と広がっていくので何だろうか、もしや帯状疱疹ではと思っていたところ、赤い発疹が現れた。病院に行くと、やはり「間違いなく帯状疱疹でしょう」と言われた。年齢的には少し早いようで、このところ少し無理をして、それが体の抵抗力を落とす原因だったのかと思う。でも、原因が分からないと何だろうかと気になるものだが、はっきり病名がついてなぜかホッとする。また、天国という究極的なはっきりとした行き先も与えられていることも感謝だと改めて思う。
2008年11月16日

主のみつばざに守られ
 午後は、バザーの準備をしてくださる十数名の方と、病者訪問に行ってくださる方と分かれて行動する。自分は、病者訪問に出かけたが、言葉もでない中にある兄姉が訪問を喜んでくださり、私たちは介護される側もする側もどんなにご苦労があるだろうかを思いながら、共に賛美を歌い、主の助けと支えを祈る。主の与えて下さる平安、主のみつばざがそれぞれの家庭を覆っているようにも感じた。
2008年11月15日

心の変革こそ
 このところ、2兆円の交付金のことが話題になっているが、世論調査でも反対の方が多く、内閣支持率も低下してきた。実際は選挙対策だった感も否めないが、反応はむしろ反対で、首相の総選挙の4月以後への引き延ばし発言もあり、政界再編成へ向かって進みそうな感じだ。パウロは、貧に処する道も心得ていると記しているが、一時的で終わる経済対策で一喜一憂するばかりでなく、そのように心を変革されることこそ、一番大切ではないかと思う。
2008年11月14日

陰の奉仕に感謝
 ゴスペルの様々な準備のために、スタッフの皆さんがそれぞれの仕事が終えてから教会に集まって、10時過ぎまでいろいろ奉仕をしてくださった。これから、クリスマスに向けてクワイヤの出演の機会も多く、それらのために準備をしていくことは大変ではないかと思う。このように自覚を持ってどんどんとご奉仕くださる方々がいることは本当に感謝だ。ゴスペルを通して、神の愛を深く知る方が起こされるように祈るばかりだ。
2008年11月13日

灯油を買いに行くものの…
 このところの寒さ続きで、今日ようやく灯油を買いに行くことができたが(教会と牧師館と合わせると、かなりの本数になる)、灯油を運んでいたら汗ばむほどの陽気となった。複雑な思いに…。でも、昨日はみごとな虹、今朝は雪を頂いた美しい富士、また今晩はみごとな満月。自然界の美しさに、神の恵みの大きさを思う。
2008年11月12日

クリスチャン新聞で
 クリスチャン新聞11月9日号(週一回発行の新聞)で、当教会のことを大きく取り上げていただくことができた。決して何か著しい働きをしているとか、そういうことではまったくなく、主の憐れみ以外の何ものでもないが、紹介していただくことができたことは、大きな励みとなった。これからも地域に仕える教会として歩んでいこうという思いを新たにさせられる。
2008年11月11日

寒かった…
 今日も、午前と午後と分けて、聖書の学びの時を持ったり、病者・高齢者をお訪ねしたり、また礼拝に出席できなかった方にテープをお届けしたりする。バイクの方が駐車に困らないので、スーツの上にジャンパーを着込み、手袋をしてでかけるが、それでも今日は寒かった。静岡の最高気温も15度に届かなかったようだ。ガソリンは安くなってきたが、灯油も安くなってくれるといいが…。
2008年11月10日

バザーのために
 バザーまであと二週間となるが、今日もご近所の方で品物を持ってきてくださった方、また電話で日時を確かめてくださった方があった。(例年23日だが、今年は日曜日と重なるため24日となる。)まだ、特別何も知らせていないのに、このように待っていてくださる方が近所にいらっしゃることを思うと嬉しく思う。この頃は学校でも大規模にバザーが行われ、横内小でも9日にあったばかりだ。教会のバザーはこじんまりとしているが、それでも地域に開かれた教会でありたいと思う。
2008年11月9日

訪問の喜び
 礼拝後、婦人会が行われている間に、父にも同行してもらい、また息子を連れて、病者の訪問に行く。子どもが一緒だと、高齢者のご家庭にはとても喜んでいただける。それ以上に、自分も親子三代そろって、病者を訪問することの喜びが大きかった。一緒に讃美歌を歌っている時、このような者をも用いて下さり、このような時を与えて下さった神の恵みと憐れみを思い、心から感謝する。
2008年11月8日

大丈夫?!
 ゴスペルのリハーサル(定期練習のこと)が行われた。コンサートの一ヶ月前ということもあって、急いで全体を通してやってみた。まだ、大丈夫かなーと思うところはあるが、きっと何とかなるだろうと、そう思うことにする。今日も多くの見学者があり、3名の方が早くも加わって下さった。小学生のメンバーも全部で7人に増え、その様子を見ていた娘も「入りたい!」と言いだす。
2008年11月7日

英和の修養会
 英和で修養会があった。これは年に一度、各界で活躍されるクリスチャンの方を講師に招きお話しを伺いつつ、クラスにひとりずつ牧師が行き、生徒の様々な質問に答えたり、聖書のことをお話しさせていただく、教会にとっては本当にすばらしい時だ。講師でおいでになられたのは、アジア学院というアジアの農業指導者を育成している学校の元校長先生だった。この先生も、中高時代は、キリスト教主義の学校でむしろ反発していたが、「小科学者は神なしと言い、大科学者は神ありと言う」と言われた国語教師のことばがずっと心に留まっていたと言う。後にクリスチャンとなられ、今はこの働きに本当に生き甲斐を感じているということだった。すばらしい時に感謝!
2008年11月6日

ライフラインの働き
 福音テレビ放送を支える「ライフラインだより」を作成し、発送を担当してくださる教会の先生にお送りする。経済状況の先行きが不安定と言われ、福音放送を続けるためにも、経済的に支えられるか不安がないわけではなかったが、個人サポーターの方々からの献金は増えているようで、支えてくださる方々の祈りと忠実さに心から感謝する。試練の時、今まで目を向けなかったことに目を向けてくださるということはよくあることだ。時が良くても悪くても、福音を伝え続けることの貴さを思う。
2008年11月5日

オバマ氏選出
 アメリカ大統領選挙は、以外とあっさりオバマ氏に決まったようだが、マスコミで紹介される人物像も好感が持てそうだし、何よりも問題山積のアメリカ社会にあって、変革を求める声が大きかったからだと思う。また、黒人大統領が選ばれる辺り、ふところの深さを感じる。また、どういうブレインが彼と共に政治を動かすかによるところも大きいので、今後アメリカの教会での評価はどうなるのか気になるところだ。日本では、その辺りの情報はなかなか聞こえてこないからだ。
2008年11月4日

新会堂の喜び
 市内の牧師会があり出かける。この春、新しく会堂を献堂された教会の牧師が、建築の過程における幾多の困難を神がどのように乗り越えさせてくださったかをお話しくださった。木をふんだんに用いた会堂だが、最新の建築物として新建築という雑誌の表紙にも紹介されたそうだ。また、新会堂に対する牧師の思いを聞いて、どれだけ祈ってこられたか、また本当にこの会堂を愛し、誇りに思っている姿が伝わってきた。
2008年11月3日

公園に出かける
 妻が教区婦人大会で出かけたため、子どもたちと午前は近くの公園へ、午後は清水区の公園に遊びに行く。下の子が砂場で遊びたいと言いだし、お砂場セットを持ってでかけ、子どもと一緒に砂だらけになってでっかいトンネルを作る。また、ロープでできた塔の一番高いところまで登っていく姿を見、調子に乗って落ちないか心配しつつも、成長を感じる。いつまで一緒に遊んでもらえるか分からないが、今の時を感謝しつつ、この時を大切にしたいとつくづく思う。
2008年11月2日

しっかりと立つ恵み
 礼拝では、しばらく礼拝においでになれなかった方が2人、初めての方が1人いらっしゃり、本当に感謝だった。特に、初めての方は祈っていた方でもあったので、とても嬉しく思う。現代社会は、信仰が不安定になってしまう要素がたくさんあるように思う。でも、しっかりとした信仰に立つとき(それは人間的な信心深さによるのではなく、主の恵みによることは言うまでもないが)、その足取りがしっかりとされるということを、多くの人々の姿を通して思う。願わくは、ひとりひとりにそのような信仰が与えられるように祈る務めを思う。
2008年11月1日

せめてラジオ体操
 先日、図書館に行った時に借りてあった「内蔵脂肪を減らす本」をぱらぱらとめくって見る。中性脂肪とコレステロールの違いとか、いろいろ勉強になった。とにかく減らすためには、炭水化物の取りすぎに注意するようにということと、有酸素運動をと書かれていた。近場は歩いたり、自転車に乗ったりするように心がけてはいるが、時間が足りずに運動不足になりがち。せめてラジオ体操だけでもと、朝始めたところ、なぜか子どもたちに笑われてしまった。