2001年11月8日

刑務所の塀は高い?
 刑務所のクリスマスに、ある方を招いて証し(体験談)を話してもらおうとしたが、断られてしまったそうだ。いろいろ制約があるようだ。ただ、同時に思うことは、自分達がいくら説教をするよりも、同じような体験をした人が今日社会でいかによい働きをするように変えられてきたのかを直接話していただいた方がずっと効果があるのではないかと思う。やはりそういう意味でも刑務所の塀は高かったのかと感じた。(これ以上具体的に書くと、関係の方に迷惑がかかるといけないのでやめておくことにする。)
2001年10月31日

久しぶりの授業参観
 英和で聖書を教えるようになって3年になるが、今まで授業参観に当たったことは一度もなかった。しかし、今回はとうとう当たってしまった。かつて教師をしていた頃は何度も経験していたが、久しぶりだったこともあって、緊張した。また、各クラス週に一度の授業なので、生徒の様子がなかなかよく把握できていない。教師は生徒の反応を予想しながら授業の準備をするが、今回は全く予想がはずれてしまって大変だった。教会で説教するのとは勝手が違い、冷や汗ものの一時間だった。聖書を授業で扱うことの難しさを改めて感じた。
2001年10月28日

雨の中のチャペルコンサート
 チャペルコンサートが開かれた。朝からまとまった雨の降るあいにくの天候だったが、それにもかかわらず、百名近い方が集ってくださった。ゲストのテノールとソプラノの歌手の方は、それぞれ地元の方だが、どてもすばらしい歌声で、有名な曲や讃美歌などをたくさん聞かせてくださった。また信仰の体験談も話してくださった。始めて教会においでくださった方も多かったようだが、お二人を背後で支えている神様に思いを至らせていただけたのではないかと思う。音楽会では、直接聖書の話をする訳ではないが、こういう地域との接点のある行事を積み重ねていくことも教会の使命のひとつだと思うし、そういう中からまた信仰の道に導かれる方も起こされることを願ってやまない。
2001年10月25日

悲しい死別の向こうに
 数年前まで教会学校に子どもさんを送り出してくださっていたお母さんが、若くして亡くなった。とても素敵な若々しいお母さんで、皆に好かれる愛らしい性格でいらしたようだ。惜しむ声があちこちから聞かれた。お子さん二人(かつて教会学校に来ていた)はまだ高校生だ。多感な年代の彼らのこれからを思うと、とてもとても気になる。でも、このお母さんは、召される前にイエス様のことを聞き、病床で洗礼を受けられたそうだ。弟さんがクリスチャンでいらっしゃり、祈っておられたことも大きかったと思う。死別というのは、特に若くしての死別というのは、本当に辛く悲しい。でも、神はそれをご存じで、限りある存在の私たちに、永遠の世界、天国の希望を与えてくださっているのではないかと思う。天国で、大きな喜びのうちに再会する。これこそ、私たちの希望だ。
2001年10月20日

新聞折り込み広告
 私たちの教会では、年に4〜5回情報紙を作り、新聞折り込みをしている。間もなく音楽会があるということで、そのお知らせの意味もあって、折り込み広告を作った。以前は全部手書きで作ったので(一般の企業のようにお金がたくさんある訳ではないので、いかに倹約して作るかがポイント)、かなり時間もかかったが、今はパブリッシャーというソフトを使い、相当に時間を短縮できるようになった。白い紙に黒いインク(リソグラフという印刷機)で刷るだけの簡単なものだが、カラー広告の中でそれがかえって目立ったりもして、見ていてくださる方も多いようだ。今回は、テロの報復のようなことを、聖書はどう教えているのかという文章を書いた。入れる部数も多くて一万部程度なので、そう多くはないのだが、「見ましたよ」という反応を、毎回どなたかからいただけることは励みになる。ちなみに、私たちが利用しているところでは、一枚3円の折り込み料がかかる。印刷には紙代も入れて、一枚一円もかからないだろう。とにかくいろいろやって、教会の存在を知っていただくことだと思っている。
2001年10月18日

教会員の家族の方から、メールが来た!
 私たちの教会の教会員の中で、パソコンをされる方はどのくらいいるだろうか。今は若い方がたくさんいるという状況ではないので、それほど多くないだろうと思う。最近は、自治体ごとに行なっているパソコン教室に行って勉強している比較的年齢の多い方もいて、見てもらえる機会が増えつつあるように思う。しかし、教会の中心的存在である婦人の中で、パソコンをされる方は少ないと思う。そんな訳もあって、このサイトを見てくださる教会員はそう多くはない。ただ、嬉しいことに、教会員の関係の家族の方がよく見てくださるようだ。この前も、そういう方の中から、「ホームページ見ました」と、わざわざメールを下さった方がいて、とっても嬉しく思った。そういう人たちにも届く内容にしていかなければと思った。
2001年10月15日

新しい祈り方を実践
 子どもが与えられてからというもの、家に帰ってからも子どものお守りをしたり、家事をしたりと時間が足りないと言う感じがしてならない。特に、主の前にじっくり静まってということが、家庭にあっては難しいのだ。それが、自分自身のストレスにすらなってしまう。今日も休日なのに、朝から家事と、子どものお守り。特に、眠くなると抱いてくれと泣きだし、抱っこして寝たかと思って布団に寝かすと、すぐに目をさましてしまう。だから、30分以上は抱いていないといけない。家内がいつもその役をしているので、彼女を少しでも助けなければと思い、抱くのはいいが、最近めっきり重くなり、その時間何もできないので、後悔の念が湧いてくる。しかし、今日、抱きながら祈ればいいんだということを思いついた。我が子は抱いて5分もすれば、目を閉じておとなしくなるので、それから後は我が子を抱きながら、じっくり主と交わることができた。何もしていないと、5分でも長く感じ、早く降ろしたい気持ちになるが、今日はなぜか時間が経つのをとても早く感じた。前はウォーキングをしながらも、よく祈ったものだが、最近はそれもできないので、これからはしばらくこの方法がいいかもしれないと思ったりもしている。
2001年10月11日

小学校教師時代の教え子から手紙が来た!
 今からもう十何年か前の話だが、静岡県伊東市で小学校の教師をしていたことがある。今日その教え子の一人から手紙をもらった。彼女ももう25歳位になるのだろうか。一児の母だと書いてあった。私の頭の中にあるのは、彼女の小6の時の姿。それが今だに頭に残っている。自分は最近父親になったばかりなので、彼女の方が親としては先輩ということになる。何か複雑な気持ちがした。しかし、思い出して手紙をくれたということがとても嬉しかった。それぞれが、与えられた場で精一杯がんばり、幸せに暮らしていってほしいと、心から願いつつ祈らされた。
2001年10月5日

讃美歌コンクールの練習始まる!
 日頃聖書を教えに行っているミッションスクールで、今年も讃美歌コンクールがこの月末に開かれる。中学生全員が、クラスごとに曲を選び、一ヶ月間練習を重ね、これに臨む。私は音楽の専門ではないが、讃美歌コンクールなので、聖書の時間もこのための合唱練習に当てられ、それを指導しなければならない。ピアノがほとんど弾けないので、生徒たちに任せながら四苦八苦だが、楽しい練習のひとときだ。歌詞が文語訳で難しいので、こういう意味があるということを指導しながらやっているが、こういう機会を通し、生ける神を見上げ、賛美するすばらしさを体験してもらえたらと思う。
2001年10月1日

「恵みの歩み」を読んだ
 「恵みの歩み」という本を読んだ。新鮮な発見と感動があった。信仰生活は、とかく恵みで始まっても、律法に走りやすい。知らず知らずのうちにそうなってしまっていることも多々ある。もう一度、恵みによって信仰生活をするとはどういうことかを教えられた。やはり、主イエスをいつも見上げ、主イエスを求め、主イエスを愛する。これにつきると思った。忙しさの中に自分を置いていると、いつしかそういう大切なことがおろそかになりやすい。もう一度、原点に立ち返ろうと思う。この本は続編もあるようなので、ぜひ読んでみたい。
2001年9月29日

不登校生徒への対応についての講演会
 最近、不登校という言葉をよく耳にする。私が行っているミッションスクールでも、何人かのそれに該当する生徒がいるようだ。全国では、小中だけで13万4千人とか・・・。この不登校の生徒たちにどう対応するか、教会で果たせる役割はないのかということを学ぶために、東京まで講演を聴きに行った。家族カウンセリングの権威でいらっしゃる東大教授の講演だったが、とても有意義だった。この問題を、本人とか、母親とか、誰かの責任にするのでなく、それを矯正しようとするのでもなく、家族の自然な対応能力を回復させるという取り組みをなさっていた。いつしか、教会でもこの問題のためにお役に立つことはできないだろうかと考えさせられた。主のみこころを求めつつ、今後も関心を持っていきたい。
2001年9月25日

チャペルコンサートのために・・・
 私たちの教会では、毎年秋にチャペルコンサートをしている。今回は地元の声楽家2名とピアノ伴奏兼演奏家1名の合計3名に来ていただくことができ、とても感謝している。なお、すばらしいことは、その方々が毎週このコンサートのためにわざわざ教会まで来て、練習してくださるとのことだ。今日も二回目の練習があった。練習なので、あまり邪魔をしては失礼かと思い、覗かないようにしていたが、牧師室まですばらしい歌声が聞こえてきた。きっとすばらしいコンサートになるに違いない。演奏してくださる皆さん、そして彼らを遣わしてくださる主に心から感謝した。
2001年9月17日

映画「親分はイエス様」を見た!
 教会員の何人かと共に、映画「親分はイエス様」を清水の映画館に見に行った。映画化されたということで、原作とは違っている部分も多く、クリスチャンの私たちから言えば、主イエスの愛以上に人間愛的なものが強調されていたようにも思ったが、これから教会に足を向けてくださるという人のためにはよかったのではないかと思う。最初の場面は、暴力団の過激な様子が映し出され、どうなることかとハラハラしたが、そういう中から何人もの方が救われたと思うと、神のみ業はすごいとしか言いようがない。こういう方々が、今各方面で活躍していることを思うと、そのために心から祈りたいと思う。
2001年9月16日

ワックス塗りをした
 教会の床を土足化して9ヶ月経ったが、今日は礼拝後、有志の皆でワックスがけをした。教会も、たくさんの椅子や講壇、机、楽器などがあり、また床の面積も結構広いので、なかなかたいへんな作業だったが、たくさんの人が協力してくれたため1時間程で終えることが出来た。きれいになった床を見ると、みんなでやっただけに、何だか嬉しくなった。今はお金さえ出せば、掃除でも何でもしてもらえる時代なのかもしれない。忙しい現代人には、それも必要な部分もあるだろう。しかし、いつも使っている教会の床を、感謝の思いをもって、また皆で楽しく汗を流しつつ掃除をすることは、とてもいいことだと思った。
2001年9月13日

アメリカの同時多発テロ事件について
 恐ろしい事件が起こってしまった。言葉には簡単には言い表せない、人間の罪に対する恐ろしさを感じた。ブッシュ大統領が必ず報復すると言う姿を見て、また演説の最後に「May God bless America.」と結ぶ姿を見て、割り切れない思いを抱いたのは私だけではないと思う。確かに、テロの犯罪者は捕らえられ、裁判にかけられるべきだと思うし、犠牲になった方々の事を思うと、怒りと復讐心が湧いてくるのも当然と思う。しかし、聖書のみ言葉は、報復をすることを良しとはしていない。あるテレビのコメンテーターが、「これはイスラム教とキリスト教との闘いだ」と述べていたそうだ。そういう見方をする人はごくわずかだと思うが、少なくとも聖書はそういうことを容認してはいない。アメリカはキリスト教国だという印象が強く、大統領がそういう神のみ名を持ち出しているような感じもしないでもない。しかし、心ある宗教的指導者は、報復には慎重にあるべきだと声明を出しつつある。報復をしたところで、また報復に対する報復が行なわれることが目に見えているようにも思う。こういう時こそ、クリスチャンたちが、遺族の上に主の慰めと支えがあるように、また願わくは平和的解決がなされるように祈る必要を感じる。
2001年9月4日

福音放送はお金がかかる!
 県内の56教会が協力しあい、キリスト教テレビ番組「ライフライン」を毎週土曜日朝5時から静岡第一テレビで放送している。早朝番組にもかかわらず、毎回かなりの人たちが私はその見ていてくださっているようだ(視聴率上)。会計を担当しているので、どうしてもお金のことが気になる。といっても、私が現金を扱うことはほとんどなく、郵便振替を利用した事務を担当している。一ヶ月の放送をするためには、早朝の番組であるにもかかわらず、月額50万円以上かかる。先月もまた赤字・・・。福音放送にはお金がかかるのだ。これではいつまで放送が続けられるか不安になることもある。しかし、同時に思うことはこれまで何度こういう危機を乗り越えてきたかということだ。神様が必要と思って始めて下さったことなら、神様が必ず続けてくださると思う。そう信じて会計をしていると、パソコンに向かっているようでも、神様のみ業を見ているようにも思う。
2001年9月2日

新しい方を迎えるために・・・
 役員会で、新しい方をどう迎えるかということから始まり、将来の教会像まで話が進んだ。教会と言うところは、とても保守的なところだと思う。時代が変化しているにも関わらず、なかなかやっていることが変わっていかないのだ。よい意味で伝統を守り、受け継いで来たことを大切にするという思いは大切だが、それによって、一般社会とのギャップがいよいよ深くなってしまうようではならないと思う。自分達が今やっていることこそ正しくて、新しく加わる方はこれに会わせてもらって当然といった感覚がどこかにないだろうか。教会の将来は、今までと同じようにはできないだろう。変わらない神の愛と救いを宣べ伝えつつも、集会のあり方やそれに関わる信徒の関わり方は当然変わっていくべきだろうと思う。教会が世の人を迎えやすいようにシフトチェンジをしていく必要を感じ、それをどう具体化していくかが今後の課題だと思う。
2001年9月1日

結婚式があった
 今日は結婚式があった。当教会では、ただ結婚式をするのではなく、よい家庭を築いていただきたいがために、必ず何回かのカウンセリングを受けていただく。一般の人から見ればおせっかいかもしれないが、聖書の示す結婚とは、夫婦のあり方とは等をお話しさせていただき、結婚するお二人がお互いをよく知り合っていただくための宿題も出す。そういう準備期間があって後の結婚式なので、よく知らない人の結婚式をするという感覚ではなく、半ば関係者のような感覚になり、この二人が本当に幸せな家庭を築くことができるようにという切なる祈りをもってさせていただくことになる。今回のお二人も、とてもいいカップルで、お互いのことをよく考えることのできるお二人だった。こういう方々の式をさせていただくということは、牧師の私にとっても光栄のことと思う。きょうも、司式をさせていただきながら感動した。
2001年8月30日

牧師も悲喜こもごも・・・
 今日午後、聖書を個人的に学びたいという人と会う約束があった。これで4度目だろうか。ところが、今回は聖書の学びをせず、それどころか教会を休みたいとの思いを聞かされた。ご自身から進んで学びをしたいとおっしゃられた方だったので、思いもよらない言葉にショックを受けた。いろいろ話を聞きながらも、今はそういう決心が固いということが分かり、どうしようもない寂しさを覚えながら、それを受け入れざるを得なかった。自分が牧師として不十分で弱いからだろうか。いろいろ考えさせられる。疲れがどっと出てしまった。この前、喜びの洗礼式をしたばかりだったのに、牧師の働きも悲喜こもごもだ。とはいっても、「主にあっては、その労苦は無駄になることがない」とのみ言葉に励まされ、また一から出直そうと思い直した一日だった。
2001年8月28日

中高生とボーリング大会!
 今年の夏は何かと忙しく、また中高生のメンバーとなかなか予定も合わなかったので、夏休みも終わりに近づいたこの日、ボーリング大会に出かけた。3ゲームすると割引になるという魅力に惹かれ、3ゲームするぞとみんなで張り切って始めたものの、しばらく使っていなかった筋肉を使い、重い球を投げていると握力がなくなってくる。自分だけ弱さは見せられないと、平然として続けていたが、女の子たちも結構たいへんだったようで、コントロールが効かずガーターになったり、中にはレーンの手前で球を落としてしまったり・・・。久しぶりの3ゲームはしんどかった。それでも帰りにジュースとお菓子をもらうことができ、何か得して帰ったような気がした。
2001年8月26日

洗礼式があった!
 今日は礼拝の中で洗礼式があった。洗礼を受ける人が与えられるということは、教会にとってもっとも喜ばしい時だ。今回洗礼を受けたのは、30代の男性だが、私の同級生ということもあって、式の最中に胸がいっぱいになってしまった。人が主を救い主として信じ、洗礼を受けるということは、神様のみ業でなくしてなんだろうと思う。日本において、クリスチャンとして生きていくことは決して容易ではないと思う。しかし、それに倍する主の祝福があることも確かだ。当教会の教会員はその確かな証人だ。自分も、15歳の時に洗礼を受けた時のことを思い起こし、よくぞここまで主が導いてくださったと、心から感謝した。
2001年8月19日

懐かしい若者が訪ねてくれた。
 夏休みを迎え、学生として都会に行っていた若者が、昨日、そして今日と尋ねてくれた。彼らは、別にクリスチャンという訳ではないが、高校まで教会に来ていた若者たちだ。彼らはバイト等の関係で、1週間しか静岡に帰ってこないとのこと。そんな貴重な休みの合間に、わざわざ教会を訪ねてくれ、本当に嬉しく思った。クリスチャンになる、ならないは神様にお任せするしかない。自分も、彼らをそのように協力に導く力が在るわけではない。そういう意味ではダメ牧師かもしれないが、訪ねてくれる彼らの気持ちが嬉しい。神は既に彼らの心をとらえていてくださるのかもしれないと思う。彼らがいつの日か、神の愛を受け止めてくれる日がくることを心から祈りたい。
2001年8月14日

放蕩息子にまた感動して。
 いよいよキャンプが始まった。東京から講師の先生をお迎えして、中学生向けのメッセージをしていただいた。お話は、放蕩息子。聖書のルカ15章に出てくる有名なお話しだ。聞き慣れた話だけに「放蕩息子か・・」と思って聞いていたが、父なる神の愛が胸に迫り、胸がいっぱいになる。父の元を離れ、自分のやりたい放題やっていた息子の帰りを、一日千秋の思いで待ち続け、息子が帰って来るや、最大限の歓迎をする父。ああ、これが主イエスが教えてくださった父なる神の姿なんだと、そういう愛に自分はいつも包まれているんだと、心から感謝する。
2001年8月11日

救急へ飛んでいく!
 明日は日曜日という緊張状態の中、夜中に娘が手足をプルプルさせて泣き出した。もしかして、けいれん?脳の異常?家内はとても心配そうだ。時間は11時近かったが、思い切って救急を尋ねる。ちょうど副院長の小児科の優しい女医さんがいてくださって、家内の不安をいろいろ聞いてくださった。心配のしすぎですね・・・。ということで、ホッとする。初めての赤ちゃんで、初心者マークの親なので、ちょっとかっこわるかったけど、安心には代え難い。きっと、天の父なる神も、私たちのことをそのように大きな愛情をもって見守っていてくださるに違いないと思い、なんだかとても温かい気持ちになる。
2001年8月10日

牧師の意地?
 牧師の忙しいのは、例年クリスマスの時期とこの夏の時期だ。というのは、夏には子どもたちのための特別なプログラムがあるからだ。私たちの教会でも、教会学校のキャンプ(と言っても、テントに泊まったりするのではなく、施設を利用し、そこで聖書のお話をしたりするプログラムが中心になる)があり、その準備等でもかなり忙しい。今年は、70名弱のキャンプの責任者をしなければならないので、施設との交渉、部屋割りなど、結構時間を取られる。細かいことに気を遣うとストレスも貯まる。またこういう時に限って、生まれたばかりの娘が夜中にぐずったりして、眠れなかったりする。こんなことで自分を見失ってはいけないと、牧師としての意地もあり、何とかやっている。でも、これが長く続いたら、どうなるだろう。耐えられるかなあ・・・。
2001年8月7日

締め切りに追われて・・・
 「成長」という教会学校の教案誌があるが、その執筆を引き受けて何年になるだろうか。あまり締め切りを過ぎたことがないことを自負していたが、今回は、締め切りをもう10日ほど過ぎてしまった。(とはいっても、編集部では締め切り後1ヶ月位はゆとりがあるような感じだが・・・) 締め切りを過ぎると、やはり気持ちがあせってしまう。そうかといって、あせって原稿を仕上げると、間違いは多くなるし、内容も乏しくなってしまいかねない。何とか今日になってようやく目鼻がついてほっとしている。あとは校正をして提出するだけだ。この時の何とも言えない嬉しい気持ち、またこの教案が少しでも諸教会のお役に立てばという祈りと願いの思いで、いつも一杯になる。今回もあともう一歩だ。
2001年8月4日

て、停電だ!
 夕立があり、久しぶりにお湿りと涼しさを運んできてくれると、嬉しく思ったのもつかの間、激しい雷が鳴り始めた。そろそろ夕食をと思ったところ、電気がパッと消えてしまった。アパートのブレーカーの容量が小さいので、また飛んだかなと思ったら、アパート全体が真っ暗。停電だと分った。すぐに戻るだろうと思ったが、なかなかどうして、15分経っても20分たっても、電気がつかない。中部電力に電話したところ、復旧作業に入っているとのことだった。よく見ると、停電はこのあたり十数戸で、隣の家はしっかり電気がついている。うちには新生児がいるのに、エアコンが止まってしまって、蒸し風呂状態になったらどうしようと不安を抱く。いざとなったら、教会に避難するしかないなと思い始めたら、ようやく電気がついた。この間、約40分。明日の説教の箇所は、ヨハネ8章12節以下、「わたしは世の光である」というイエス様のお言葉だ。その前に光のありがたさを実感させられるひとこまだった。
2001年7月31日

教区会に参加
 教区会があった。単立教会である私たちの教会は、本来教団組織が持つ教区などないのだが、特別にお交わりをお許しいただき、教区の交わりに参加させていただいている。教区会では、それぞれの教会の近況報告をするが、そこでいつも恵まれ励まされ、また祈らされる。牧会というのは、いいことばかりではなく、いろいろ試練の続く時もある。私たちの教会も、病気になる方、高齢で礼拝に出席できなくなる方が多く、そういう意味では将来に対する不安がないわけではない。しかし、不思議と新しい方も加わってくださり、神様に励まされているという感じだ。ある先生が、「教会形成とは、教会の出席人数が増え、教会が大きくなっていくことと思っていたが、そればかりではなく、共に苦しみを担っていくという意味での霊的成長もそうなんだということを学びつつある」と話しておられた。その通りと思った。
2001年7月28日

今日も食事の準備をした
 娘が退院してから、ご多分にもれず、とても忙しくなった。家内に代わって炊事洗濯をしたり、
夜は娘の泣き声に何度となく起こされたり・・・。いつも、土曜日は明日の礼拝でのご用を前に、緊張していることが多いが、今日はアパートに戻り炊事をする。これが結構楽しかったりする。そんなことを言っていられるのも最初のうちだけかもしれないが、家族のためにでも、一生懸命働くことは喜びだ。愛する者のために働くことは、力が与えられる。
2001年7月26日

パプアニューギニアの宣教師の話を聞いた
 市内の梅屋町教会で、パプアニューギニアで宣教活動しておられた宣教師の宣教報告を聴いた。パプアニューギニアというのは、すごいところだ。800以上の言語があり、今だに人を殺して食べる習慣もある部族があるようだ。そこに、宣教に行く宣教師もまたすごい。どうしてそんなところに行くのだろうと思わずにはおれないが、聖書のみ言葉に、キリストの愛に押し出されて行くのだろうと思った。でも、話を聞いていると、自分達と同じようなことで信仰の戦いがあり、それを乗り越えていく姿に感動した。問題の前に立ち止まってしまうのか、それを信仰によって乗り越えていくのか、そこが一番の違いだとも思った。
2001年7月23日

受付は親切が一番!
 牧師は月曜日が公休だ。今日は朝から、市役所に出生届を出しに行ったり(出産後ずっと連休だったので)、社会保険庁に書類を提出に行ったり、それから教会の規則変更の登記をしたりと、いろいろ役所を飛び回った。最近はどの役所も親切だなあとつくづく感じる。ふと、教会はどうだろうかと思う。新しく教会を尋ねて来られた方に、どのくらい親切かつ丁寧に接することができているだろうかと、自分自身、あるいはいつも受付をしてくださる姉妹たちのことを思う。マニュアルは作ってあるものの、いつかきちんとお話しする機会を持たないといけないと思った。
また、初めて来てくださった方に、率直に感想を聞く機会があると良いなとも思った。
2001年7月19日

父になった!
 朝早く、家内が陣痛を起こし、病院に直行。即入院となる。いよいよ出産だ。ただ、今日は葬儀の司式の予定があり、途中どうしてもそちらに行かねばならない。もしかしたら、昼過ぎには生まれるかもしれないと言われつつ、陣痛の間隔が短くなっていく家内を一人にするのは、辛かった。後ろ髪を引かれるとは、このことだと思いつつ、主が共にいてくださることを信じつつ祈り、教会に向かう。教会では、心を込めて天国にお送りするための司式をし、斎場で遺体を火葬し、お骨上げを見守った。それから、急いで病院に急行。家内は不安だったのか、私の顔を見ると涙をこぼしていた。それから本格的な陣痛が始まり、顔を真っ赤にし、痛みをこらえつついきむ家内を見守りつつ、主に祈る。午後6時に分娩室に入り、6時半に無事女の子を出産。「ああ、麗しいかな。よきおとずれを伝える者の足は。」という聖書のみ言葉から、よきおとずれ(福音)を伝える麗しい足として成長してくれるよう祈りつつ、名を麗とつけることを以前から決めていた。初めて抱く我が子に、「麗ちゃん、パパだよ。よろしくね。」と話し、主に感謝の祈りをささげる。看護婦さんに「お父さんに似ているね」と言われ、娘だけに複雑な心境になると共に、何となく照れてしまった。
2001年7月15日

礼拝後の分級
 半年ほど前からだろうか、私たちの京k代でも礼拝後の分級を始めた。いつも、礼拝が終わるとそのまま解散してしまうことが多かったが、信徒の中から、信仰的な交わりがしたいという声が上がり、月に一度、礼拝後に分級という形で5人前後の小グループになって、そこでメッセージを通し、恵まれたこと・教えられたこと、分らなかったことを分かち合う時を、20分前後行なうようにしている。信徒の皆さんの反応は好評で、めぐみを分かち合う事で更に自分自身も恵まれるようだ。私はいつも、教会に来られて間もない方(求道者)の方とその時を持っているが、メッセージをどのように聴いてくださっているか知ることができ、とても感謝だ。今回も、求道者の方が、人の言葉を越えて、神様からのメッセージとして聴いてくださっているということを知り、とても励まされた。
2001年7月13日

朝与えられたみ言葉に聴くことの重要性
 毎週金曜日には、朝祷会という超教派の祈りの集会が朝早くから当教会を会場に行われている。市内の教会の先生が順にご用をしてくださり、それもとmても感謝だ。今朝お話ししてくださった先生は、朝ごとのみ言葉でどんなにめぐみをいただき、またそのみ言葉に従おうとしていらっしゃるかを話してくださった。いつも聖書を読んでいても、そこから、自分自身に対する神の語りかけを聞き、それを自分のデイ勝に当てはめ、それに養われていかないと意味がない。改めてそう思わされ、朝のみ言葉に聴く時を大切にしていかなければと思った。
2001年7月10日

成績をつけるのは・・・
 ミッションスクールで、中学3年生に「聖書」を教えさせていただいているが、これも学校の一教科である以上、成績をつけなければならず、いつも悩まされる。以前、教師をしていたので、そういう経験はしているものの、生徒の顔が浮かんでくると迷ってしまうのは私ばかりではないだろう。でも、心を鬼にして(生徒の顔をできるだけ忘れて)成績をつけなければならない。また逆に、これに慣れてしまってはいけないようにも思う。まだしばらく、悩む時間が続きそうだ。
2001年7月8日

合同記念会をした
 今年も、仏式のお盆に負けじと、お盆に先んじて合同記念会を行った。長い間、あえてこの時期に行っているので、召された教会員の家族の方も、それをよく知っていて、出席してくださることは感謝なことだ。家族の中で、一人だけ教会に来ているという場合、その人が亡くなるとそれっきりになってしまうことがあるが、こういう機会を設けることによって、家族にも来ていただき、福音を伝える機会となっているように思う。「祝福は千代に至る」とみ言葉にあるので、それが文字通り信仰継承という形で実っていくように、いろいろ工夫していきたいと思う。
2001年7月6日

法務局へ行った
 法務局に行った。ふだんは余りようのないところだが、教会の名称を変更する登記をするためだ。静岡其枝基督教会という感じばかりの名称では読めないので、静岡その枝キリスト教会に変更するためだ。県庁のようにとても親切という具合にはいかなかったものの、こちらも丁寧に教えてくださった。最近、お役所はとても親切になってきた。(税務署だけはちょっと別のような気もするが・・・)。司法書士のお世話にならずに済みそうだ。
2001年7月5日

記念会用の写真棚を作った
 教会員の方と一緒に、記念会をするための棚を作った。私たちの教会では、毎年この時期にあえて合同記念会をしている。もちろん、イースター等にも墓前祈祷に出かけるが、この仏教で言うお盆の時期に記念会を行うのは、教会でも先祖を大切にしていることに代わりはなく、仏式とは違った意味をもって記念会を行うということを明確にして行うことは、むしろ証しになると考えているからだ。そのため、毎年多くの方(クリスチャンではない家族の方)が教会においでくださる。教会の歴史が長いと、故人も多く、ここ30年で50人近くの葬儀をしている。そうなると写真の量も膨大だ。キャビネサイズの小さな写真をお願いしているが、それでも5段がほぼ一杯になる。3人がかりで、1時間半でようやく完成。良い証しの時となることを祈りつつ。
2001年7月3日

作りつけは見かけはいいが・・・。
 事務室のエアコンが壊れてしまい、新しいのをつけてもらった。会堂ができて14年、見た目はまだまだきれいだが、電化製品ガタがきている。特に、エアコンは、初めから作りつけだったので、今からはかなり大がかりな工事をしないと、修理もできず、撤去すらできない有様。初めは見た目はよかったものの、メンテナンスを考えると、作りつけはあまりいいとは言えない。今回は仕方がないので、新しいものを買い、取り付けてもらったが、その方がずっと安くできた。
2001年7月2日

ピザとソフトを食べたぞっ
 ここのところ、月曜日もずっと忙しかったが、きょうは久しぶりの休日となる。そこで、家内とピザを食べにいく。鷹匠町にあるAN−ANというお店は、安い上においしいっ。看板も出していないので、知る人ぞ知る店だけど、かなり有名だとは思う。それから、帰りにミニストップのソフトクリームを食べてしまった。肥るといけないと思い、甘いものは控えているのだけれど、昨日は久しぶりに食べたらおいしかった。家内も満足そうだった。牧師夫婦のちょっとしたぜいたくだ。
2001年7月1日

放送伝道の継続を祈る!
 太平洋放送協会という団体の50周年記念感謝会があり、午後出かけた。この団体は、ラジオ番組から始まり、今はライフラインというテレビ番組(静岡第一テレビにて、毎週土曜日朝5時〜5時半放送)を制作している団体だ。100名近い牧師や信徒が集り、盛大に行われた。テレビ放送というのはとてもお金のかかることだが、番組を見ていてくださる人がたくさんいることが(早朝にもかかわらず)いることが視聴率からもわかっている。自分も事務局の一人として奉仕させていただきながら、放送が何とか続けていけるように労していきたいという思いを新たにさせられるひとときだった。
2001年6月27日

御霊によって歩もう!
 今晩の祈祷会で、ガラテヤ5章16節〜26節までを説教した。説教の準備をしながら、「御霊によって歩む」ということが、クリスチャン生活にとってどれほど重要なことかを再認識させられた。クリスチャンとなりながらも、喜びと感謝よりは、肉や自分の弱さの問題で悩んでいる人がどのくらいいるだろうか。御霊によって歩むと言うことを、わかりやすく、実践的に繰り返し伝えていく必要を感じた。私自身も、いつも、聖霊を心の真ん中にお迎えし、日々を歩むものでありたいと改めて思わされた。
2001年6月26日

召されて後、希望が持てるのは・・・
 東京の霊南坂教会に、葬儀のために出かけた。当教会の出身者のご主人が召されたためだ。社会的に地位のある方だったので、大きな葬儀だった。ご主人はまだ明確な信仰告白には至っていなかったそうだが、備えていた遺言、また奥様の祈りに感謝の言葉を述べられたことが最後の言葉だったことなどから、主に近くおられたことと思う。最後まではっきりとした信仰告白を聞けない場合もあるが、あの十字架上の強盗さえ、パラダイスに行くことを約束された主は、どんな信仰の小さなひとふれであっても見逃さないお方なので、それによって希望を持つことができる。召されて後、なお希望を持てるのは、クリスチャンのすばらしい特色だと思う。
2001年6月24日

せっかく盲人にしていただいたのだから
 視覚障害者のクリスチャンの方々の集いである「盲信徒会」が当教会で行われた。メッセージの後の自由歓談の中で、一人のご高齢の女性の方が「せっかく盲人にしていただいたのだから」と、「せっかく障害をいただいたのだから、この障害を通して主を証ししたい」。「恵みはそれを補ってあまりある」と話しておられた。その言葉に、とても感動した。このように障害さえも主よりの恵みとして受け止めることができるということは、何とすばらしいことだろうと思う。そのような信仰の良き模範にならうお互いでありたいと、心からそう思った。
2001年6月22日

備えられた魂 part2
 午後、一人の教会員が親戚の方を連れて来られた。教会にはほとんどいらしたことのない男性の方だった。お話を伺うと、主の前に重荷をおろしたいとのこと。お話を伺ってから、マタイによる福音書11章28節「すべて重荷を負うて苦労しているものは、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」という主イエス・キリストの言葉を開くと、涙を流しておられた。洗礼も受けるような気持ちを持ってきたということだったが、洗礼についてはもう少し学んでからにしましょうと話したが、そのような思いをもって教会を尋ねてくださる方がいたのは、本当に驚きであると共に、喜びだった。主に備えられた魂が本当にいらっしゃるのだとつくづく感じた。
2001年6月20日

音声入力ソフトを買った!
 音声入力ソフト(IBMのVia Voice)を買った。以前から図書館でその本を見かけ試してみたいと思っていたが、今回、個人伝道の資料作りのために入力したい文章があったので、買ってみたところ、これがなかなかよかった。手で打つよりはかなりはやく(私も一応ブラインドタッチはできるので、まあ普通の早さでキーボードを打てるが)、識字能力もなかなかのものだった。
もちろん、後で修正をしなければならないことは言うまでもないが、ヘッドセットマイクもついて、¥7100は安い!と思った。話し言葉と書き言葉とは違うので、全文原稿を作る時なども役立つかもしれないとも思った。
2001年6月18日

夏のキャンプの下見に行った!
 かねてから予定していた夏のキャンプのための下見に出かけた。浜松の滝沢チャペルというところだ。宿泊人数が60人位の施設だが、きれいな川とちょっとしたペンション風の作りで、自然の中で、ゆっくりと主を思うことができそうだ。子どもたちにもきっと気に入ってもらえると思う。今回は、道順や(細い山道を通るので、なかなか難しい)施設の部屋割り他、様々な施設の細かな点をチェック。キャンプのリーダーをするということは、なかなか事前の準備が大変だ。でも、綿密にそれを行って初めて、集ったキャンパーがみ言葉にじっくりと集中できるようになるのだから、それをもちゃんとしなければならないと思った。一応のことは尋ねたものの、間際になるとまたいろいろと出てくるものだ。あと2ヶ月を切っているので、一層祈りつつ備えていきたい。
2001年6月17日

歓迎昼食会をしました!
 5月末の特別集会においでくださった方や、その時来られなかった方を再度お招きして、歓迎昼食会(ランチョン)を開いた。午前の礼拝だけ出席されてお帰りになる求道者の方も多く、出席してくださった求道者は10名だったが、なごやかな雰囲気の中で行うことができた。数年前から、テーブルごと6〜7人で自由歓談の時を持つ方法で行っているが、まだ教会に来られ間もない方もいろいろ話していただいたようで感謝だった。特別のプログラムをするのでなく、教会の普段着の様子を知っていただく意味で行っているが、慎み深い性格の方には、いきなり食事会というのも難しいかもしれないとも思った。しかし、聖書を見ると、イエス様は会食の機会を多く持たれ、そういう時に大切な霊的真理を話しておられる姿を見る。わたしたち迎える側がそうなれるように、育っていかなければならないと思った。
2001年6月15日

教会規則の改正手続きをする
 教会の規則の改正の手続きのために県庁に行った。規則の改正手続きというのは、資料をいくつも作らなくてはいけないので、なかなか面倒だと思っていたが、担当の職員の方がとても親切で、以前電話で問い合わせたところ、資料作成のための書式見本等を送ってくれたので、比較的簡単に書類を作成、申請することができた。ひとつの規則を改定するだけでも、手間がかかるが、社会的に責任のある法人なので、それも仕方がないことと思う。教会も、こういった事務的なことが案外と多く、以前はこれをするのが面倒に思え、雑用のように思えたが、最近はこれも大切な主のご用のひとつと思えるようになってきた。
2001年6月13日

備えられた魂
 昼の祈祷会の時、一人の姉妹が、病院で会った人のことを話してくれた。長い間透析をし、病気と闘ってこられたが、余命幾ばくもないとのこと。たまたま向こうから声をかけてくれていったところが、讃美歌を知っているかと尋ねられたとか。「いつくしみ深き」を歌ってあげるととても喜び、クリスチャンだと知ってまた驚いたとか。その方はクリスチャンではないが、英和の卒業生で、病床で、主を切に求めておられたとか。そのお母さんが、近くの教会を訪ねておられたので、そちらの先生に後はお任せすることになったが、その時、皆でその姉妹の救いのために祈り、平安をもって天国に行けるようにと祈った。主に備えられた魂というのがいらっしゃるものだとつくづく思った。
2001年6月11日

先生方の祈りに励まされ・・・
 ライフラインの委員会があった。ライフラインというのは、静岡県下に放映されているキリスト教テレビ番組のことだ。県内の各地区の先生が集り、放送継続をいかに進めていくか協議し、そのために祈っている。先生方と祈る幸いを覚えつつ、長い間教職をされ、大きな教会を牧しておられる先生の祈りはやはり違うと思わされた。祈りを聞いていても恵まれ、励まされ、教えられる。そういう霊性は、やはり長い間の主との交わりによって築かれてきたものと思う。そういう霊性を備えていくためにも、主との交わり、良き信仰の先輩との交わりは、やはり欠かせないと思った。
2001年6月10日

初めて来た子どもの姿を見て
  教会学校に初参加の子どもがお友達に誘われ、姉妹で来た。教師の一人が、来週子どもたちのためのクッキング大会をするので、またおいでと誘ったそうだが、来られないとの事。お姉ちゃんがその理由を話してくれた。それによると、親御さんの都合で、今は姉の方はおばあちゃんと、妹の方はお母さんと生活しているということで、休みになるとお互いのところを行き来しているということを話してくれたらしい。姉は、そう話しつつ今にも涙がこぼれそうだったということだった。その話を聞き、何とも言えない思いになった。親の都合がいろいろあるだろうと思う。どういう状況か、聞いてもいないので何とも言えない。でも、幼い姉妹が離れて暮らさなければならないなんて、本当に気の毒だと思った。親の都合で、寂しい思いをしている子どもも、現代はたくさんいるに違いない。何とか、そういう子どものことを知って、少しでも支えることが教会でできないだろうかと思う。また、どんな状況にいる子どもであっても、イエス様の愛は変わらず注がれていることを伝えたいと思う。
2001年6月8日

対応に苦慮!?
  今日も、午後、「困っているのでお金をほしい」という人が来た。というのは、数日前もそういう人が来たからだ。どうも、あの教会に行けばもらえるという噂が、そういう人々の仲間同士で行き交っているようだ。でなければ、通りに面している訳でもないので、ここまで教会を尋ねてくるはずがない。以前、そういう方にお金をあげ、その方が酒を飲んで、教会に戻ってきて、大声でどなり始め、やむなく警察を呼ぶ羽目になったことがある。その時、警察から、親切はわかるが、お金を絶対にやらないでほしいと言われてしまった。それ以来、そういう方が来たときにはその旨を話し、どうしても困っている様子なら、その時わずか一食分ではあるが、あげられる食べ物があれば、それを渡すようにしている。これでいいのかなと思わないでもない。でも、どうすることが本当にその人のためになるのか、考えさせられるところだ。
2001年6月7日

ハンバーグを作った
 夕食でハンバーグを作った。というのは、先日テレビでおいしいハンバーグの作り方というのをやっていて、レシピをとっていたからだ。前回作ったときは(初めて作った)、肉が冷凍のものを使ったのでイマイチだったが、今回は新鮮な?肉を使ったので、前回よりもおいしくなった。家内も、「おいしかったから、また作ってね」と言われ、嬉しく思った。といっても、自分が偉いのでも何でもなく、レシピの通りにしただけだが・・・。
2001年6月6日

祈祷会に出席者が増えた
 祈りは教会の生命線とも言われる。そんな中、祈祷会に出席して共に祈ってくださる方が、高齢化のため少なくなりつつあった。そんな中、二人の姉妹が、先週からこれに加わってくださるようになった。これは最近の祈祷会の祈りでもあり、こうして仲間が増やされ、心合わせて祈ることができること、これは何よりの喜びだ。理屈を抜きに、集って祈ってくださる方がいるということ、これは教会の力だと思う。地味なことだが、これこそ大きな力となると思う。
2001年6月5日

病床を訪問する中で
 5月上旬から入院されている方を訪問。容態は少しずつよくなりつつあるものの、回復はなかなか思うに任せない。病床で祈りつつも、それだけでいいのだろうかと思ってしまうことがしばしばある。しかし、何かできるとういうわけではない。また、これでいいのだろうかと思ってしまうことも、傲慢なことかもしれないと思う。というのは、祈って神様に働いていただくこと以上に、人間が何かできるのではないかという思いの方が大きいこと自体、人の領分を越えているのではないかと思う。これが自分のできる最前のこと、そう信じていくことこそ、牧師の務めでもあるように思う。
2001年6月3日

特別集会の実りに感謝
 特別集会に参加したある方から返事が来て、これから教会に出席したいとの旨、書いてくださってあった。とても嬉しかった。その方は返事の通り日曜日の礼拝に出席してくださった。み名を崇め、感謝だった。特別集会に多くの方が参加してくださったものの、そこから礼拝に出席してくださるまでに至るのには簡単ではない。しかし、主が心をとらえてくださり、仲間に加えてくださる方を起こしてくださることは、何よりの喜びだ。また、これまで求道者として教会に出席してくださっていた方も、続けて出席してくださった方が何人もいた。特別集会に出席はしたものの、続けて礼拝出席までには至らなかった方のためにも、心から執り成し祈り続けていきたい。
2001年6月2日

すばらしい葬儀だった
 嫁いだ姉の義母(姑)が召され、葬儀に出席した。89歳だったそうだが、信仰生活76年とのこと、本当にすばらしい葬儀だった。クリスチャンの葬儀は、寂しさの中にも希望がある。愛唱歌(讃美歌)の中にも、本人がどれだけ主を愛し、主に仕えることを喜びとし、天の御国に希望を置いていたかがわかるような気がした。ずっと同居していた亜年の家族(4人の孫を含め)が、讃美歌「主我を愛す」を賛美した。「主は強ければ、我弱くとも恐れはあらじ」、本人も病床でそれを歌っていたそうだが、遺された家族六人がそれを賛美する姿に、「祝福は千代に至る」との主の約束を思い起こし、胸が熱くなった。葬儀の時が、全ての悲しみを乗り越えて、いちばん主を信じる幸いを感じさせられる時かもしれないと思った。
2001年6月1日

「成長」の執筆者会議に行ってきました
  今日は教会学校教案誌「成長」の執筆者会議が東京であって、それに出席した。神学校の先生をしておられるような牧師先生方にまじって会議に出席できることは畏れ多いと思いつつも、自分にとってはとてもよい刺激の場、学びの場だ。自分が執筆者の一人になったのは、特別な神学教育を受けているからでも何でもなく、ただ教会学校教師研修会に出席していたのが、編集長の長島さんの目に止まったからだけだ。しいて何かあるとすれば、元小学校の教師で、子どもの様子を少し知っていたということくらいだ。今回は、早くも来年の1〜3月号の打ち合わせだが、CSのテキストとしては難しい教理的説教(主題説教)もあった。いつも、発表をしながら、自分だけレベルの低いことを言っているのではないかと思いつつも、少しでも全国の教会に通っている子どもたちや、教会学校の先生のお役に立つようにしたいと必死の思いだ。先生方の聖書の読みの深さに関心させられつつ、主の助けをいただきつつ、末席でも何でも、すがりついていきたいと思う。
2001年5月30日

7分の説教に四苦八苦
  今週の土曜日、英和で朝の礼拝の説教を依頼された。英和では、毎朝礼拝があり、讃美歌を歌い聖書を開き、クリスチャンの先生方が交代で説教を担当している。時々、市内の牧師も招かれ、話す機会を与えられる。本当に貴いことだと思う。ただ、その説教の時間はわずか7分、これがとても難しい。今回は花の日の礼拝ということで、何を話すかテーマは決まっているものの、昨日今日と、既に3〜4時間はパソコンに向かい原稿の準備をしているが、未だに準備が終わらない。いつも、礼拝では30〜40分の説教をするる。このためにもかなりの時間を必要とするものの、今回はたった7分に四苦八苦。短い時間で何かを伝えるということの難しさを改めて感じさせられる。主よー、助けてください!
2001年5月29日

ハンセン病と十造牧師
 今朝の静岡新聞朝刊に、「ハンセン病と取り組んだ牧師」という題で、榛原町の藤田悦郎さん(87歳)の次のような投書が掲載されていた。『ハンセン病訴訟控訴断念のニュースを聞き、私は遠い昔のことを思い出しました。戦前私たちの地方では、青年団活動の一つとして町または郡単位の修養講座が榛原町の報徳館でたびたび開かれました。私もその都度聴講しましたが、大方は忘れました。が、一つだけ忘れ得ないことがあります。それは昭和十年ごろ、静岡市の牧師飯野十造氏の、ハンセン病患者に対する政府国会議員の対応の不当を糾弾する演説でした。私は氏についてはよく知りませんでしたが、その論調は雄弁というよりは激弁で、会場を震わすほどの大声で当局を叱咤、論難されました。田舎者の集まりで、そのような問題があるなど知識のなかった若者にとって、まさに青天のへきれきほどの感激でした。その後新聞などに氏の名を見いだすと、必ず読んだものです。氏は救ライ問題に一生取り組まれた方と聞きました。今は亡き氏も地下(キリスト教では天上か)で今回の朗報に感泣しておられるでしょう。』 
 この十造牧師は、当教会の初代牧師である。投稿してくださった藤田さんという方は私たちは知らない。十造牧師は、藤田さんが書いてくださった通り、キリストの愛に押し出されて、救ライの働きに身を投じた生涯だった。十造牧師が召天して既に30年以上経過しているので、今や十造牧師の働きについて知る人も少なくなっているが、今回の小泉内閣の決定の報を聞き、「祖父が生きていたら、きっとこうしていたのではないか」と、家族と語り合ったことだった。
 私は、同じ牧師でありながら、祖父のようには生きられないと正直思う。そういう意味で祖父を尊敬している。しかし、同時にその働きを支え祈ってくださった教会員の皆さんたちがいたからこそ、そういう働きができたのだと思う。むしろ、祖父が偉いのではなく、祖父をそのように用いられた主のみ名こそ崇められるべきだ。祖父が生きていたら、きっとそう言ったに違いないと思う。
2001年5月27日

特別集会、主に感謝
 今日は、特別集会だった。朝は少し雨も降ったが、何と47名もの外来者(教会員以外の方)が来てくださった。他の教会の方も、4名来てくださった。大勢来てくださったことも感謝だったけれど、祈りが神様に届いて、祈っていた方が来てくださったと喜ぶ教会員の顔を見たこと、また先生の聖書からのメッセージによって、新しく主の恵みをいただき、元気をいただいたという教会員の証しを聴き、本当に嬉しく思った。ちらしを見て来てくださった方、また看板を見て来てくださったという方も何人かいて、大いに励まされた。神様が送ってくださった一人一人、今のこういう時代でも教会に進んで来てくださるという方がこんなにもいるなんて、何かとっても勇気を与えられた。
2001年5月26日

特別集会の準備をしたぞー
 今日は、朝から教会員の兄姉(教会では主にある兄弟姉妹ということで、そう呼んでいます。)が入れ替わり立ち替わり教会に来てくださり、明日の特別集会の準備をしてくださる。たくさんの印刷物もあっという間に準備でき、袋詰めも終えることができた。そこで、午後はいつもできそうでできない、会堂の気になるところに手を入れる。今回は、ロッカーにカーテンをつけたり、入り口のドアのしまり具合を直したり、いつもは教会員の皆さんにお任せのことを、自分ですることができ、充実感があった。それから、最後に家内と二人で、会堂で明日の集会の祝福のためにお祈り。きっと、主がすばらしいことをなしてくださると期待しつつ・・・。
2001年5月25日

インターネットタウンページにアタック
NTTから、インターネットタウンページに広告を出さないかと電話がある。私たちの教会のように、多少奥まった場所に位置する教会は、「ここに教会があるよー」と宣伝する必要も感じる。それほど高くない費用だったので、思い切って申込をする。それにしてもNTTさん、なかなか商売上手だ。こちらも、広告を見て教会を尋ねてださった人があった時、がっかさせないように、主のみ言葉を正しく伝えることに専心しなければと思う。やっぱり、中身が問われる時代。本物かどうか、すぐに見抜かれてしまいます。本物を伝える教会でありたいと思います。
2001年 5月24日

仲間のサイトを見て、その差に愕然! 
 同じ頃にホームページを開いた三鷹教会の濱先生のホームページを見たら、早くも三千ヒットを越えていた。こちらはその十分の一・・・。これにはショックを受けた。もっと、ページを工夫して更新に励まなければと思った。それで、こんなコーナーを始めようと思った訳です。ハイ。
今日、特別集会のために新聞折り込み「そのえだプレイズ」を一万部入れてもらう。朝刊を見たら、広告の束・・・。うちの広告は、白の上質紙に黒のインクのリソグラフ印刷(予算がないもので・・・)。これでは誰も見てもらえずに、ゴミ箱粋かと思いきや、早速反応がありました!某宗教団体に困っているとのこと、早速対策のテープをダビングし、関係のホームページを探してアドレスを教えました。少しは、役立つことがあるといいと思いながら。教会の力がまだまだ弱く、こういう問題で(プライバシーがありますんで、あまり具体的に書けなくてごめんなさい)悩んでいる人がたくさんいるんだろうなと思う。祈りつつ、コツコツ励もうと思った次第です。